永谷元宏の「長沙日語学院 友好の輪
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福島顕二郎の長沙教師録〜未来への道が完成(文字クリック)

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長沙日語教師録  
「コメント」



  
     

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2007/05/03

黄金周の学校


 久しぶりに昼寝をした。2時半ごろ教室へ行った。 学生が2人いた。 ひとりは机に伏して眠っていた。午前中に会った時、昨日遅くまでインターネットしていたと言っていた学生だ。ひとりは復習していた。彼は3月に入学した学生だ。長沙に来るとき仲間からもらった「初級日本語文法 総まとめポイント20」と言う本を彼に渡した。助詞の「に、で、を、へ、は、が、から等」の使い方の練習問題だ。彼が3、4問した時、もう一人の学生が入ってきた。2人で解きだした。勉強して2ヶ月弱の学生にはまだ難しい問題だ。彼らは真剣に解いている。ふたりで「に」だ、いや「で」だと言いながら必死に解いている。熱心だ。
 その本を彼らに貸して小生は部屋へ戻った。今晩教室へ行った時に返してくれると言っていた。
 
 7月に卒業する学生と夕飯を一緒に食べに行った。彼らには別の本を渡した。日本語能力検定1、2級の聴解問題だ。CDを聴き質問に答える問題だ。ひとりの学生はまあまあだ。彼女は今年、2級を受験するそうだ。もうひとりは苦労していた。いくつかの単語が分からないようで、全体の意味が理解できないようだ。(CDプレイヤーはゴールデンウィーク中、学校から借用)そこで
本を変えてみた。「日本語の文型と表現59 中級へ行こう」と言う本だ。まずはCDの聴き取りだ。聴き取りは文章中の(    )を埋める問題なので、この本のほうがちょっと簡単だ。 それから文章の内容に関する質問に答えるのだが、これが大変だった。文章を何回も読んでいたが二人とも正解ではない。彼らにもこの本を貸した。 夜7時半頃教室へ行った。 今日は閑散としていた。 昼間、問題集を貸した学生達しかいなかった。3月に入学した学生には難しい問題だが彼らは実に真剣に取り組んでいる。熱いものが伝わってくる。こちらもついつい熱が入る。でも、彼らが中国語で質問することは理解できないので、いくつかの例を挙げて答え理解を求めている。手さぐりで教えているのだ。日本語教師としては失格かもしれないが、小生の能力はこの程度だ。彼らは少しは理解したようだった。あとは中国の先生が教える文法でしっかりとマスターすることを願っている。
 黄金周、学生の数は少ないが熱心な学生が残っているので退屈はしない。 学生あっての教師?です。

  ありがとう、学生さん。
  ありがとうございます、お客さま。

2007/05/01

 黄金周初日


  今日からゴールデンウィークの始まりだ。
多くの学生は実家へ帰り、残っている学生はほんのわずかだ。残っている学生に聞けば、ある学生は「もうすぐ卒業(7月始め)です。日本語を勉強する時間が少ない。勉強します。」と言った。ある学生は「早く日本語を覚えます。」またある学生は「家へ帰りたい。家に帰ると勉強できない。学校で勉強する。」と言う。遠くて帰るのが大変だと言う学生もいるが、遠いからこそ黄金周でないと帰れないと思うが…彼の本心は? なぜか2日に帰ると言う学生もいる。また今晩、学校へ帰って来た学生もいるそうだ。
 熱心な学生の手助けが少しでもできればと思っている。ありがたい事に小生のような教師?でも、残っている学生にとっては「励み」になるそうだ。
 今朝も今年3月に入学した学生2人と学校近くの湘江と言う大河の河川公園を散歩した。公園ではベンチに座り彼らの質問に答えているうちに日本語教室?が始まった。ひとりの学生は日記を書いているとか。その日記を見てくれと言ったので添削した。今年3月から日本語を学んだ学生とは思えないほど上手だ。でもまだ2ヶ月弱だ。助詞の間違いは当然ある。指摘すれば気がつくことが多い。熱心な学生だと感心している。 
 今日は昨日の夜より人が多かった。帰らない学生がこれだけいたのかと思うほどだ。今年入学した学生のクラスは賑やかだ。大声で話している。当然中国語だ。彼らが小生に質問することは大体決まっている。「長沙の生活慣れますか。」と言うとある学生は「慣れましたか。」と訂正する。「晩ご飯何を食べますか」と言えば「何を食べましたか。」と言いなおしている。教科書で習った文章を聞くのだ。
 隣のクラスへ行くと静かに勉強していた。彼らと話していたら明日の昼飯を作ってくれることになった。明日の10時に来てくれるそうだ。ありがたいねえ。料理をしたことのない小生にとっては本当に助かるよ。ありがたいことだ。昨日までは昼、夜とも先生に作っていただいていた。今日から黄金周ゆえ、学校は休みなので正直困っていた。今晩は一人で近所の食堂へ食べに行った。
 明日も楽しい一日になりそうだ。

2007/04/28

どんな黄金周?


 日本では28日からゴールデンウィークがスタートしましたね。ここ中国では5月1日からです。なぜか分からないが今日28日(土)は5月4日(金)の振り替え授業を行い、明日30日(日)は7日(月)の振り替え授業をするんです。
 今朝の散歩時、小・中学生も出校してるんですよ。黄金周(ゴールデンウィーク)の前は毎年こうなんですかねえ。ちょっと不思議に思っています。理由はなんでしょうかねえ?疑問を抱いています?
 学生の中には昨日(27日)ふるさとへ帰った者をいるようです。ある学生は広州、深セン方面で就職活動をするとか言っていましたよ。多くの学生がふるさとへ帰るようです。昨晩、教室へ行ったところ黄金周前でか学生は少なかったですよ。4、5人の学生と雑談をしていました。ひとり学校は残り勉強すると言っていました。他のクラスにも残りますと言っていた学生もいるので黄金周は彼らに遊んでもらおうと思っています。
 先日、ある男の先生が「先生の黄金周の予定は?」と尋ねられたので「なにもありめせん。学校にいます。」と言ったら「では、○○へ行きませんか。」と誘っていただいた。○○は場所(地方)の名前だと思ったが何処だか分からないが「お願いします。」と答えた。これで一日は予定が入った。黄金周の前半に行くようだ。日時決定しだい電話をいただけることになっている。
 どんな黄金周になるかな?

2007/04/26

鉄板焼の店


 昨晩教室へ行ったとき、食事の話になった。「先生は何が好きですか。」「私は辛いもの以外は何でも好きです」と答えた。そうすると「先生、鉄板焼き好きですか。」「大好きです」「明日一緒に行きませんか」「OK、連れて行ってください」と言った。場所を聞いたところ紅星スーパーの前にあると言う。そのスーパーは知っているがその付近には鉄板焼きの店はないと思うが…。
 今日待ち合わせ場所である教室へ夕方5時に行った。彼らは自習していた。作文を書いていた学生が、作文を見てくれと言ってきた。昨晩もちょっと見て、アドバイスした学生だ。タイトルは「私の母」だ。今日見て驚いた。とてもよい表現で母への感謝の意を表していた。文章から彼女の母を思う心がスゴーク伝わってきた。日本語を学んで2ヶ月弱とは思えない表現だった。当然ながら意味不明?の箇所もあったので、そこは中国語と日本語、両国の言葉を話したり書いたりして意味を確認しちょっとアドバイスした。彼女が知っている日本語はまだ少ないので、アドバイス時も骨が折れた。だから楽しみも大きい。 きっと彼女の日本語上達は早いと思う。 加油、加油学生諸君。
 それから、食事に行った。店はどこだろうと思ってスーパーの前まで来た。学生の言うとおりその鉄板焼きの店はスーパーの前にあった。屋台だった。屋台とは思っても見なかった。その屋台の向かいのワンタンの店では1週間ほど前に食べたことがあった。「先生、なに食べますか。」「辛いものは食べれません。辛くないものは何でも食べます。」と言い注文はまかせた。そうすると「キャベツ、たまねぎ、じゃがいも、レンコン、香干(豆腐の一種)、米豆腐」の鉄板焼きだ。丸い椅子が2脚あったので小生は座って食べた。学生達はその場に立って食べていた。もちろん片言の日本語で話しながら食べたのだ。時々変な日本語で意味不明?の時もあるが、おおむね彼らが言おうとすることは理解できるので会話は成り立っていた。
 今日も楽しい日だった。
 ありがとう、3人の学生。ごちそうさま3人の学生。
 

2007/04/24

童謡「ふるさと」


毛沢東の生家に行った日の帰りに学生達と一緒に晩飯を食べた。学校の正門から2、3軒目の食堂?だ。3日前にある先生が連れて行った下さったところだ。中国の下町らしい?庶民的な食堂だ。一人ではとても入れない?食堂だ。3日前の料理は美味しいとは思わなかった。その日はとても暑い日で汗もかき腹も減っていたので?美味いと感じた。でも、ご飯はちょっと・・・。(ぱさぱさで口に合わない。校内食堂も同じだ。やはり日本の米が一番だ。)その日はのども渇いていたので学生にビールを所望した。その食堂にはビールがないのだ。当然あると思って頼んだのだ。学生が近所の酒屋へ買いに行き冷えたビールとジュースを提げて戻ってきた。面倒掛けてごめんなさい、学生さん。
 そのビールの美味かったこと。女学生は一人も飲まないので、男子学生と飲んだ。本当に美味かった。乾杯、乾杯と3、4回乾杯をした。中国は何回も乾杯をするのだ。この乾杯にも慣れてきた。だんだん話しが弾み盛り上がってきた? 中国語はわからないが雰囲気でそう感じた。
 昼間行った毛沢東の生家をなんとなく思い出していた。そうすると小学校時代に歌った「ふるさと」と言う童謡が口から出てきた。
  ウサギ追いし かの山  小鮒釣りし かの川
  夢はいつもめぐりて 忘れがたきふるさと
  こころざしを 果たして いつの日にか 帰らん
  山は青きふるさと 水は清きふるさと
 学生から時々「日本の歌を歌ってください」と言われるが、いつも断っていた。しかし、この日は歌いたくなったのだ。なぜか「ふるさと」を思い出していた。それも我が愛する細君ではなく、とっくに亡くなった祖父母と母をだ。毛沢東の生家にあった農機具、生活用具等も見て思い出したのかもしれない。
 学生達の前で歌った。歌わさせてもらった。気分がよかった。歌っていて胸にジーンとくるものがあった。これも異国での生活が2ヶ月になるからか。それとも歳のせいか。とにかく「ふるさと」を感じたのだ。
 自分の歌う歌でジーンときたのはもちろん初めての経験だ。
 ありがとう学生の諸君。よくぞ聴いてくれた。ありがとう。

2007/04/23

毛沢東の生家訪問


 
 今年3月に入学した学生達(計18人)と毛沢東の生家へ行った。一週間ほど前に「先生もどうですか」と誘われたので、彼らとの旅を楽しみにしていた。 以前ツアーガイドをしていた学生がおり彼が計画をしたそうだ。当日は学校の正門に7時集合、小生は10分前に行ったが誰もいなかった。5分前になっても誰も来ない。7時にやっとツアーガイドの彼が来た。続いて多くの学生が来た。10分過ぎに来た学生もいた。彼らはそれから学校付近の食堂?で朝食だ。なんと出発したのは7時半だ。ああ、ここは中国だったとつくづく感じた。
 長沙駅を8時18分発の汽車に乗り「ショウ山」に着いたのは11時少し前だった。チャーターバスで目的地へ向かった。
 まずは毛沢東の銅像広場へ。多くの人がいた。銅像前では記念撮影する団体が何組もいた。我々も記念写真を撮った。
 毛沢東の生家付近はいい所だった。山、池、木々、畑等いい景色だ。なにか懐かしいものを感じた。見学者のなんと多いことか。生家に入るのに100人ほど並んでいた。連休前(中国も5月始めはゴールデンウィーク)から徐々に観光客は増えるとか。連休は日本以上に混むそうだ。生家に入ると小生が小学生の時に家にあった道具、用具があった。とても懐かしい。もうすでに亡くな
った祖父母と母を思い出した。中国と日本は同じ文化、同じ民族だったのだ?とも感じられた。
 現地の案内は我らの学校事務員の毛さんが説明してくれた。聞けば彼女は前ガイドをしていたそうだ。分かりやすい説明?か学生達はうなずきながら聞いており、時々質問もしていた。しかし、中国語での説明ゆえ小生ひとり蚊帳の外だ。でも、時おり気を使って「先生」と言って日本語で説明してくれた。ありがとう、毛沢東の身内?の毛さん。
 記念館のある所は公園になっており、建物もあちこちに散在しておりのんびりと見学できた。毛沢東の両親のこと、誕生、子供時代、青年時代以降、世を去るまで毛沢東のすべてが展示してある。
 毛沢東という人は中国にとって、とても偉大な人物であったとあらためて実感した旅だった。
 汽車の旅もいいもんだ。汽車に乗り最初にビックリしたことは指定席であるのに乗車したとき我々の席に先客がいるのだ。行きも帰りもだ。学生は何も言わずにどうしようかという感じで見ている。小生の席にも先客がいたので「ここは私の席ですよ。」と日本語で言うと彼は席を立ち去った。 ツアーガイドをしていた学生が仲間の学生の席に座っていた客に中国語で何か話しをしたら
、彼らはシブシブ席を立った。車内では菓子類をよく食べること。日本では見かけないひまわりの種もみんなよく食べている。最近、時々このひまわりの種をいただき食べることがある。少し食べ慣れてきたのかもしれないが学生と話しながら、このひまわりの種をたくさん食べたのである。食べだすとやめられない?感じだ。食べながら「ひょっとしたら、中国人になったのかな?」とひ
とりで苦笑していた。
 帰りの車内ではひとりの学生の質問に答えているうちに、2人、3人、4人と学生が増えてきて、気づいたら「日本語教室」を開いていた。彼らは本当に熱心だ。日本語を習い始めて2ヶ月にならない学生達が次から次へと日本語で質問するのだ。小生が答えたことをノートに書いているのだ。なんとノートを持ってきているのだ。感心した。あっという間に長沙駅に着いた。
 きょうもステキな一日だった。

 その翌日の夕方、彼らの教室に行く感謝の意を表し、費用を支払おうとしたら全員一斉に「受け取れません?(中国語で)」と言っているようだった。それから日本語で少し話したが、彼らも感謝の意を表し、かたくなに受け取ろうとしない。ありがたく彼らの意に従った。ありがとう、諸君。彼らの教室で正式に教える教科はないが、これからも夜の自習時間に遊びに行き、彼らが少し
でも流暢な日本語会話ができるような手助けをしたい。
 帰ろうとすると二人の学生が小生の晩飯を作ってくれると言った。ありがたい。晩飯をどこかへ食べに行こうと思っていたので、即彼らにお願いした。
材料は買いに行かずに家にある物を活用して作ったのだ。若いふたりと一緒に食べた。今日の晩飯も美味かった。 本当に感謝、感謝だ。
 

2007/04/21

敬語はむつかしい


 小生の担当授業は「会話」と「ビジネスマナー」である。文法は中国人の先生が教えている。先週は敬語について授業した。彼らはもうすでに敬語は習っているがまだまだ使うことはできない。日本語能力テストの敬語はできたとしても会話での使用はとてもできそうにない。日本人でも大変なので彼らにとってはなおさらだ。でも、「会話」の授業を担当しているのでその敬語がいま少し使えるようにさせたい。彼らならできるはずだ。そこで、先週は敬語を使った会話練習をしようと思った。しかし、テキストに掲載されている「好ましくない用語」を「正しい用語」に直す、あるいは「好ましくない言葉使い」を「正しい使い方」に直すことが出来ないのである。日本人でもちょっと難しいものがある。皆さんはできますか?たとえば:「お待ちどうさまでした、年配の人、ご主人」等を正しい用語に直せますか?
 そこで今日は名刺交換を通して敬語を使おうとした。しかし、彼らは名刺交換の仕方だけで精一杯だった。敬語を使うことはできなく、名刺交換の仕方を教えただけになってしまった。今度は敬語を使わなければならないような状況を設定した授業をしたい。

 授業中に時計を見たら停まっていいるではないか。近くのスーパーに行き電池交換をしたら動き出した。8元(130円)だって。  なんと安いことか。

2007/04/20

夜の教室風景


 多くの学生は毎晩7時から9時半ごろまで教室で自習している。この学校に赴任した時(3月初)はとても寒かったが教室には暖房設備もない。でも彼らは熱心に自習していた。大きな声を出し教科書を読んでいる学生、単語を大声で繰り返し言っている学生、黒板に単語を書いて覚えている学生、二人一組で覚えあっている学生等活気がある、熱気がある風景だ。ちょっと大げさに言えば胸にジーンとくるものがある。
 一昨日の夜、教室で学生から質問を受けた。「〜思う」と「〜思われる」はどう違うのか?同じか? 日本人が「自然に使い分けている言葉」についての質問に対し、彼らが理解できる言葉で即答できる能力がない。説明したが学生は理解したという顔つきをしていない。そこで帰宅後、文法書をあらためて読んだ。彼に説明できそうな語彙、例文があった。
 昨夜説明をした。彼は理解できたと言う顔つきをして、感謝の意を表した。おそらく中国人の先生は日本語を外国語として学んでいるので即答できるであろう。 
 今日も、学生のおかげであらためて日本語を学んだ。

2007/04/17

毎朝の散歩


 昨日の朝、いつものように学校近くの湘江という大河へ散歩に行った。今年3月に入学した学生二人に会った。彼らは教科書を持参しての散歩、いや勉強しに来ていたのだ。ベンチに腰掛、教科書を開いて勉強しだすところだった。 小生を見つけると「先生」と言って立ち上がった。彼らと一緒に散歩することになった。日本語を勉強し始めてまだ、1ヵ月半だ。上手く話せるわけがない。彼らは教科書を見ながら質問し、それにゆっくり、言葉を選んで答える。これがまた楽しい。二人は相談しながら質問するのだ。思い出せない単語や知らない単語は中国語で話し合っている。聞き取れる中国語もたまにあるが、そこは知らない振りをして彼らの発話を待っている。そのうちどちらかが思い出す。考えながらの散歩ゆえ、歩くスピードはゆっくりだ。途中で雨が降り出してきた。一人の学生が傘を持っており、小生に「どうぞ」と言って渡すのである。恐縮した。一つの傘に3人が入った。途中の大屋根ドームで雨宿りした。40分経っても、いっこうにやまない。ますます大降りになってきた。タクシーで帰ろうと彼らを誘った。学校に着き支払おうとしたら学生がすばやく支払ったのだ。小生が誘ったのだから払うのが当然だが、学生は受け取ろうとはしない。彼らに借りを作った。この借りは日本語を教えることで返そうと思う。ありがとう、2人の学生。
 
 湘江を散歩する時、いつも思うことだが、朝のひと時を楽しんでいる人たちが多い。 太極拳、凧揚げ、女性コーラス(65歳以上?)、老人体操グループ、ダンス、フラフープ、ジョギング、釣り、英語を大きな声で話している学生、二胡、テナーサックス、後ろ向き歩行、小鳥を鳴かせているグループ、幼稚園児?の倒立後転等実に様々な光景が見られる。どの人も朝の時間をゆったりと楽しんでいるようだ。大部分は定年退職後の人々たちだ。変わったところでは朝から抱き合っている若人もいる。 また、ところどころに屋外用トレーニング道具が設置されており、老若男女が利用している。
 小生は学校が夏休みになるまで長沙にいるので、朝の散歩をもっと楽しもうと思っている。

2007/04/16

新しい友達作り?


 長沙に来て床屋へ行ったのは先月、学院長に連れて行っていただいたのと,今回の2回だ。学校近くの美容院へ一人で行ってきた。店員?がペラペラペラと中国語でまくしたてた。「20元(320円)」だけは聞き取れたので入った。
 「こんにちは」と言ったら店員?とお客さんもビックリした表情で小生を一斉に見たような気がした。「ちょっと短くしてください」と言ったがそれが通じるわけがない。 そのうち何人かが寄ってきて色々と話しかける。「チェン トウファ(髪を切る)」が聞き取れたので「そうだ」と言った。それからが面白かった。たぶん、どんな髪型にするのか?と尋ねていたんだと思う。でも、中国語で答える能力がない。「少し短くしてください」と中国語で言ったつもりだが通じなかった。そこで字を書いた。相手が理解したがどうか分からなかったが、「まあ、座って下さい」とジェスチャーで促した。まずは洗髪、それから調髪だ。調髪時に青年と片言の中国語で話し会話?を楽しんだ。彼はいろいろと質問してきた。「韓国人か、歳は、どのくらい中国に住んでいるか、今何をしているのか、家族は何人か等等。彼は28歳で独身だと言っていた。
 感じのいい青年だった。学生に床屋へ一人で行ったと言ったらビックリしていた。また、「20元は高い。先生、だまされた」とも言った。
 これから友達になれるかな? また、楽しみが増えた

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