九江学院日本語教師池田公榮さんの生活記録
虹の架け橋  2006・1〜

                                                           
   虹の架け橋@(平成17年3月〜 5月30日)
   虹の架け橋A(平成17年6月〜 7月30日)

   虹の架け橋B(平成17年8月〜 8月31日)
   虹の架け橋D(平成17年9月〜10月31日)
    虹の架け橋E(平成17年11月〜12月31日)
 
虹の架け橋F(平成18年1月〜2月30日)
                     虹の架け橋G(平成18年3月〜4月11日)特集・(九江学院鹿児島訪問)
      虹の架け橋H(平成18年4月00日〜5月31日)
 
     虹の架け橋I(平成18年6月07日〜06月29日)
      
虹の架け橋J(平成18年8月25日〜10月29日)
 
     虹の架け橋K(平成18年11月2日〜12月31日)
      虹の架け橋L(平成19年01月1日〜03月31日)
 

      
 
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* 春の叙勲に与る(1)……2007/05/17…
このたび、身に余る叙勲の栄に与り、5月10日九江から東京へ出向いた。

とき:平成19年5月10日
場所:国立劇場
拝謁:皇居

写真左:勲章(瑞宝章双光章)
写真中:伝達状文面
    日本国天皇は池田公榮に瑞宝双光章を授与する
    皇居において璽をおさせる
    
    平成19年4月29日
     
    内閣総理大臣  安倍晋三
    第11936646号
       
      とある。

写真右:皇居豊明殿の拝謁の様子。(この写真は宮内省からいただいた皇室写真集から転写したもの

* 春の叙勲に与る(2)……2007/05/17…
と  き:平成19年5月10日
授与場所:東京国立劇場
拝謁場所:皇居豊明殿


写真説明
左:国立劇場受付所付近
中:伝達式を待つ
右:文部副大臣より代表者に伝達のあと、受付番号順に賞状と勲章を受ける

* 苦学生物語……2007/05/07…
  日本語夜間学生で、現在九江第3中学校で教鞭をとっている呂栄という名の女性教師がいる。この教師、江西師範大学を卒業し、昨年9月から同中学に奉職したのだが、見るからに明るく、語り口もはきはきして、いかにも教師の風格がにじみ出ている。学校では「女王」というあだ名がついているとのこと。アネゴ気分の彼女にはうってつけのあだ名かもしれない。

  彼女と知り合ったのは昨年(2006年)10月。彼女は九江学院が募集した夜間の日本語コースに応募し、ともに学ぶようになった。その成長はすさまじく、正課の日本語科の生徒が舌をまくほどである。彼女は大の日本びいきで、いつか日本へ行きたい夢をもっている。最近では、週に3日は住まいに尋ねては、われわれが知らない中国の食べ物を届けたりしてくれる繊細な心の持ち主でもある。

  私用で、日本に帰らなければならなくなったときも、交通機関に勤める友人を介して安い飛行機のチケットを手配してくれるなど、有益な援助を惜しまない貴重な存在となった。

  彼女と付き合うなかで、彼女の身の上を知るにつけ、ほとほと感心することがあったので特に紹介したい。

  彼女は当年23歳。江西省西北部の萍郷市(ピンシャン)の出身で、家族は母子3人である。父は現地の炭鉱事故で、彼女が3歳に満たないときに死亡し、写真以外に父親の面影がないという。以後、母親の力で二人の子供を養育し、進学させたそうである。彼女は高校・大学の時にはアルバイトをしながら、自分の学費を稼ぎ出したそうである。「感心だね」と褒めると、「母親の苦労を見るにつけ、すこしでも苦労を和らげてやりたかったので。」とさらりと言う。なんとも、親思いというか、奥ゆかしいというか、彼女の顔がいま大学に行っている私の孫の顔に似ていることもあり、かわいくて仕方がない。

  彼女は大学時代に観光ガイドの資格も取り、夏、冬、労働節、国慶節の連休にいはガイドのしごともしており、この方が結構いい収入になるそうだ。今回のメーデー連休も5日間で3000元を稼ぎ出したといっていた。彼女の本職の3ケ月分の給料に匹敵する。中国では、教師もアルバイトしていいのかなあ?彼女は、瀋陽大学で学んでいる弟に毎月600元の生活費の仕送りをしていると聞けば、家内ともども、ますます感心するほかはない。

  こんな彼女に巡り会えたのも、なにかの縁であろう。彼女のために、なにかしてあげたいと思う今日この頃である。


写真左:ロエイ(呂栄)教師
写真中:彼女が勤める九江第3中学校
写真右:沙河教会へ行ったとき(呂栄)右端

* 連休は汗流し……2007/05/04…
九江のゴールデンウィークはもっぱら畑の手入れで汗を流す。鍬もたたないほどの赤土の粘土の硬い塊。昨年から落ち葉の堆肥をうんと鋤き込んでおいた。赤土、堆肥、砂を三分の一の割合で混ぜておくと、理想的な土になる。昨年から準備していた堆肥は程よく腐食していた。砂は、川砂が一番だが、運ぶのが大変なので、工事あとの残った砂をもらうことに。でも、砂は圧倒的に足りない。朝晩の散歩や授業の帰りにコンクリート道の端に吹き寄せられた砂を集めては菜園に運ぶことにしている。これもいい運動である。

この土だと1年目はほとんど肥料要らず。病気にも罹りにくく、野菜や花がとてもよくできる。いつも、取に立ての野菜が美味しい。ねぎなども、植えてある。必要なだけづつ採って味噌汁に入れると、香りが引き立って食欲をます。


作業をしていると、階下のインド人の子供が手伝いにくる。「グランパ アイ ウィル ワーク」といって棒切れで土をほぐす。ほとんど邪魔になるぐらいなんだけど、本人のやる気を尊重し「サンキュウ」ということにする。大人の作業をまねるなんて、この子、末はどえらい女史になるぞ。


写真左:畑の改良作業に精出す筆者

写真中:「手伝う」といって畑で精出すインドの少女

写真右:一見パンジーに見えるけど、実はパンジーではありません。散歩のとき道端で撮ったもの。名前が分かりません。

* 5月の樹木と花:九江その1……2007/05/01…
5月の樹木と花と鶯
  九江の街路樹は楡が主体。ニレはほのかな香りを放つ。葉は黄緑から緑に変わり、木陰は太陽の光をさえぎり、人々の憩いの場となる。机を持ち出してマージャンやトランプに興ずる人が見られる。

  学院キャンパスの樟(クス)の若葉も濃い緑に変わる。街路に植えられたクスは形よく成長し、祭りで売られる綿菓子をひっくり返したような形をしている。公害木としても有用な樹木である。わが鹿児島県にはあちこちにの神社の境内に大樹となってその歴史を語るあの樟である。

  栴檀。センダンは若芽が成長し梢の先端に薄紫の花をつけている。九江では畑の一角に生えている。きっと、夏、農作業のとき、その木陰で一服するために植えられたのだろう。実は秋になると小鳥の貴重な餌と成る。この栴檀、わが鹿児島では、学校の校庭に植えられて、なじみの樹木となっている。成長が早く、冬は日を通し、夏は木陰を作るので重宝がられている。

  花はバラの季節。野に行けば野バラがあり、楽しい。わが宿舎の一角にも、昨年植えたバラがきれいな花を咲かせた。落ち葉を敷き込み、丹精こめた労作へのご褒美と思う。

  野いちご。授業のない日によく、郊外へ散歩する。道端に、野いちごが何種類もある。小鳥たちも喜んで食べることだろう。我輩もつまみ食いを楽しむ。甘酸っぱくて野性味のある味がなんともいえない。童心に返った想い。

  蕨とり。ワラビは貴重な山菜である。九江学院のすぐ近くの原にたくさんある。雨上がりには、かわいい帽子を被った子供のように、あちこちに芽をだして、おいでおいでをしている。しかし、九江の人は蕨が美味しい食べ物であることを知らないらしい。学生たちに見せても、「これ、何ですか?」である。まして、食べたことなどない。味噌汁の具にして食べてもらうと「おいしい」(ハウチー)と言葉が返ってくる。竹の子と蕨の混ぜご飯など昔懐かしい食べ物である。


  鶯。蕨とりにいったとき、鶯の鳴き声を聞いてとても懐かしかった。鹿児島では毎年この時期鶯の声はおなじみであるが、九江でも聞けるとは感慨ひとしお。鶯はホーホケキョ、ケキョ・ケキョ・ケキョと鳴くのだとばかり思っていたら、九江の鶯はホーチェツキョ・・・・・時間をおいて、またホーチッェキョと聞こえる。思わず、「もう少し景気よく歌ってよ」と言った。鶯の鳴き声は日本のほうが威勢がいいと思う。 

写真左:道端に咲いた野いちごの花

写真中:学園キャンパスのノバラ。このようなバラは山野を歩くといたるところに見られる。

写真右:木陰で遊ぶ九江の老人たち

* 5月の樹木と花:九江その2……2007/05/01…
5月の樹木と花と鶯の写真集
  鶯は山野のあまり人がいない場所で鳴いている。

写真左:楡.九江の通りにはほぼこの木が植えられている。

写真中と右:樹齢約2800年の東林寺の大楠

* 中国のゴールデンウィーク……2007/04/28…
中国のゴールデンウィーク
明日5月1日から7日まで1週間の労働節(メーデー)休暇が始まる。とは言っても、5月4日(金)分を4月28日(土)に、5月7日(月)分を29日(日)に振り替え授業することによる連休である。正式には5月1日(火)から3日(木)までが公休ということ。くどいようだが、4日は28日にメイクアップ。5日、6日は土日で通常の休み、7日は4月30日のメイクアップで休み。ということで、1日から7日まで連休ということになる。メイクアップすることにより、1週間の連休を人為的に作るという仕組み。日本もまねたらいいと思う。

  この間、交通機関、ホテルなど観光事業関連施設は人だかりとなる。こんな人の洪水を避けるためには、宿舎でゴロゴロ過ごすのが一番いい。

  遠方からの学生で、故郷へ帰らず学校に残る生徒の相手をすることにしよう。なにせ、内モンゴルとか、ハルピンとか、海南島とか気の遠くなるような地域からの学生もいるので、たとえ1週間の連休でも、往復の汽車の旅が70時間もかかる。旅費と時間を考えるととても帰る気になれないらしい。

  この時期、中国人のゴールデンウィークの過ごし方も、日本のそれと変わらない。経済的に余裕がある人は家族旅行を試みる。海外組みもだんだん多くなってきたらしい。13億の人口である。交通機関もホテルも大忙し。

  このように何処へ行っても人の洪水に悩むよりは自宅で日ごろ出来なかったこおとをするのにちょうどいい。感謝して、宿舎で過ごすことにする。


写真:悠久中国の落日。九江学園の宿舎より撮影。九江の空はいつもどんより霞んでいて、こんな風景はそうめったに見られない。

写真右:つつじ。日本ほど品種は多くない。色もいまいちかな。

* 時にはインターナショナル交流……2007/04/28…
時にはインターナショナル交流も

  外国人教師が住む棟では時々誕生祝などの招待がある。そんなときは、手作りの一品を携え遠慮なく招待に応じるようにしている。招いてくれた人も、そんなに大仰にではなく、手作りパーテイである。集まる人は中国人、アメリカ、カナダ、オーストラリア、オランダ、インドとそれに日本。言語は英語。それぞれの作法で、立食形式。ちょっとしたしぐさにも、それぞれのお国柄がでて、楽しい。たとえば、大皿から、自分の小皿に食べ物を移すとき、日本人は箸を裏返して、口をつけた部分を避けるようにする。中国人他は直接口に運んだ部分で盛るなどである。


写真左中:各国出身の教師たちがカナダ系中国人宅の誕生会に集まり立食談話している。

写真右:昨年植えたバラが勢いを増し開花した。バラは1年に4回咲いてくれるのでとても楽しめる。落ち葉をうんと敷きこんで土作りをしたので、バラもそれに応えてくれた。

* 九江日常生活……2007/04/24…
買い物など

  入浴。宿舎にシャワー施設がある。夏場はいいが、冬は満足しない。電熱でお湯を出す仕掛けだが、60度ほどになるので、冷水と混ぜて適温にし、シャワーを浴びるのだが、湯船にどっぷりつかる習慣の自分にはどうも、物足りない。からだごと、十分温まり、冷えた空気に触れても湯冷めしない程度でないと、湯に入ったという感じがしない。そこで、何とか  日本式の浴槽風呂はないものかと探した挙句、見つかったのが、サウナ付の温泉。この温泉、電熱か石炭で沸かした湯を浴槽に張っている。でも、11月から翌年3月までで、後は休業。利用者がいないのだろう。入浴料はサウナ込みで15元。あかすりも別料金で常連の三助が威勢よく流してくれる。これは、別に10元。そのほか、望めばマッサージも別料金でやってくれる。こんな銭湯もあるので、まあまあ満足している。

  散髪。何回か通ううちに、行きやすい店が見つかる。学内にも理髪店はあるが、あまりにも、事務的で面白くない。つい、親切にしてくれる店に足が運ぶ。中国は、散髪いくら、ほか洗髪、髭剃、洗顔と細かく料金が分かれており、料金によってかける手間も違う。ちなみに、散髪と洗髪込みで5元(日本円75円)。こんなに安くて商売になるのかな〜。

  生鮮食料品。いたるところに、野菜市場やスーパーがあり、品も豊富である。なかでも、1年中途切れなくある野菜が、トマト、ナス、大根、ジャガイモ、セロリなど。肉は豚が主流で、尻尾の先からつま先まで、耳や鼻まで捨てるところなく、店頭に並ぶ。ほか、牛、羊、ウサギ肉がある。日本人が好まないものに犬、かえる、蛇。魚類では鯉やフナを主として、川鱒、淡水貝、また、新鮮度の落ちた海洋物。イカ、たちうを、海藻類。とにかく何でもある。日本にないキノコ類がまた楽しい。市場のオバサンも顔見知りになり、今日はキノコが安いよ、とかナスはどうね。と聞き取れないが、ジェスチャーとあわせて判解?する。

  米。中国の米は長くて白っぽく、炊いたご飯はポロポロで硬いと思っていたかが、さにあらず。日本米とまったく同じものがある。歯ごたえも、日本でいただく白米ご飯と変わらず、粘り気、風味とも同じ。聞けば、中国北東部の産だという。中国に来てタイ米風の米を覚悟していただけに、日本風の白米を探し出したときはとてもうれしかった。この米は、間違いなく、ジャポニカ種で、60数年前、中国北東部の旧満州と呼ばれていた場所で、日本人が栽培していたものがそのまま継承されたものである。いやはや、この白米が手に入るということは予定外の喜びである。

  スーパーでの買い物。日本と変わらず、すべてパック詰めになっており、レジで計算して持ち帰るシステム。だが、手提げなどは持ち込めない。持っていると、ロッカーに入れるようにガードマンに指示される。ロッカーは日本のそれと同じであるが、収納したあと、戸を閉めるとそのままロックされる。出すときは1元投入すると開くようになっている。だが、1元はまた手元にもどってくるしくみ。

  燃料。ここ九江では、台所用はボンベガス。10キロ詰めが約90元。燃料は他の物価に対して割高である。部屋の照明器具、暖房は電力。中国の規格は22ボルト。


  金融機関。銀行は通常日は勿論、土曜、日曜日も営業している。送金や預貯金の出し入れも便利である。それにしても、行員の勤務体制はどうなっているのだろう。交代制かな?


写真左:生鮮品を扱う大衆市場

写真中:横断歩道。昨年までは、信号機もなく、車、人が押し合いへいし合いの状態だったが、今は信号機がついて、だいぶ安全に渡れるようになった。でも、たまに歩行者が信号無視をしてドライバを困らせてることもある。

写真右:道端で孫の守をする老人。

* 次男基宣来九……2007/04/13…
基宣来九
  次男池田基宣日ごろ、一度親父の働き振りを見てみたいと、1007年4月9日、関空―上海経由で南昌に着く。あいにく、到着時間帯は夜間授業があったので、迎えに出ることができなくて、国際交流課のオスカー氏に車を出してもらった。キャンパスに到着したのは深夜11時すぎ。

  10日は九江学院のキャンパスを案内し、午後と夜間授業に出てもらい、生徒たちに挨拶してもらう。日本語を学ぶ学生なので、日本語で挨拶しても大丈夫。皆は拍手で歓迎してくれた。

  11日は、市内を案内し、67年前の住居跡とか、父が勤務していた旧同仁会病院、幼少時に通った日本人学校跡、市街、揚子江などを見てまわった。経験のため、昼食はあえて中国人が日ごろ食するレベルの食にした。一食3.5元の牛面(日本の牛丼みたいなもの)。スープに歯が立たないような硬い牛肉と韮が浮いているもの。麺の量は多くて、二人とも食べ残した。お世辞にも美味しいとはいえないが、腹を満たすには何とかなる。中国の学生、労働者、一般階級の人はこの程度の食事であることを体験する。九江にきて廬山を観ないともぐりといわれるほどだが、今回は時間の都合でできなかった。九江教会を見学し、20時発、夜行寝台バスで上海に向かった。

  12日は、一日上海見物をし、13日正午過ぎの便で関空へ帰った。


写真左:基宣を迎える

写真中:市内中学校の教師呂栄嬢の招待で食事をする
    右端は呂さん。基宣はシャッター押しでここには入っていない。

写真右:長江へ垂れ流している汚水:息子いたく驚く。

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