永谷元宏の「長沙日語学院 友好の輪
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福島顕二郎の長沙教師録〜未来への道が完成(文字クリック)

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長沙日語教師録  
「コメント」



  
     

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2007/04/13

長沙の友達


 中国へ来た目的のひとつに滞在中に何人友達がつくれるかがある。
 今のところ友達になれそうなのは果物屋の兄ちゃん(18歳)、二胡を引く男性(67歳)、貿易会社の社長の父親(61歳)それから昨日行った床屋の兄ちゃん(28歳)かな。
 果物屋の兄ちゃんはもう友達と言っていいだろう。その店は学校に近くにあり、ほぼ毎日その店の前を通っている。そのたびにお互い声を掛け合っており、時々彼は小生にパイナップル、サトウキビ、ザボン、みかん等をくれるのだ。最初は遠慮なくいただいていたが最近はほぼ毎日くれるので、ちょっと恐縮している。以前、日本から持ってきた板チョコを渡したことがある。
 彼は日本の本が欲しいと言ったので100円ショップで買った5歳用のひらがなを覚える本(家族、動物、果物、野菜等の名前を覚える物)を渡した。その2、3日後、すべて日本語のため辞書がないと読めないと言い、辞書が欲しいと言ったが無いと断った。彼が今、言える日本語は幾つかの果物の名前と「ありがとう、さようなら、おいしい」それに先日彼が「美女(メイニィ)」を日本語でなんと言うかと質問したので「びじょ」と答えた。その後彼は美しい女性が通ると「びじょ」と言っている。その果物屋の店頭には今パイナップルが山積みされており多くの人が買っている。彼はパイナップルの皮をむき、種?を取るのが実にうまい。職人だ。毎日何百とやっているから当然かも知れない。彼が剥いてくれるパイナップルは甘くてみずみずしくて実に美味い。1個2元(32円)とは安いと思いませんか。先日、名前を知らない果物をくれた。聞いたが中国語で分からなかった。学生に話した時「先生、それは高いものですよ」と言ったが名前はいまだに知らない。でも美味かった。
 彼の名前はまだ聞いていない。そのうちに聞こうと思っている。6月まで長沙で生活するので、もっと親しくなれると思っている。

2007/04/10

雨ニモ負ケズ


長沙に来てもう40日過ぎた。でもまだ慣れない事がある。学校内の汚さだ。ゴミが実に多い。校庭にはゴミ箱が幾つか設置されている。小生の部屋は校庭のちょっと奥まったところにある。4階建ての寮の南側の狭い通路の突き当たりにある。その狭い通路とその南側には低木が植わっている庭がある。その庭と通路によくゴミが落ちている。寮から捨てているのか?録音テープの中身が寮のすぐ南側にある大木に引っかかり通路を越え庭にまでつながって落ちている。誰かが捨てたと思われる。トランプカードもなぜか時々落ちている。また食物が入っていたビニール袋、トイレットペーパー、発泡スチロール等変わったところでは貯金通帳(残額10元)も落ちていた。時々拾ってゴミ箱に入れているが、きれいになる前に新たなゴミが落ちている。掃除専門の人もいるので校庭はまあまあだ。
 
 一歩校外へ出ると、もっとひどい。校内の方がきれいだ。大げさに言えば道路はゴミの山である。食べながら歩きその袋や食べかすはその場に捨てるのである。道路専門で掃除する人もいるが、捨てる人の方が多いのでゴミはいっこうに減る気配はない。
 このゴミ問題?はとても気になる。大好きな中国だけにちょっと・・・何とかならないものかと思っている。
 
 一方教室はと言うと、これも習慣の違いか日本では考えられない光景だ。余分な机や椅子が教室内に積んである。学生が食べたり、飲んだりした残物があちこちに目に付く。学校では学生がきれいにするよう指導しているようだが、その効き目はどうかな? 先日も掃除の日が指定されていたようで、きれいになっていないクラスは注意されていたようだ。夜、教室に行くことが多いがそ
の時も、学生のいない机の上に飲み終わった牛乳パックが置いてある。一つや二つではないのだ。
 ところが今日11時ちょっと過ぎに職員室に行ったところ、どの教室も大掃除の真っ最中ではないか。午後2時からの授業で教室に入ってところ、見違えるほどきれいになっていた。授業していても気持がよかった。黒板もきれいに拭いてあった。環境と学習は相関関係があるような気がするが・・・?今日は本当に気持ちよく授業ができた。学生にも今日の教室はとてもきれいで、気持ちがいいと話した。 いつまでこの環境が維持できるか?2、3日もつかどうか?

 教室内ですばらしいと思うことも当然ある。各クラスとも後ろに黒板がありそこに学生たちが趣向を凝らしたメッセージを書いている。もちろん日本、日本語に関するものだ。あるクラスは宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」が原文に近い文体で書いてあった。日本の若い人でも読みにくい文章が書いてあるのだ。聞けばそのクラスの学生が書いたそうだ。書いた学生はその意味を理解している
と思うが、そこにいた学生に聞いたら「難しいです。ちょっと分からないところがあります。」と答えた。当然だと思う。でも、日本語学校の学生が「雨ニモ負ケズ」を書いてくれたことが非常に嬉しい。そのクラスの授業は受け持っていないので、夜その教室に行った時、彼らに解説しようと思っている。

2007/04/09

中国のお宝拝見


 以前学生が「毎週土曜は先生の食事を作り、部屋の掃除もします。遠慮しないで。」と言ったことがある。先々週はその学生の体調が悪く自宅(常は寮生活)に帰ったようで来なかったがそれ以外はずっとしてくれている。ありがたいことだ。飯の支度ができない小生にとっては何とありがたいことか。感謝、感謝だ。
 
 7日(土)は今年3月から日本語を勉強しだした学生たちとバトミントンをした。彼らは皆バトミントンが上手だ。小生は少しやると疲れるため、すぐ休憩し、バトミントン待ちをしている学生たちと話をしていた。彼らの日本語はまだまだだ。でも、一生懸命に話しかけようとしている。この日も「先生は北京???」と言ったので「私は牧野です。私は北京ではありません」と答えた。ちょっと意地が悪かったかな。学生はおそらく「北京へ行きましたか」と訪ねたかったと思ったので、そのセンテンスを言い「北京へ行きました。」と答えた。また「〜へ行ったことがある。」このセンテンスはちょっと難しいようで、ある学生は、先輩学生に何度が聴き直しやっと「先生は杭州へ行ったことがありますか。」と質問してきた。「私は杭州へ行ったことがあります。」と答えた。学生は自分の発話が通じた喜び?を顔に表しているようだった。言いたいことがたくさんあるのに言えないジレッタサも顔に現れており、すぐに中国語で話しかけてくる。 いつも感じることだが本当に熱心な学生たちだ。

 8日(日)北京からたくさんの国宝が長沙の博物館に来たと聞いたので行ってきた。学校から歩いて行った。学生は道中、日本語で「しりとり」を始めた。日本での「しりとり」は名詞に限っていると思ったが、彼らは名詞、動詞、形容詞、副詞等習った日本語を言い合うのである。見事な練習法だ。歩きながら、楽しみながら復習しているのだ。今日も感心した。
 すごいお宝がいっぱい展示してあった。小生は毎年秋に開催される正倉院展に行っているが、比較にはならない。7000年前の壺、5000年前の甕いずれもいまでも通用する物だ。実に多くのお宝が展示してあり、時間の経つのも忘れて見入っていた。
 その後、彼らと遅い昼食を食べた。彼らの食欲にはいつも感心する。実に旺盛だ。それなのにあまり太っていない。

 今日も楽しい一日だった。

2007/04/06

屋外でのピンポン


 校内に大きな桐の樹があり、花が咲いている。花が咲くまで、その樹がなんの樹かわからなかった。花が咲いたので、ひょっとしたら桐かな?と思い学生に確かめてら、そうだと教えてくれた。 学校付近のいたるところに桐の樹があり、咲き終わった花がポトポト音を立てて落ちてくる。
 校内のグランドでは休み時間や朝、夕方に多くの学生がバスケット、バトミントンそれとピンポンをしている。屋外でピンポンをするのだ。ピンポン台とネットはコンクリート製?のようだ。昨日そのピンポンをした。風が少々あったが、春の日差しを浴びながら屋外するピンポンも楽しいもんだ。20分もしたら、もう汗ばんできた。当初4人で始めたが時々ほかの学生も加わり楽しいひと時だった。どの学生もピンポンが上手だ。さすがは卓球王国中国だと思った。
 夜、今年3月から日本語を学び始めたクラスの教室に行った。ほぼ全員が自習をしているようだった。小生が入っていくと「先生、先生」と言って話しかけてきた。しかし、まだまだ一ヶ月しか学んでいない学生たちの集団だ。思うことを日本語で発話できるわけがない。でも、熱心に話しかけてくる。時々中国語で話しかけてくるので「ティン ブ トン」(聞いて分からない)と答えている。そうすると誰かが知っている単語を使って、ちょっとおかしな日本語で話しかける。意味はなんとなく伝わってくる。それに彼らが理解できそうな単語を選んで答える。苦労する。でも楽しい。昨日も「日本語は簡単です。中国語は難しいです。」と言ったら彼らは「中国語は簡単、日本語は難しい」と答えた。その後一人の学生が「ははご」と言った。何を言っているかちょっと考えた。分かった。「母語」と言ったのだ。そこで黒板に「母語」と書いて説明した。このクラスの学生は「母語」を覚えたと思う。
 21時になるとベルが鳴る。いつもそれを合図に部屋に戻っている

2007/04/04

尼寺見学


 今日は学校から徒歩で20分のところにある開福寺へ行った。尼寺だった。
日本の尼寺から想像すると小さな寺を思うでしょうが、さすが中国です。大きな尼寺でした。聞けば10世紀はじめの創建だそうだ。建物は18世紀に再建されたとか。
 寺の門前には参拝客のための店がたくさんあった。寺の塀沿いには占い師が何人座っており、相談?している参拝者もいた。10元支払って中に入ると大きな線香をくれた。どうするのか分からなかったが、とにかく貰った。幾つかの建物が有り、どの建物にも異なった仏像が安置されていた。中にはなまめかしい姿の釈迦涅槃仏も安置されていた。日本の仏像とはちょっと違っていた。 参拝客は、真剣に中国式の参拝をしていた。
 見学途中で板(拍子木ではない)をたたきながら、歩いてきた尼さんがいた。何かなと思った。先ほど見学した建物に尼さんが集まって読経が始まった。その合図だったのだ。参拝客は堂の外に出されていた。
 ある場所では銅灯篭に赤い布が巻きつけてあり、その布に願い事を書いている若いカップルがいた。赤い布は大部分書かれてり、余白は上部のほんの一部しかないようで、男性が女性を持ちあげて、書かせていた。書き終わるのに2、3分ようした。途中で一回降ろし再度、抱っこしていた。お疲れさん。
 今日も楽しい一日だった。

2007/04/03

アクシデント


 長沙に来てはじめてアクシデントがあった。
眼鏡のフレームが折れたのだ。眼鏡がないと生活ができないため、海外旅行時はいつも予備の眼鏡を持って行く。予備眼鏡といっても15〜20年前に見にくくて新しいものに変えたときの古い眼鏡である。しょせん一時しのぎである。
 不安を抱きながら新しいフレームを買いに大きな眼鏡屋へ行った。フレ−ムを取り替えすればいいと思っていた。しかし、今のレンズを新たなフレームに、はめ込むのは難しいという。レンズが割れる恐れがあるというのだ。やむなく作ることにした。ちょっと不安になった。失礼だが検眼技術は、レンズの性能は、フレームは、かけ具合は等等不安材料が多かった。遠近両用眼鏡で乱視もある眼鏡だ。
 壊れた眼鏡のレンズを調べそれから検眼だ。検眼は日本よりかなり簡単だった。左目は今の眼鏡では十分は視力はないと言って、視力が回復できるレンズを付けて試しに歩いたり、手元を見たが、ちょっと耐えられないと思い、いちだん弱いレンズにした。次はフレーム選びだ。壊れたフレームを見てそれに見合ったフレームを見せてくれているようだ。適当なフレームがあったのでそれに決めた。
 当然のことだが小生一人で眼鏡屋へ行ったのではない。当然通訳の学生同伴だ。学生は眼鏡の値段は当初○○元程度と思っていたようだ。店員が見せたフレームの値段を見てビックリしていた。レンズの値段を聞いて学生はまたまたビックリ。でも、小生にとって眼鏡は体の一部のため適当な代物を選んだ。カードで支払う予定であったがなぜか、持っていたカードは使えないという。やむを得ずその日は一部の現金を支払った。10日後に出来上がった。受け取りに行くと店員が眼鏡を渡すだけではないか。かけ具合がちょっと気になったのでその旨を伝えると、2階へ案内された。そこでこちらのかけ具合の希望を学生を通じて伝えた。その間ずっと立っての応対だ。いろいろなやり取りをしていたら、店員が「どうぞ」という仕草をして椅子に座るよう小生の前に出した。座って待っていると調整が終わった。かけ具合は良くなった。
 その店を出て、学生に言った。あの眼鏡屋は一流かも知れないが、お客様へのサービス、お客様対応は日本と比べるとかなり・・・だねと。すると学生は「先生が外国人なので、店員たちは緊張していたんです。」と言った。
 そうだ、学生は中国人だった。(小生は授業で「ビジネスマナー」も担当しているので授業の一環?として教えたつもりだった。)もう少し別な言い方をすれば良かった。
  小生の安易な発言?を学生に教えられた。

2007/04/02

岳麓山登山


 3月31日土曜日。
 ある貿易会社の日本語を習っている人たちと長沙市内の岳麓山に登った。ほとんどは若い女性社員だが、ひとりだけ社長の父親で61歳の人がいた。小生と同年代だ。2週間ぐらい前にその会社で日本語会話をしたことがあった。その時その男性と知り合った。今回名前を聞いた。鄭雲庭さんと言うそうだ。もと警察官で定年退職したとのこと。境遇、価値観等、小生とよく似ており、とても気があった。 今回の岳麓山登山もそんなわけで誘っていただけたようだ。鄭さんの片言の日本語と小生の片言の中国語とでの「ちょっと変わった?会話」ではお互いの意思疎通は思うようにできないが、お互い何か感じあうものがあったと思う。彼はとても親切だ。ベンチに腰掛けようとすると、「先生、ちょっと座らないで。」と言っているような仕草でベンチを拭き「さあ、どうぞ」と言っているような仕草をする。車が来ると「危ないですよ」と言わんばかりに小生の腕に触れて安全誘導をしてくれるのだ。
 
 頂上付近を散策していると男女4人グループの一人の男性の携帯電話?から「上を向いて歩こう」の歌が聞こえてきた。すぐその男性に「これは日本の歌ですよ」と言ったが日本語ゆえ通じるわけがなかった。日本語が比較的良くできる若い女性が通訳をした。彼らはとても喜んで、小生に歌えと言ってきた。小声で歌った。彼らはさらに喜んだ表情をしていた。異国でこの歌を歌うとは夢にも思わなかった。こちらも楽しかった。
 途中、鄭さんが小生の日本の住所を尋ねたので住所交換をした。

 その日は朝8時半に鄭さんの息子さんが迎えに来てくれ、麓まで送ってくれた。とても暑い日で30℃を超え、Tシャツ一枚で汗を掻き掻き登山した。
 昼食は下山後麓のレストラン?で食べた。9人でたらふく食べて130元(2100円)だって。安いこと安いこと。

 今日も楽しい一日だった。

2007/03/31

中国での花見


 昨日、学生3人と植物園に桜を見に行った。学校を12時半に出発。
それほど期待をしていなかったが、思ったよりきれいだった。
ソメイヨシノとは違うようだが、花弁はよく似ていた。すこし遅かったようで

「落下盛ん」も過ぎ木々にうっすらとピンクの花が残っている状態であった。

5、6日前はさぞかしきれいだったことだろう。桜並み木、桜のトンネルまる

で日本と同じだ。学生と話しながら歩いていると、中学生?が「おはようございます」と声をかけてきた。昼の3時ごろのことだ。アニメで覚えた挨拶のようだ。そういえば学生の中にも昼にあっても「おはようございます」と言う学生がいることも思い出した。
 
 また、学生風のグループが日本語で話しかけてきた。なんとか大学といって

いた。去年の9月から日本語を学び始めたようで数人がかわるがわる話をしてき

た。実に積極的だ。そのうち一緒に写真をとりたいと言っている様だった。O

Kと言ったら全員一緒ではなくひとり一人と撮るようだ。普通の日本語を話し

ているだけで若い人の人気?の的になっているようで、ちょっと変な感じがし

た。でも、正直悪い気はしなかったが体がくすぐったいような感じがした。
 そういえば、植物園内で馬にも乗った。1周10元(160円)だった。

 植物園はかなり広くこの日はかなり歩いた。少々疲れた。バス停まで歩いてくると学生が「先生、どうぞ」と言って小生一人にパイナップルを渡すのではないか。遠慮せずにありがたく貰った。口が渇いていたので美味かった。

 今日の費用(入場料、バス代、タクシー代等)は学生がすべて支払ったので帰りに歩行街(歩行者天国)の大きな居酒屋(ワンフロー、定員約300人)で鍋料理をご馳走した。小生はビール一本、2元(32円)を飲み学生はなんとか牛乳一缶4元を飲んだ。4人で約50元(800円)ほどだった。
 
 学校に帰ったのは8時ごろだったかな。

 今日も楽しい一日だった。

2007/03/29

今日の晩餐会?


今日、長沙に来てから2回目の風呂屋へ行った。二日前に範先生が「木曜日の夜、予定がありますか」と言われたので「何もないです」と答えた。「お風呂に行きましょうか」ありがたいですね。嬉しかったよ。
 ところが木曜日の夜は他の用事が入ったため、午後2時から行くこととなった。久しぶりの風呂で気持ちよかった。風呂上りのビールを少々いただき、のんびりとしたひと時をすごした。4時半ごろ学校に帰った。
 
 夕方6時からは長沙市中日友好協会の雷副会長、長沙市人民政府外事弁公室の袁副所長、師さんならびに長沙市旅遊局の鄭所長との晩餐会があった。もちろん範先生夫妻と同僚の東先生も一緒だ。風呂へ行く時間が変更になったのはこの用事のためだった。 この会の目的はなんだったのか。今も分からない。(なんとなくは分かるような気がしないでもないが・・・)
3月9日は袁さん、師さん、鄭さんと一緒に食事をした。こちらも目的はちょっと・・・。でも、いい人たちゆえ楽しいひと時だった。当然、中国語での会話が主体のため全員笑い声を出しているのに小生一人だけ、笑えない。ちょっと寂しい気もしたが、しょうがないことだ。劉先生(範先生の奥さん)と師さんが時々気を使って通訳をしてくれた。ありがたかった。うれしかった。
  
 夜8時ごろ学校へ帰った。家に帰らず今日も教室へ行った。今日は小生が教えていないクラスに始めて入った。日本語を学び始めた直後のクラスだ。彼らはタドタドシイ日本語で一生懸命に話しかける。日本語が通じないと今度は中国語で話しかける。実におもしろい会話だ。要所要所は正しい日本語に修正しながら会話した。聞き取れない言葉、単語は黒板に書きながら会話をした。小生が毎朝散歩していると言ったら彼らも行きたいと言い出し、明朝7時から一緒に散歩することとなった。散歩しながらどんな会話ができるか明日も楽しみな日になりそうだ。

2007/03/27

あ、しまった。


 昨夜8時、教室に行こうと家を出た。夕方まで雨が降っていたので傘を持った。ここまでは良かったが、部屋の鍵を持たずにドアを閉めてしまった。すぐに気がついたが,もうどうしようもない。職員室に行くも今日に限って誰もいない。教室に行き学生に、鍵を部屋に入れたままロックした旨を伝え、救助?をたのんだ。すぐ先生に連絡してくれた。「先生は初めてでしょう。前の○○先生は3回もしましたよ。」だって。
 前任者から聞いていたので十分な対応をしていたつもりだったが・・・。家に帰られた先生が小生の「うっかりミス」のために学校に来ていただいて解決。いやー、申し訳ないと同時に情けないやら、恥ずかしいやら。
 
 ある教室では学生たちがダンスの練習をしていた。「先生も踊りませんか」と言われたが彼らのダンスはとてもとてもできないので断った。
  ある教室では会話練習をしているもの、精読、書き取り、文法等どの学生も熱心に勉強していた。昨日も彼らと「活きた日本語会話」を楽しんだ。彼らにとって助詞の使い方は本当に難しいと思う。彼らが質問した日本語を小生が「正しい日本語」で復唱し、その後返事をしている。この手法でいいなか、どの手法がいいのか。もちろん学生によって使い分けているがこれも試行錯誤だ。未習単語も多く会話は大変だ。しかし、彼らも会話を楽しんでいるようだ。
 
  学生と教師どちらも勉強中だ。

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