永谷元宏の「長沙日語学院 友好の輪
全編まとめてこのURL
新しく転載しました。
福島顕二郎の長沙教師録〜未来への道が完成(文字クリック)

長沙長科日語学院の公式ホームページ



長沙日語教師録  
「コメント」



  
     

前ページspaceTOPページspace次ページspace.gifHOMEページ

2007/06/22

先入観


   腕時計が動かなくなった。2ヶ月ほど前に学校付近の時計屋で電池交換した時計だ。1ヶ月ほど前にも一時止まったがその時はすぐに動き出した。今度は完全に止まって動かない。「中国の電池は物が悪いなあ。安かろう(8元)悪かろうか。」と思った。スーパーの店頭にいつもいる時計屋に再度修理に行った。客は誰もいなかった。隣の店の婦人が座っていた椅子を無言で小生に差し出した。ありがとうと言って座った。彼は時計を分解し掃除をしているようだ。その後通訳の学生に言った。「ゴミが詰まっていたので掃除した。もし、また動かなくなったら持ってきてくれ。」と。修理費はいらないと言う。小生は今まで「中国製品は…。彼の技術は…。」だからすぐに動かなくなったんだ、と思っていた。ああ、恥ずかしい。なんと言う了見の狭い人間なんだ。間違った先入観でこの国を見ていたんだ。先入観で中国を見ているなんて微塵を思っていなかった。しかし時計屋の彼が「君は先入観で中国を見ているんだ」と教えてくれた。
 またひとつ教えていただいた。この国へ来てから多くのことを教えてもらっている。
 ありがたい。感謝だ。

 昨日、彼の写真を撮りに行った。了解を得て彼の写真を撮っていると、隣の婦人がペラペラペラと長沙弁でまくしたててきた。「ティンブトン(聞いても分からない)」と答えた。そこしゆっくりと話しかけてきた。「国はどこか、内モンゴルか」と問うているような気がした。「日本だ」と答えた。近くの中年の店員さんも寄って来た。椅子を勧められたので座ると「身長はいくつか」と質問した。扇風機を小生のほうに向けさらに質問が続いたが聞き取りできない。「謝謝」は日本語で「ありがとう」と言うとみんなで「ありがとう、ありがとう」と言うではないか。うれしいねえ。そのうち時計屋の彼がタバコを差し出した。吸えないので丁重に断った。昨日は「先入観」を教えられ、今日は「温かさ」を教えられた。 
 今日、牛乳とヨーグルトを買いにスーパーに行き時計店の前を通ると彼と目があった。隣に座ってちょっと話しをした。彼は王さんと名乗り71歳だ。隣の店員に小生のことを「日本人の友達」だと紹介した。71歳の成年と新たな付き合いが始まりそうだ。  

2007/06/21

端午の節句


  6月19日は旧暦の5月5日だ。端午の節句だ。2、3日前に学生が手作りのチマキを持ってきてくれた。うれしいねえ。学生の手作りだと思うとその味は各別だねえ。 
 以前チマキを大辞林で調べたことがある。昔中国のある地方である事件があり、それからチマキの習慣が生まれたようだがあまり覚えていなかった。
 鹿児島市日中友好協会の大石様から「端午の節句」に関するメールをいただき読んでハッとした。とても詳しく、かつ分かりやすい説明だった。少し前に遊びに行った岳陽の近くでの出来事だ。じっくりと読んだ。よく分かった。湖南省で発生した事件?が基で始まった行事なんだ。それが日本に伝わり今でも端午の節句にチマキを食べるんだ。端午の節句はチマキだけではない、まだ他の行事もあるのだ。
 19日は学校からもチマキをいただいた。中国にはまだまだいい風習が残っている。旧暦使用時に始まった行事を今でも旧暦で行っている。  当然だと思った。
  

2007/06/20

朋友の授業


 18日(月)午後2時からの授業は我が朋友が先生だ。彼は自営業であり、セルシオを乗り回している社長だ。その彼がどんな授業をするか楽しみだった。
 彼は日本でも大変珍しい自分の名字を名乗った後、自営業の内容を語った。中国にはない業種?の新聞配達業だ。17日の朝刊5種類15部を持参した。通常の新聞、経済紙、スポーツ紙等の特徴と内容を説明しだした。その後折り込み広告の種類、内容を説明した。求人、旅行・観光、塾、パチンコ、携帯電話、スーパー、売り出し等その特徴と内容だ。折り込み広告から発展し、バブル崩壊から最近の経済情勢まで具体例を挙げ説明した。学生は求人・賃金には特に興味をもって聞いているようだった。
 それから日本のきれいな風景写真が載っている今年の大きなカレンダーを見せた。富士山と桜をはじめ新緑、紅葉、城の雪景色等学生達は身を乗り出して彼の説明を聞きながら眼をすえて見ていた。
 彼の授業予定時間は当初40分だったが学生の興味が尽きなかったので休憩を挟み倍の80分となった。学生からの質問もあり有意義な授業となった。時にはいつもと違う日本人の話を聞くことも重要であることを実感した。 
 あくる日の夜、当日分けた新聞の件を尋ねると適当に分け、まわし読みしているようだった。彼らにとって新聞内容はちょっと難しいが興味あるところを辞書片手に読んでくれるとありがたいと思うが…。
 ありがとう、朋友。

2007/06/18

朋友の来訪


  17日、高校時代の朋友が来訪した。17日の夕方、長沙空港に着き18日の一日滞在するだけで、19日の昼前の飛行機で帰国するせわしい旅だ。わざわざ小生に会いに来てくれたのだ。うれしいねえ。ありがたいねえ。たくさんの費用を使い観光するでもなく、小生に会いに来てくれるなんて…。小生が逆の立場だったら果したして会いに行くかどうか…。
 さっそくその日の夜、彼の歓迎晩餐会?を長沙の庶民的な鍋料理店で行った。小生が友とその店に着くと0602クラスの学生8人が待っていた。そのクラスは学校で日本語が一番上手なクラスだ。彼の話す日本語はすべて通じる。彼らは自己紹介した。口頭で自分の名前を初対面の日本人に伝えるのだ。中には日本にない漢字もある。通じた学生もいるが、難しい字は書いて説明していた。中国の人の名前を口頭で分かりやすく日本人に説明するのは難しい。
 彼には18日、0603クラスの教壇に立ってもらう予定だ。彼の話がどれだけ理解できるか。学生には小生以外の日本人の話を聞かせたい。人は話し方、スピード、癖等があり、少し違うのでいろいろな日本人の話を聞くことはいいことだと思っている。違うタイプの彼がどんな話をするか。自営業でセルシオを乗り回している彼がどんな話をするか。学生の反応はどうか。また、友と小生との会話(親友同士の会話)は教科書にない会話だ。それも彼らに聞かせたい。文法を無視した会話?早口な会話、少し方言の混じった会話等、いい機会にしたい。
 どんな一日になるか楽しみだ。

2007/06/16

同僚


  同僚の郭先生は中南大学の院生だそうだ。発音はきれいだしイントネーションもいいし、まるで日本人のような話し方だ。昨日、彼女に誘われて中南大学に行ってきた。長沙で有名な岳麓山の麓にあり、環境のいい大学だ。緑が豊富で落ち着いた雰囲気の大学だ。このような環境で学問ができる学生は幸せだ。大学構内はひとつの生活エリアだ。ひとつの大きな町だ。構内で生活必需品はすべて賄えそうだ。自由市場まであるのだ。
 彼女の住んでいる寮は部屋にトイレ、ベランダまであり恵まれている。外観から見てもとてもきれいな女子寮だ。静かな芝生広場?では学生が本を読んでいた。ここで読めば頭に入りそうだ。覚えられそうだ。
 大きなトラックがあり、ジョギングを楽しんでいる学生と数人の中年男性(職員、教授?)がいた。トラック内にはサッカーコートが2面ありサッカーを楽しんでいる学生もいた。
 彼女と夕食をともにしながら話しをした。実に感じのいい女性だ。好感が持てる。学生から以前聞いたことによると去年、北京で開催された日本語スピーチコンテストで賞を取ったとか。才女だ。卒論のテーマは中国語、日本語の「主語省略」について?のようだ。
 彼女の希望は大学の教授かな?彼女が大学の教壇に立つ姿を想像すると…時期到来時には、その姿を拝見しに行きたい。彼女なら希望が叶うだろう。
 いい朋友ができた。もっと早く彼女と親しくなりたかった。
 今日もいい日だった。

2007/06/14

新しいクラス?


  5月中旬にひとクラス卒業したため担当授業は週6コマから3コマに減った。余暇が多くなった。夜、いつものように担当外のクラスに行った。彼らが「先生、授業が減って暇でしょう、私たち水曜日の10時からは自習時間です。先生、教えていただけませんか」と言った。嬉しいねえ。何を期待してそう言ったか分からないが「彼らと話したい。彼らの話を聞きたい」と思った。副学院長に相談し、ご了解をいただいた。夜の自習時間
に彼らと話をするが授業を担当するのは初めてだ。校内では1番語学力のあるクラスだ。12月の日本語能力試験も1級受験者が多いようだ。小生の話す言葉も制限はない。普通の日本語を話せばいいのだ。
 当日、まず自己紹介をお願いした。「みなさんは日本の会社の社員です。今、みなさんは日本の本社に1年間の研修に来ました。本社の人に自分の名前を覚えていただけるような自己紹介をしてください。条件は1分間です。」続いて、「日本人は中国の人の名前は覚えにくいです。日本人に自分の名前を覚えて欲しい、そのための工夫をした紹介をしてください。」と説明した。結果は予期したとおり難しかったようだ。そこで自己紹介のポイントを説明した。彼らはうなずきながら聞いていた。
 その後の授業内容は一部の学生には興味のない?ものだったようだ。ある学生は別の事をしだした。(どうも単語を覚えているようだった。)ダメ教師の典型をしてしまった。修正した。「日本のビジネス心得」を具体例を挙げ、中国との比較も交えて説明した。小生が経験したことで学生は未経験のことだ。将来日本企業で働きたい彼らにとっては興味のあることだ。その学生もいい表情で授業に加わった。
 このテーマならまだ彼らに教えることができそうだ。
 機会があれば再度、彼らに話しがしたい。

2007/06/12

間違い探し?


  今日(10日)も学生が昼食を作ってくれた。
ニガ瓜とタマゴ炒め、空心菜炒めそれにスープだ。スープは骨付き豚肉・コーン・ピーナッツのスープで味は絶品だった。一人の学生はクラス一の腕前だと、もう一人の学生が話していた。そうだろうと思った。生ビールも持ってきてくれたので「乾杯」をした。学生と飲むビールは格別だ。食後のデザートまであった。長沙では初めて桃を食べた。見た目よりはるかに甘かった。食後の片付けが始まるともう一人の学生が「先生、部屋を掃除してもいいですか」と言うではないか。ホコリが目に付いたのかな。ありがたい申し出に即お願いした。食事を作ってくれ、その上掃除までしてくれ、本当にありがとう。
 それからはいつものように日本語教室?の始まりだ。ふたりにこの日記を読んで、間違いを探してくれと頼んだらすぐに見つけた。2、3日前の日記だったので修正した。ふたりには意味の分からない単語もあるようなので辞書を片手にじっくりと読んでいる。理解できない個所は小生が説明するのだ。教科書にない言葉もあるので楽しんで読んでいたようだ。
 ありがとう、謝さん、莫さん。  
 美味しかったよ。

2007/06/11

洞庭湖


  ふたりの学生に案内されて洞庭湖へ行ってきた。岳陽楼と君山島だ。長沙から高速バスで約2時間、岳陽市に着いた。まずタクシーで岳陽楼へ向かった。思っていたとおりの素晴らしい公園(庭園)だ。一人の学生は前張家界のガイドだ。事前に調査して日本語で資料を作っていた。日本語を習い始めまだ3ヶ月余の学生だ。資料を見せてもらった。教師として少し直した個所があった。でも感心した。助詞の使い方は難しいようだ。
 眼の前に洞庭湖が広がっている。月を見ながら酒を少々いただけば、李白でなくても自然に詩が浮かんできそうだ。 昼食後君山島へ向かった。5人以上でないと高速船は出航しないと言っていた。我々3人と、もうひとりの学生でしばらく待っていたが、5人にならない。30分待って4人でも出航した。
 この島はのんびりしたいい島だ。歴史もあるようだ。学生がいろいろと説明してくれる。ありがたいねえ。ガイド役の学生が日本語で説明できないところは中国で話し、もうひとりの学生が通訳してくれるのだ。ガイドと通訳を連れた?豪華な旅行だ。島の空気は美味しいと感じた。さわやかな風も吹いていた。若いふたりが手をつなぎ少し小走りをした。小生も一緒に走ろうと手を差し出した。3人で手をつなぎ風を切って?走った。気持ちよかった。青春時代のひとコマを思い出した。懐かしかった。芝生に座り、爽やかな風を感じながらのんびりと話しをした。滞在時間はたった2時間であったが、心が洗われた一時を過ごした。
 帰りは18時10分発の電車だ。学生はインスタントラーメンを始め飲食物をたくさん買った。座席は硬座(2等)で14元。でも、満員で座れない。「イヤー、まいったなあ。2時間も立ちっぱなしか」と思っていた。すると乗務員が「先生、お座りください」と乗務員室を空けてくれたのだ。ありがたい。感謝感激だ。親切だ。小生の白髪頭を見て同情してくれたのか。嬉しかった。学生が乗務員に相談したことはすぐに理解できた。その部屋はふたり掛け用の椅子があった。詰めれば何とか3人座れた。少々のお礼をしたようだが当然だ。学生がなんと言って乗務員に話したか分からない。小生が疲れていると思って、考えた末の行動だと思う。 8時半ごろ長沙に着くと学生のお兄さんが迎えに来ていた。4人で人民公社というレストランに食べに行った。青蛙(トノサマガエル)を初めて食べたが味は絶品だ。牛蛙(食用蛙)よりはるかに美味いと思った。ごちそうさま、学生のお兄さん。
 ありがとう、朱さん、黄さん。
 今日もいい日だった。
 

2007/06/10

平和


  5月中旬に卒業した学生がふと立ち寄った。「先生、私8、9日と休みがいただけそうです。一緒に散歩しませんか。」と言った。「9日は用事がありますが、8日はOKです。」と答え、学生からの連絡を待っていた。7日の夜「先生、明日いいですか。よければ7時半に烈士公園の南門で待っています。」と言ってきた。もちろんOKと答えた。 当日6時45分ごろ、自宅で彼女から電話を受けた。もう、待ち合わせ場所にいると言っていた。慌てた。一瞬、待ち合わせ時間が7時だったかなと思った。 7時25分ごろ目的地に着いた。当然彼女は待っていた。朝の公園の散歩は気持ちがいいねえ。日本と比べとても大きな公園だ。木々も多く小鳥のサエズリも聞こえてくる。あちこちではダンス、太極拳、二胡、サックスホーン、歌を歌う、道路に筆で字を書く、散歩、ジョギング等をして楽しんでいる。そんな中をゆっくりと散歩した。気持ちがいい。
 大きな湖に出た。足こぎボートに乗った。日本のような手漕ぎボートはなかった。その後、長沙市内の名所のひとつである天心閣に行って、ビックリしたことがあった。1938年11月に日本軍がここに来ていたのだ。記念碑?に記載してあった。中に入って映画?を見て声を失った。日本軍に侵攻され市民は逃げ、5日間街は燃え続け廃墟となった。もちろん見ているのは小生を除き皆中国の人だ。その部屋の中では日本語を話すことができなかった。戦争は絶対にしてはいけない。戦争を正当化する理由なんてあるはずがない。  重苦しい気分で天心閣を出た。 
 それから昼食に臭豆腐で有名な店へ行った。臭豆腐はちょっと辛いが美味かった。
 楽しい一日、そして考えさせられた一日だった。
 雷さん、ありがとう。

2007/06/08

幸あれと祈る!


  今日の授業は出席者が9人と少なかった。そこで教科書から離れて会話をした。小生が司会をして進めていくうちに、なぜか「王子さま」「お姫さま、お妃さま」の話しになった。学生のうち8人が女性、男性1人だったので、男性学生に対し「王子さま」と呼んだら、学生達がその学生の「お妃さま」がこのクラスにいると言う。聞けばここにいるS学生だと言う。そこから会話内容は一変した。教室が結婚式、披露宴会場になった。誰かが結婚行進曲を歌いだすと全員で合唱だ。小生は来賓として「祝辞」を述べた。学生全員友達として祝辞を述べた。主役?のふたりはお礼の言葉を言った。ふたりはマンザラでもなさそうな感じだった。今はまだ学生ですからとも言っていたなあ。
 彼らは「中国人らしい祝辞」を述べる学生が多かった。しかし、なかには日本人風の祝辞を述べた学生もいた。 急に「お祝い」を自分の言葉で言うのは大変かなと思ったが、サニアラズだった。
 今日の会話授業は盛り上がった。 とても実直なふたりだ。望みが叶うことを願っている。
 ふたりの前途に幸あれと祈る。 
  ハッピーな一日だった。

line

前ページspaceTOPページspace次ページspace.gifHOMEページ



- Topics Board -