鹿児島市日中友好協会の最新情報

・当サイトの新着情報です。
・毎週更新しています。

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

中国・四川大地震 募金活動ムービー
2008/05/27

http://www.nihao-kagoshima.jp/aiman.html

鹿児島大学中国人留学生と鹿児島市日中友好協会による鹿児島市の繁華街・天文館にての四川大地震募金活動の動画をどうぞ。

2008春天留学生と行く1日バスツアー・宮崎日南紀行
2008/05/27

2008・5・18(日)
朝7時半、鹿児島大学図書館前を出発しました。

今回の参加者は中国人留学生 45名、日本人大学生 6名、協会会員6名(世話人)、小学生2人の計59名。
 年々、人気のバスツアーになりました。今回は留学生関係を鹿児島大学留学生学友会に1本化、今年の会長の孟クン(人文社会科・修士)にすべて任せました。例年、参加者が混乱して悩んでいましたが、今年は彼の活躍ですべて上手く進みました。

 協会の学生部は児玉新会長の活躍で今までの中で一番多い日本人学生の参加で、交流ツアーとしてはバランスが理想的でした。

 バスの中では孟くんと日本人学生との絶妙のコンビでプロの南国交通バスガイドをまじえ、結構長い時間の車中を楽しく盛り上げていました。
 
 絶好の天候に恵まれ、ちなみに翌日は大雨でした。愉しい1日バスツアーをすることが出来ました。

 参加者が未だ多かったそうで、出来れば参加希望者は全部,行けるような企画が出来ればというのが協会企画部の理想です。

 縁があって鹿児島に留学中の中国人の学生、研修員、そして出来れば、鹿児島の市民になっている中国人ファミリィ、また、故郷中国を離れ日本の鹿児島に夢を抱きながら、いろんな理由から鹿児島市民や同胞の中国人ともあまり接していない帰国子女、その家族・・・など、中国に関っている多くの人に広く、呼びかけて1日楽しく過ごすバスツアーを企画してみたいと思っています。
 中国好きな協会会員にも、その時はもっと参加してもらおうと思っています。
 何時、実現するかは賛同者の声次第でしょうか。

愉しかったバスツアーのスナップ写真は以下のサイトからお入りください。
 http://www.nihao-kagoshima.jp/2008nitinan1.html

中国四川大地震・街頭募金活動展開
2008/05/22

今月12日午後2時30分に起きた中国・四川省の大地震は今日で10日目を迎える。
 死者の数は4万人を超えた。まだまだ増える。最終的には倍近く、いや,それ以上になるかもしれない。
 
 発生から4日が経った17日、私たち鹿児島市日中友好協会では協会学生部と中国人留学生学友会25名、総勢40名で鹿児島市の繁華街で街頭募金を行った。
 天文館の電車通り入口付近と山形屋入口の中町ベルクの2ヶ所にそれぞれ20名づつ、募金箱15個での街頭活動を展開、マスコミ各社の取材もあり、終日くりひろげられた。
 市民から寄せられた義援金の総額は67万円に達し
 集まったお金は学友会〜福岡総領事〜大使館を経て
 中国四川の被害地に確実に届けられる。

 当日の活動の様子はカメラマンの祁立標氏の画像をごらんください。
http://www.nihao-kagoshima.jp/daijishin.html


 遠く離れた長沙市で日本語教師をしている渥美栄さんから長沙の状況を日記で伝えてきましたので紹介します。・・・・・以下。

今回の地震、中国では5.12大地震と呼ばれている。
国道317号線がなんとか開通して、遠回りだが、その道を通って物資が運ばれ始めた。

志願したトラックの運転手たちが、無償で配達しているとのこと。

ここ長沙でも、バス、タクシーが黄色いリボンをつけて、地震の犠牲者に哀悼の意をあらわしている。

市内の烈士公園には、大勢の人が集まって、被災者の奇跡の生還を祈っている。有効救援期間は3日と言われているのに、はや5日目になる。

4人の子供をかばってなくなった先生は、TANG先生と言い、湖南の人。遺体が今湖南に運ばれている。

死者は3万人近くに。詳細が判明すれば、五万人になるとも言われている。
大勢の人が肉親を失い、家を失い、大勢の子どもが独りになった。

そしてまだまだこれから、チフス、コレラ発生の恐れも心配されている上、ダム決壊の恐れもあるとか。

願わくば、被害の拡大が少なくあって欲しいと・・・・
http://www.nihao-kagoshima.jp/aiman.html

鹿児島市日中友好協会平成20年度通常総会開催
2008/05/22

去る五月10日、鹿児島市日中友好協会の平成20年度の総会(23回)が開かれました。
 日時     平成20年5月10日(土)10:00
 場所     ジェイドガーデンパレス
 出席者総数  83名(交易部 11名)
 講演     鹿児島県中国帰国者自立指導員
         杉元基一郎 先生
 演目     「戦中・戦後の中国在住体験を通し日中友好を願う」

第2部 懇親会  12:40〜14:40 (飛天の間)
    祝宴   ●太極拳(薩摩すこやか会) 
          増満育代社中
         ●日本舞踊 芳堂流社中
         ●日本舞踊 舞泉流社中
         ●楊名時太極拳演舞
         ●歌謡 天達美代子 篤姫ほか
             (キングレコード)

今回は当協会の交易部との同時開催になりました。
 交易部では6月7日に第二回目の「中国商業施設を訪れる研修ツアー」の説明会も同時開催されました。

写真説明:壇上の女性は今年、友好都市・長沙市からの交流員です。1年間鹿児島市国際交流課で研修します。左の男性は県の国際交流課に来られた徐成研修員さん。

訃報:中村義さん 78歳 死去=東京学芸大名誉教授、歴史学専攻 /東京
2008/05/01

中村義さん 78歳(なかむら・ただし=東京学芸大名誉教授、歴史学専攻)19日、出血性胃かいようのため死去。葬儀は24日午前10時半、練馬区高野台3の10の3の東高野会館。喪主は妻宏子(ひろこ)さん。

昨夜(4月30日)事務局長から中村義先生がなくなられたとの訃報の電話が入った。

 今朝、早速、ネットを開いて検索すると、上記の毎日新聞の記事コピーを見つけました。

 実は昨年11月10日、東京のご自宅に黄興のお話をお伺いにお邪魔して4ヶ月余りしか経っていないのでお会いしたときの会話、お顔の様子などが昨日の事のように浮かんできます。

 「私が脚を悪くして駅(高井戸)まで迎えに行けませんので」
 と書いて戴いたペン書きの地図を頼りにご自宅まで歩いた時の道がベッドについてから目に浮かんでいました。

「下手な地図でわかりましたか?」

「お寺の中からの細い近道など注意書き付きでたどって来るのが楽しかったです。宝探しの地図みたいでした」

 お会いした先生は喉が痛そうで
「もうだんだんよくなりました。もう少しです。元気になったら協会でお建てになった『黄興の碑』を紹介して廻りましょう」
 と咳をしながら、やはり時々苦しそうに話されました。

「今日は、家内が留守で構えずに申し訳ありません」

昼過ぎに伺うと連絡してありましたので出前の『上寿司』と果物を奥様が準備して行かれたようで、先生がお茶を入れられたりで、ゆっくりお話を伺う時間が取れなかったのが今はとても残念に思います。

 お話を全部録音させていた戴こうとMDレコーダーは持参していたのですが、お話がされるのが難儀そうだったので失礼かと思って出しませんでした。今、思えば、思い出にとっておけばよかった。と思うことです。

 「もう道も分かったから大石さんが上京されたらこんどはゆっくりお話をさせてもらいましょう。わたしも元気になったら南洲公園墓地の黄興の碑を見に行きたいです。」と話されました。

 12月4日に戴いた次のメールが最後のメールになりました。

テープの件、いろいろお心遣いを頂きまして有難うございます。 MDは当方のラジカセでは再生できません。また、添付は、これまでに頂いた添付は開けたのですが、今回は・・・・次の添付ファイルは、安全でないためメールからのアクセスが削除されました・・・・という、メッセージが出て開けませんでした。
 北京大学の陳さんの論文だけを、恐れ入りますがお送りいただければ幸いです。
 
 また、本日はお心づくしの薩摩のご銘茶をお送り頂きまして、ありがとうございました。 これからの寒い季節、美味しいお茶を楽しませていただきます。
くれぐれもご自愛ください。   中村 義


 こころよりご冥福をお祈りいたします。

大学研究員や交流研修員が帰ります。
2008/03/26

2008年3月23日(日)美華園

 1年間の研修を終えて2人の中国人朋友が帰国します。
 張東晨さんはODA交換生最後の客員教授として安徽理工大学から1年間、鹿児島大学で鉱石学の研究をされました。
 鹿児島の風土を愛し、積極的に県内各地を観光し当協会の催事やツアーにもよく参加されました。背が高く、いつも笑顔を絶やさない温和なプロフェッサーです。

 楊暁帆さんは長沙外国語大学から鹿児島市と長沙市の交換研修員で市国際交流課で研修されました。
 昨年10月に行った黄興先生南洲墓地参詣の碑除幕式において黄興先生が参詣の際に詠じた詩を吟じてもらいました。

 歓送の宴では海江田会長の漢詩朗詠や楊先生の黄興の詩朗詠に続き、張先生の日本で覚えた日本の歌《千の風に乗って》など余興で盛り上がりました。

 美華園社長・陳金和氏も途中から参加され、鹿児島市と長沙市との25年前の友好都市盟約成立時の秘話などを話されました。
 最後は陳社長のお得意のハーモニカの演奏で宴は終りました。

 宴会当夜の模様や2日前に行った阿久根長島の美しい海岸風景を写真で紹介します。URLをクリックしてください。

http://www.nihao-kagoshima.jp/nagashima.htm

 

春節に招かれて
2008/02/08

今年も鹿児島大学中国留学生春節の宴が2月6日(三十晩上)に構内食堂で開宴された。

 中国からの留学生の代表は1年交代になっている。自治組織である学友会の会長は留学生たちの投票できまるという。
本年、2008年の学友会会長に選ばれたのは孟憲晨くん。かっこいい大学院生である。
 さっそく5月には私たち協会とのジョイントで春の1日バスツアーを計画実施する。

 今夜は学生に人気者の孟くんのリードで愉しい春節の一夜が繰り広げられた。

 春節は私たちにとって春には卒業していく留学生たちとの寂しい送別の夜でもある。
 


 

祁立標(チリビ)写真展《美麗的桜島、美麗的鹿児島》中町ベルクにて開催
2008/01/30

2月1日より29日まで1ヶ月間
鹿児島市の繁華街山形屋デパート横のアーケード《中町ベルク》にて、上海出身のアマチュア写真家祁立標さんの個人写真展が開かれています。

 外国人の眼に映る鹿児島の風景などを独特の感性とカメラアングルでとらえた美しい写真41枚をゆっくりとご覧ください。

 鹿児島県、市日中友好協会ならびにWe Love天文館の後援で今月いっぱいの開催です。天文館に来られた時、ぜひベルク通りに立寄ってご鑑賞ください。

 下の写真を拡大してごらんください。

2008交易部新年会と長沙経済視察説明会
2008/01/24

1月19日(土)サンロイヤルホテル

鹿児島市日中友好協会交易部の平成20年の新年会が開催された。
 長沙市と鹿児島市とは、1982年10月に友好都市盟約を締結して以来、両市の交流協議に基づき、毎年訪問団を相互派遣し、友好を深めてきた。

 鹿児島市は、長沙市より研修生・農業実習生の受入れを行ったり、「青少年の翼」事業により,鹿児島の高校生を平成11年から毎年長沙市へ派遣するなど、長い間文化・技術交流を推進している。
 
 また、昨年9月には、当協会の永年の念願であった、長沙市出身で鹿児島に縁がある黄興先生の「南洲墓地参詣之碑」除幕式が執り行われた。

 10月には長沙市にて前述の「鹿児島市・長沙市友好都市締結25周年記念式典」が開催された。

 その中で前長沙市長・譚仲池氏より、「長沙市はすでに中国中部地域において政治、経済、文化、科学、教育、商業貿易の中心となっており、ここ5年で急速に経済の高成長を遂げている」こと、また今後ますます両市の活発な経済交流の実現を目指したい、というメッセージを海江田会長がいただいた。

 そのような経緯を踏まえて、鹿児島市日中友好協会交易部は、鹿児島の企業と長沙の企業の橋渡しとしてなんらかの役割を担えないだろうか、と今後の計画を検討中である。

 具体的には、長沙、鹿児島、双方が地元の企業案内を作成し、そしてそれぞれの市政府のホームページにそれらを掲載して、お互いがいつでも閲覧できるようにする。
 また実際に長沙経済視察団を結成し、現地の状況を把握する、などの案が浮上している。

 今回の新年会・説明会では交易部理事メンバーにより調べておいた長沙市の経済状況、進出している日本企業の現況などを事務局より説明することにした。

 説明会では、最初に海江田協会会長の挨拶と25周年大会に参加した際、長沙市で受けた感想などを会員に説明した。
 次に、事務局の説明がり、そのあと、数名の会員による、長沙での実交易体験談や鹿児島における対中国交易のエキスパートである村田秀博氏によるお話などがあった。

 出来れば今年上半期に長沙市を経済交流訪問の実現に向けて準備、検討をしていくことで説明会を終った。

 そのあと、会員26名で座敷テーブルを移動しあって団欒、会食が続いた。
 昨年春の《義烏視察旅行》のメンバーの思い出話などにも花が咲き、当会交易部も少しづつ親しみと、まとまりが出てきたように感じた。

第13回『外国人による日本語スピーチコンテスト』開催
2008/01/18

今年も鹿児島県国際交流協会主催による『外国人による日本語スピーチコンテスト』が開催されました。

 1月6日の予選会で残った10名の出場者により、14日(成人の日)に本選が行われました。

 本選に残った10名の出場者の内訳は中国人4名・韓国人2名・マレーシア・タイ・アメリカ・インドネシア各1名。
男性2名、女性8名で女性上位の大会でしたが成績の方も女性軍の元気さが目立った大会でした。

 最優秀賞に輝いたのは韓国から志学館大学に在籍中のパク ジョンヘさんです。
 テーマは『韓国の足は日本の何?』という題で手や足イラストを示しながら、流暢な日本語で、ユーモアを交えながら観客の共感を得て、問題なしの最優秀賞でした。
 
 

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

- Topics Board -