永谷元宏の「長沙日語学院 友好の輪
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福島顕二郎の長沙教師録〜未来への道が完成(文字クリック)

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長沙日語教師録  
「コメント」



  
     

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2007/05/23

日本語能力検定試験申し込み


  中国では5月21日(月)から日本語能力試験2級の申し込みが開始された。よってその日の午後は休校だった。なぜ休校になるかその時は分からなかった。しかし今日(22日)理解できた。学生はインターネットで申し込みをするのだ。今、中国では多くの人が日本語を学んでいるそうだ。その人たちが一斉に申し込みをするのでインターネットがそう簡単に接続できるはずがない。今朝10時ごろひとりの学生と校庭で会った。今は授業中のはずなのにと思った。彼女に聞いたら「昨日の夜から2級の申し込みをしていました。しかしまだ申し込みできません。」と憔悴した顔で言うのではないか。インターネットカフェで徹夜したようだ。小生の担当授業は午後からだったので2時に教室へ行ったところ学生は3、4人しかいなかった。聞けば他の学生は2級の申し込みをしているという。大変だ。試験会場は長沙市内はじめ中国のアチコチで行われるらしい。自分の希望する受験会場が定員オーボーすればそこでは受けられない。他の試験会場に行かなければならないらしい。彼らが焦っている理由はここにもあるようだ。
 せっかく一生懸命に日本語を学んでいるのに受験申し込みに大きなハードルがあるとは思いもしなかった。ひとりの学生が授業中、いつもと違う顔つきで入ってきた。顔を見て、まだ申し込みが出来ないとすぐに分かった。彼女は真剣なまなざしで「先生、どうすればいいですか?」と問うた。これだけはどうすることも出来ない。小生が話そうとした時、廊下で同僚の呼ぶ声が聞こえたと思ったら彼女は飛び出して行った。
 夜、あるクラスへ行くと学生達は全員申し込み出来たと言って、祝杯を挙げていた。彼らは「みんなの団結です」と言っていた。確かにそのクラスはチームワークがいい。どのような方法で全員の受験申し込みが出来たか知らないが、とにかくおめでとう。
 学生達が全員希望地で受験できるのを願っている。

2007/05/22

10元(160円)の床屋


 床屋へ行こうと思い学校の正門を出る時なにげなく守衛室に入った。3人の守衛さんと話していたら20元の床屋は高いと言う。そういえば学生も高いと言っていた。守衛さんにイクラだと聞いたら5元(80円)と答えた。それは確かに安い。そこで今日は別の床屋へ行くことにした。途中果物屋の前を通ると、そこの青年がどこへ行くかと尋ねたので「床屋へ行く」と答えた。彼にも床屋はイクラだと聞いたがやはり5元と答えた。 ちょっとコギレイナ床屋へ行きたいと思い探し歩いた。学校から5分ぐらいの所にまあまあの床屋があった。午後3時ごろだったが、客は誰もいない。「こんにちは」と言って入った。店員?は4人いた。女性二人(20代と30代?)と男性二人(20代)だ。ペラペラペラと長沙弁でまくし立てているように聞こえた。2、3人同時に話しかけるのだ。チンプンカンプンだ。「剪頭髪」と言ったら、またまたペラペラペラと言っている。じっくり聞いていたら、ヘアースタイルは?と言っているようだ。坊主頭同然の小生はヘアースタイルなど無いと同じだ。そこで少し短くしてくれと言ったつもりだが、どうも通じてないようだ。イクラだと聞いたら10元だと答えた。まあいいかと思い席に着いた。まずは洗髪だ。その後ハサミとバリカンで調髪した。丁寧にやっているような気がした。 無事調髪が終わった。
 長沙に来て最初に行った床屋は五星認定の美容院だった。洗髪、マッサージ、調髪、洗髪そして仕上げ等すべて念入りに行われたような気がする。どのパートでも茶のサービスがあり確かに調髪以外の付加価値も高い。値段は学院長に支払っていただいたので分からない。今までの20元の床屋はマッサージはなく調髪以外のサービスは皆無だ。今回の床屋も調髪のみだ。調髪後、店を出て気がついたがTシャツに散髪した髪が付着していた。「まあいいか調髪できれば」、これからは、しばらくここの床屋に行こうと思った。 
 今日も新たな出会いがあった。(写真の若者が調髪)

2007/05/21

ウシガエル


  5月20日学院長に誘われて釣りに行って来た。朝8時過ぎに学校まで迎えに来ていただき空港付近の釣堀に行った。 すでに先客7、8が人釣っていた。釣堀ではレ
ストラン、カラオケ、マージャン、ビリーヤード等を併設しており朝9時からボリュームを最大?してカラオケ(窓開放)で歌っているのではないか。歌っている人は大満足だろう。しかし、小生は田舎ののんびりした情景がだいなしだと感じた。日本でも釣りをしたことの無い者が中国で始めて釣りをしたのだ。釣りは魚が餌を食えば「手ごたえがある」と思っていた。とんでもなかった。浮きを見てその浮きのちょっとした動きを見逃がさずにさ竿を揚げるようだ。タイミングがとても難しい。経験の無いものが上手く釣れるわけが無い。でも楽しかった。釣竿の先に赤とんぼ(日本の種類とは違う)が留まりじっとしている。のどかだ。また、浮きにも糸トンボが留まるではないか。大木の木陰で椅子に座りながらのんびりと過ごす至福のひと時、いいもんだ。中国に来てのんびりと生活していると思っていたが、今日は「最高の日」だと感じていた。釣の成績はゼロだったが、それ以上に成果?のある日だった。学院長は釣が趣味だとおっしゃっていた通り7尾の成績だ。昼飯はそこのレストラン?でいただいた。田舎料理だそうだ。サツマイモの葉は初めて食べた。美味かった。ウシガエル(食用蛙)は日本で2回食べたことがあるが料理方法が異なり、野菜と一緒に煮てある。これも絶品だ。ビールも少々いただき、今日も最高な一日だった。
 学院長、ありがとうございました。

2007/05/19

スピーチコンテスト


  昨日は日本語学校のスピーチコンテストだった。今年の3月から日本語を学び始めた学生も参加した。実に内容がいい。テーマは「私の友達、私の母、中日関係、
日本の昔話、日本の風習、日本のアニメ等」多彩でみな自分の言葉で話している。緊張している学生が多かったようだが彼らの思いは伝わってきた。優勝者は日本語を学んで1年半弱の学生だった。彼女は内容もまとまっており自分の考え方をハッキリ述べており好感が持てた。何よりも良かった点は態度、表情そしてゆっくりと語りかけるような口調だった。小生も彼女が一番だと思っ。日本語暦3ヶ月弱の学生も表情豊かでゆっくり、はきはきと話した学生は上位に入っていた。内容は良いが声が小さい学生は残念な結果となった。放送設備があればよかったかも・・・。
 発表した学生は推敲を繰りかえりし、日本語の発音、話し方を練習し、この日を迎えたと思う。入賞しなかった学生も日本語能力が向上したこと間違いなしだ。学
生諸君、お疲れさま。
 でも、ちょっと気になることがあった。それは聴衆学生の私語だ。声が小さく聞き取りにくい発表者の場合は特に気になった。最近日本でも増えている嫌いがあるが残念だ。人の発表を聞くことも日本語の勉強になるのに、もったいない事だ。残念なことだ。このことは学生に伝えなければと思った。 さっそく彼らに話そう。
 

2007/05/15

西安での異文化?


 学生の案内で親友と5月10日から14日まで西安へ行った。感じるものが多い旅だった。
 初日、ホテルに着くと学生の友達?が待っていた。聞けばその友達とは一度も会ったことがないと言う。その友達が夕食をご馳走してくれたのだ。餃子で有名な店だそうだ。初めての餃子、それはアワビ、薔薇、鳩、蟹それに則天武后が好んで食べたと言う真珠の餃子鍋も食べた。美味しかった。
 ビックリしたのは一度も会ったことのない友達がなぜそのような接待をしてくれたのか。学生とその友とは仕事を通じの知り合いだと言う。年齢も15歳以上は離れているように見える。でもそのふたりは無二の親友が久しぶりに会ったように2時間、話が途切れることなく楽しそうに会話している。もちろん中国語ゆえチンプンカンプンで何を話しているかは分からない。でも表情から楽しそうな雰囲気がうかがえる。日本人の小生には理解できない初日だった。
 二日目、三日目は乗り合い観光バスの旅をした。二日目そのバスに乗って最初に感じたことは「車内禁煙」の表示があるにもかかわらず堂々と喫煙しているのではないか。よく見れば運転手も吸っている。ビックリした。三々五々客が集まってきた。客のひとりが喫煙している運転手に「車内禁煙」を話しかけたようだ。(身ぶり手ぶりとふたりの様子から判断) だんだんと大きな声になってきた。そのうち客がバスを降りていった。ビックリした。 空調のないバスゆえタバコの煙は車外に出るがそれでも気になる。
 三日目も小生がバスに乗ると禁煙表示がある車内で先客が喫煙していた。表示を指差して「車内禁煙」を促した。その客は窓を開け煙は車外に出しているから問題ないと言う素振りを見せた。 「あー、ここは中国だった。」と感じた。
 この日は6組14人の旅だったが帰りの車中では、みんな友達になりワイワイガヤガヤと楽しそうに会話が弾んでいた。小生と友のふたりは当然蚊帳の外だ。中国の人たちは、会うと同時にどうして友達?のような会話ができるのだろう。 日本には敬語があり、それが弊害?で年齢差の人との会話が中国のように弾まないのか。
日本人の小生には到底できない。 我が友が言った。
文化大革命で「みんな平等」になった、その成果では?と。さもありなんと思った。

2007/05/14

0504クラスの卒業


 0504クラスは5月12日(土)で卒業だ。彼らはこの学校で2年間日本語を勉強し、小生が担当する授業は10日が最後だ。学生全員に2年間の思い出を話してもらった。彼らには「けっして上手に話そうとしなくてもいいです。文型表現を間違えてもいいです。2年間で感じたこと、楽しかったこと、苦しかったこと、悔しかったこと、これからのこと等を素直に話してください。自分の思いが相手に通じることが大事です。」と説明し彼らの話を聞いた。最初にあの学生が話すとは思っていなかった学生が口火を切った。実に素直に話してくれた。眼に少し涙を浮かべながら同僚への感謝の気持ちも述べていた。同僚も感じるものがあるらしく涙ぐんでいた。多くの語彙を知っている学生が日本人好みの言葉を使って感想を述べたときにはグッとくる物があった。それぞれの学生が2年間の思いを素直に述べていた。みんな同僚の話をうなずきながら聞いおり、共通の思い出に慕っているようだった。
 これら話しを聞いていて一番ビックリこと?は、昨日まであまり会話が上手くないと思っていた学生がとても素晴らしい思いを語った。寮生活のこと、仲間のこと、先生のこと、これからのこと等彼女の心がビンビンと伝わってきた。実に素晴らしいスピーチだった。彼女の話しを聞いていておもわず眼が潤んできた。うれしかった。
 苦楽をともにした仲間は実にいいもんだ。この2年間で良い仲間ができみんな幸せ者だ。
 多くの学生は広州、シンセン方面に働きに行くと言っていた。今年12月の日本語能力検定試験は働きながら受験するとも言っていた。全員合格して欲しい。
 みんな希望に向かって一歩一歩着実に歩んでいる。
小生と彼らとはたった2ヶ月の付き合いだ。彼らには再び会うことはないかも知れない。彼らに日本語を教えたが、逆に彼らからは多くのエネルギーをもらった。彼らは実にたくましい。
 
 0504クラスの学生さん、「これからの人生に幸多かれと祈る。」

2007/05/08

親友の来訪


  5月7日(月)15時ごろ、小学校時代からの親友が長沙に来た。いや、戻ってきた。彼は小生の前任者で今年1月の始めまで長沙科技日語学院で教えていたのだ。教え子がまだ在校しているので、その夜は彼の歓迎会?が行われた。4ヶ月ぶりの再会だ。彼の泊まるホテルに学生達が揃って来た。お互いに「おー、元気かい」」先生、ご無沙汰しています。」と声を掛け合っていた。みんなとてもいい顔でワイワイガヤガヤ、とても賑やかだ。場所をかえ火宮殿と言うレストランで歓迎会が始まった。彼が日本に帰ってまだ4ヶ月なのに、久しぶりに会ったような「会話の花盛り」だ。「とても日本語が上手になったなあ。」とか「きれいになったなあ、どうしてかな?」とか。学生達は今月中旬に卒業する。広州、深セン、上海方面に就職したいようだ。話題も卒業後の進路とへと移った。明日から彼らは大事な時期を迎える。テストを受けるようだ。それも一定水準以上とらないと「罰金?を支払い再試験を受けるんです。」とある学生が言っていた。
 
 中国では5月1日から今日(7日)までが黄金周だったため、今日の夕方学校へ戻ってきた学生もあり歓迎会は7時半ごろお開きとなった。
 
 小生はそれから彼のホテルへ行き思う存分日本語(方言交じり)を話した。こちらへ来てからの日本語は、学生が理解しやすいように少しゆっくり目で、方言を出さないように話している。彼のお陰で久しぶりに「普段の会話」ができた。
 
 ありがとう朋友。  感謝、朋友。
 これからもよろしくな。

2007/05/06

黄金周初めての日帰り旅行


  昨日は同僚の先生に誘われて、先生の学校へ行ってきた。黄金周の直前に彼が「先生、黄金周の予定は?」と問うたので「ありません。ずーと学校にいます。」と
答えた。彼は「じゃ、私のキャンバスを案内します。」と誘ってくれた。ありがたい。うれしいと思った。聞けばそのキャンパスは長沙市内でなく、株州市と言って長沙から50kmほど離れたところにあるそうだ。
 5月5日(土)自宅付近のバス停の始発バス(6時35分)に乗り、彼の待つバス停に向かった。所要時間は約40分と聞いていた。バスに乗ると運転手に「我要在○○
(バス停の名前)那下車。清告訴我一下」と書いた紙を見せてそのバス停で降ろしてくれと頼んだつもりだ。でも事前に小生の降りるバス停の手前の名前を調べて持参していた。もうそろそろだなと思っており、次のバス停だと思っていたら運転手が手で合図して教えてくれた。無事、彼の待っている学校に着いた。 そこからは彼から日本語を学んでいる学生9人が同行し計11名の団体となった。目指す株州の中南林業科技大学に専用バスで向かった。おおよそ1時間で着いた。大きな学校だ。聞けば学生は1万人程度いると言う。 黄金周で学生が少な
で閑散としていた。木々の中を散策しながらキャンパス内を案内してもらった。まるで森林浴をしているようだ。気分がいい。気持ちが落ち着く。長沙へ来てこのよ
うな気持ちになってのははじめてた。学生があちこちの木陰で本を読んでいた。試験が近いようだ。いい環境で勉強する学生はとても幸せだ。日本語を学んでいる学生の寮に案内してもらったが、どの部屋の学生もまだ寝ていて彼らと話しをすることはできなかった。突然の訪問ゆえ当然だ。教授を始め学校関係者の住宅もキャンパス内にある。それだけではない、定年退職者も住んでおり彼らが利用する会館?まであるのだ。広いわけだ。キャンパス内にはスーパーを始め携帯電話の代理店、床屋、医院等キャンパス内はまるでひとつの町だ。
 昼飯は先生推奨の校外の食堂で食べた。美味かった。
それから炎帝の祭られている公園へ行った。聞けば炎帝は黄帝と並んで中国の伝説上の皇帝だそうだ。そこでは先生の教え子がガイドをしてくれた。残念ながら中国語での説明だった。彼女も日本語を話すそうだが園内を説明するだけの能力はないと言っていた。同僚の先生が通訳してくれ、ある時は儒教思想を説明していることは分かった。その後、炎帝広場へ行った。天安門広場につぐ中国2番目の広さだと言う。確かに広かった。炎帝像は中国一高いと言う。1997年に立てられたそうで、高さは19、97mと書いてあった。台座を入れると25mはあると思われる。
 一緒に行った学生は日本語を習い始めて2ヶ月の学生から2年近くになる学生までいた。 話したくても話せない様子をしている学生?を見るといじらしくなってく
る。小生から「今、何年生ですか。どこに住んでいますか等」話しかけた。先輩学生に相談しながら答える。とても可愛い?感じがする。
 帰りは乗り合いバスを乗り継ぎ長沙南駅まで来た。ここから小生が住んでいる学校までは相当遠いようだ。 ここで同僚の先生、学生達と別れ、ひとりでタクシー
で帰ることになった。同僚の先生がタクシー運転手と「40元だ」「30元だ」と交渉が始まった。3台目のタクシーで35元になり、それで帰った。ひとりでは値
段交渉はとてもできない。
 今日も楽しい一日だった。

2007/05/05

今日も学生に感謝


  食事を作れない小生にとって、この黄金周の食事がちょっと心配だった。しかし、今までのところ学生が代わる代わる作ってくれ助かっている。これからはどうだか…?昨日は珍しい物を食べた。一昨日の晩ある学生が「バナナとリンゴ入り粥」を作ったことがあると言ったので、「一度食べたいなあ。」と言ったら作ってくれることになった。確かに甘い粥だ。以前、雲南省のシーサンパンナへ行った時、パイナップルご飯を食べたことがあり、甘くて美味かった事を思い出した。 学生達が色々と珍しい物を作ってくれる。ありがたい。
 
 黄金周休暇でふるさとへ帰ると言っていた元コックだった学生にいつ帰ってくるかと聞いたところ「3日」と答えた。その3日の夜、教室へ行ったら彼がいたのでしめた」と思った。明日の昼を作ってくれると言う。当日他の二人の学生と一緒に小生の家に来た。豚の骨付き肉を甘く煮た物、牛肉と赤ピーマン、麻婆豆腐、コーン料理?等どれも美味かった。

 夜は別の学生が作ってくれた。昨晩「先生、私は料理が好きです。上手ではありません。作ります。」と言ってきた。ありがたい。「じゃ、夕飯をお願いします。」とまたまたお願いした。彼女に日本の「指きりゲンマン」を教えようとしたら中国にも似たような指きりがあった。お互いの小指を絡ませて(日本と同じように)「一百年不許変」と言うのだ。意味はなんとなく分かるような気がする。中国と日本は兄弟国だとまたもや感じた。

 黄金周に入り今日までの食事は学生達が作ってくれている。ありがたい。  感謝、感謝、感謝だ。
 今日の夜も教室で「活きた日本語会話」をするぞ。

2007/05/04

日本料理店


  今朝の散歩時に5月に卒業する学生に会った。とっくにふるさとへ帰っていると思っていた。長沙の繁華街にある日本料理店でアルバイトしていそうだ。9時から14時までと、16時から22時までの勤務と言っていた。日本人のお客様も来るようで「沖縄や北海道のお客様と話をしました。」と嬉しそうに話してくれた。職場の雰囲気もよいようで楽しそうだった。彼女はラテンダンスが好きなようで毎朝、湘江の河川公園でそのグループに入って練習している。 ちょうど今日の昼はひとりなので彼女の働いている日本料理店「松臨(まつもと)」へ行った。その店はビルの2階であった。1階の入り口には和服姿の女性が立っていた。彼女の案内で2階へ行った。店内は日本風に作られていた。12時半ごろなのに客は小生ひとりだ。メニューを持ってかすり姿?の小姐が来た。料理の種類は豊富だ。ざるそば、うなぎ、すし、刺身、天ぷら、牛鍋等ひと通りの物はあるようだ。カツどんを注文した。彼女は湖南師範大学の学生で日本語を専攻している言う。名前を聞いたが忘れた。総経理も来た。長沙にいる日本人が毎週金曜日20時に集まり「日本語サロン」を当店で開いているとのこと。
 まずは、おしぼりとお茶がきた。中国でおしぼりとはうれしいね。学校から歩いていったのですこし汗をかいていた。久しぶりに日本茶を飲んだ。ここの店員はみな日本語を話すことができ学生が多いようだ。
 小生の教えている学生が「先生、来てくださったんですね。うれしいです。」と感謝の意を表しカツどんをテーブルの上においた。経理(店長)も来て3人で少し話をした。
 カツどんの味はイマイチだ。中国で日本の味を求めるのはちょっと無理かな。ふたり連れの日本女性が入ってきた。続けて中国人の家族連れ?も来た。少し賑やかになった感じがした。店内には日本人歌手の歌が流れていたが、今風の歌ゆえ歌手も題名も知らない。
 日本の雰囲気?に触れたような日だった。

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