永谷元宏の「長沙日語学院 友好の輪
全編まとめてこのURL
新しく転載しました。
福島顕二郎の長沙教師録〜未来への道が完成(文字クリック)

長沙長科日語学院の公式ホームページ



長沙日語教師録  
「コメント」



  
     

前ページspaceTOPページspace次ページspace.gifHOMEページ

2007/07/02

我が家での日本語教室?


  昨日のお昼にひとりの学生が来て「今日の夕食は私たちで作ります」と言った。うれしいねえ。頼まないのに「作る」と言ってきてくれるなんて。「なんといい学生なんだ」と思って?しまった。彼女らは今年3月から日本語を学んでいる学生達(4人)だ。5時ちょっとすぎにひとりの学生が来た。まずは買い物だ。スーパーへ行くと思ったら、「新鮮な野菜を買います。」と言って大学付近の産直(露店)へ行った。しっかりしている。(当然かも)5時半に全員揃った。ふたりの学生は料理ができないようだ。そのうちの一人は小生の部屋の掃除をしだした。ありがたいねえ。最近掃除をしていなかったので助かるよ。帰国前に掃除しようと思っていたので大助かりだ。
 食事の支度中に日本の朋友から偶然電話があった。学生にちょっと換わった。その学生は日本企業に勤務した経験があり日本語はまあまあ話せる。5分ほど小生以外の日本人との会話を楽しんでいるようだった。我が朋友も学生に「先生、先生」と呼ばれていた。きっと気分をよくして?しゃっべていたと思うなあ。
 1時間半ほどで料理はできた。空心菜炒め、トマトとタマゴ、豆腐のスープ、茄子とキュウリ料理の4品だ。5人で話しながら食べる食事は美味しいねえ。1、2日前から腹の調子がちょっと悪いので今日はビールは自重した。食事後はいつものように日本語教室?の始まりだ。まずは小生の「この日記」を声をだして読む。これがなかなか難しい。でも彼女らの身の回りのことが書かれているので、興味を持って読んでいるようだ。彼女らの分からないことを解説するとメモする学生もいる。熱心だ。こちらも思わず熱が入る。気がつけば9時をはるかに回っていた。美味しいものを食べて、その上彼女らから「先生、先生」と言われいい気になって?気分をよくした日だった。
 ありがとう、朱さん、謝さん、唐さん、張さん。

2007/07/01

卒業記念カラオケ大会?


  木曜日の午後からの授業は学生が副学院長にお願いし「中止」だ。卒業記念カラオケ大会?をするのだ。長沙へ来て初めてカラオケに行った。日本にいる時もめったに行ったことがないのに学生に連れられていったのだ。学生は「ここは五星ですよ」と言って大きな店に入った。5、6階すべてカラオケのようだ。午後1時半というのにほとんどの部屋に客が入っていた。3階の一室に案内された。すると学生は多くの飲み物を持ってきた。飲み食いはセルフサービスだそうだ。いままで昼にカラオケに入ったことは一度もない。酒を飲まずにカラオケをしたことも一度もない。学生が歌いだした。ボリュームは最大だ。隣の学生と話ができないくらいだ。なぜ音量をこんなに上げるのか。そういえば学校の放送(朝授業開始前、昼休み、夕方)も音量が大きい。必要以上だと思う。学生の歌う歌も日本の若者の歌と同じだと感じた。学生が缶ビールを持ってきてくれた。学生と乾杯をしておいしく飲んだ。ある女子学生の恋人も来て一緒に歌っていた。次から次へと似たような歌?をよく歌う。みんな上手だ。 小生も「酒と涙と男と女」をリクエストしたがどういう訳か違う曲がかってしまう。別の曲を頼んだ。気がつけば2時間過ぎてもまだ1曲も歌っていない学生がいた。どこにもカラオケがあまり好きでない子がいるんだ。歌う曲、歌い方にも学生の個性が現れている。この4ヶ月彼らと接して少しは性格がわかってきたような気がしたが、今日のカラオケ大会?でもう少し分かった。
 そのうちに学生がいろいろな食事を運んできた。小腹がすいていたのでいただいた。全く口にしない飲み物がテーブルの上にたくさん残っている。途中飲食コーナーを見に行った。写真を撮ろうとしたところ係員から「ダメ」だと言われた。食べ物はちょっとしたホテルの朝食並だ。飲み物はホテルのバイキングよりもかなり豊富だ。4時間あまり歌った後、食事に行くと言ったがもう腹いっぱいで食べれないと断る。何人かの学生もそのようなので卒業記念カラオケ大会?は1次会で終わった。
 カラオケでも異文化体験をした。

2007/06/30

時間?


   担当しているクラスの学生はもうすぐ卒業だ。小生の授業も7月3日で終わりだ。そこで今日、小生の授業が終わると「先生、写真撮ります。私たち卒業です。今から撮ります。」と言った。20分の休憩時間に撮るのだ。5階の教室から降り校庭で撮影するのだ。授業に出席しなかった学生を寮に呼びに行く学生もいた。そんなこんなですぐに休憩時間の20分は過ぎた。学生は全然気にしていない。小生は気になってしかたがない。やっと集合写真を撮る準備はできた。しかし、当事者ばかりで撮影者が頼んでないのだ。そこで通りすがりの学生に依頼し、やっと完了。もう休憩時間は終わっている。それから今度は小生と学生ひとり一人、その後小グループでの撮影。終わったのは休憩時間をはるかに越えていた。次の授業の先生が教室に行っても学生はひとりもいない?…気になる。ここは中国だ。文化の違い、習慣の違い等分かっているつもりだが「違いを認める」のは難しい。学生は時間を全く気にしていない。今なにが大切か、重要かと考えた行動なのか?  いまだに「違いを認める」ことがなかなかできない。  日本人は時間に追われ…?ある国は時間よりも大切なもの…? どちらがいいのかなあ?  考えさせられた一日だった。

2007/06/29

同僚


  同僚の謝先生と昼飯を食べた。彼女は以前日本で生活したことがあるそうだ。彼女の話す日本語はまるで日本人だ。その先生から日本語会話を習う学生は幸せだ。
 大学からタクシーでその店に行った。湘江と言う大河を渡った所にその店はあった。昼時ゆえ多くの客でゴッタ返していた。サービスがよく、その上美味いと評判の店だそうだ。繁盛するわけだ。タクシーで行く価値はあると感じた。先生がいろいろと気を使って注文してくださった。今日の牛蛙(食用蛙)も美味かった。豚の耳も以前食べた時と料理方法が違い美味いと感じた。サトイモも日本とは違った味付けだが結構いける。豆腐を加工した料理?は辛かった。何とかいう野菜のスープも美味かったなあ。
 日本に関する話題から日本語教育論?まで互いの考え方を話しながら楽しく食事をした。気がつけば客は全くいない。まだ多く客がいると思っていたが、すべてその店の従業員が食事をしていたのだった。
 今日もいい友ができた。  (写真の料理は豚の耳)

2007/06/28

卒業記念写真?


  昨晩、今年3月に入学したクラスに行ったところ「先生、明日卒業写真を撮ります。先生も一緒に入りますか。」と言うではないか。意味がよく理解できなかった。彼らは確か1年間学ぶはずだが…。事務所の劉副学院長に聞いたところ夏休み明けに日本に留学する学生がいるので、記念写真を撮るようだと分かった。そのクラスは教えていないが夜、遊び?に行くので学生の顔は知っている。でも名前は分からない。喜んで参加することにした。
 5月に小生が教えていたクラスの卒業記念の時は浴衣を着て写した。今日は学生がその浴衣を着た。着た直後は様になっていたが何枚か撮るうちにワイワイガヤガヤ仲間と戯れておりご覧のような着かたになった。 でも、彼にとってはいい記念になったと思う。
 留学する学生は10名余いるそうだ。そう言えばかって2、3人の学生が静岡へ留学すると言っていたかな…? 我が郷里からそれほど遠いところではない。縁があったらどこかで会うかも…。
 みんなそれぞれの目的に向かった楽しみながら学んで欲しい。
 希望・夢に向かった歩んで欲しい。
 学生諸君に乾杯!  

2007/06/27

ホウ先生、ありがとうございます。


  長沙での昼、夕食はいつもホウ先生に作っていただいている(朝はパン、牛乳とバナナ)。ありがたい。ここ中国で小生のように食事の仕度ができない男性はいないだろうな。日本でも少ないかもしれない。小生はいままで食事を一度も作ったことがない。(インスタントラーメンは作れる。)ここ長沙で教師をするにあたって一番の問題は食事だった。毎日、店屋物では栄養が心配だ。湖南料理はとても辛いので毎食、大学の食堂で食べるのも不可能だ。
 ホウ先生は料理がとても上手だ。どの料理も美味い。小生は辛い料理が苦手で、野菜が好きなのを知ってかどの料理も小生の口に合うのだ。今日学校の事務所に生きたドジョウが泳いでいた。それがディナーのメーンディッシュだった。ドジョウと豆腐のスープだ。ドジョウは一匹そのまま入っている。あのほろ苦い?味がなんともいえないねえ。今日はそのほかに茄子、空心菜の料理だ。栄養を考えて作っていただいている。本当にありがたいなあ。
 そういえば2、3週間ほど前だったか、田うなぎ料理を作っていただいた。以前レストランで食べた味より小生の口に合うのだ。絶品だった。コックより上手なんだ。小生は幸せもんだ。
 ホウ先生、あと少しお世話になります。よろしくお願いします。

2007/06/26

誕生日パーティー


  張谷英からの帰途、ひとりの学生にメールがあった。隣のクラスの学生が今晩、誕生日パーティーをするので参加しないかという内容だ。我ら3人も参加することにした。会場は大学付近らしい。長沙駅からタクシーで目的地に向かった。会場は大学付近の屋台だった。長沙の夏はとても暑いので夕涼みがてら屋外で飲食する人が多い。一般家庭でもわざわざ路地にテーブルを出し食べている家もあるのだ。この近所は1ヶ月前から夜はとても賑やかだ。店の前の道路はすべてその店のエリアだ。車は当然通り抜けできない。人が歩くスペースがあるだけだ。この日が誕生日の学生と友達4人で祝いの会は始まっていた。ひとつのテーブルに8人座り先ずは青島ビールで乾杯だ。たくさんの料理が並んでいた。麻婆豆腐と魚の鍋料理は辛かった。湖南省は辛い料理が多い。とても食べられない。ニンニクの芽炒めは日本でもよく食べる料理だ。ひとりの学生が近所の餃子店から牛肉入りの餃子を買ってきた。そこの餃子は時々食べに行くが実に美味い。学生が気を使って辛くない料理も注文していたようだ。どの学生も明るくて元気だ。彼らが中国語で話し出すと小生ひとり蚊帳の外だ。「ティンブトン(聞いても分からない)」と言い日本語での会話を促す。でも中には日本語学習暦が浅い学生もおり、彼は普通の速度の日本語会話は「ティンブトン」だ。彼にはゆっくりと言葉を選んで話すようにしていた。たどたどしい日本語で答えてくれる。時々ふたりで乾杯しながら日本語会話を楽しんだ。時間の経つのも忘れるほど楽しいひと時だあった。小生は3年半前に病気してから酒量は制限していた。でも、この日はちょっとその量を超えたようだ。  誕生日おめでとう。
 気分のいい一日だった。幸せな一日だった。

2007/06/25

張谷英 U


  目的地の「張谷英」に着いた。バスを降りるとサンダル履きの中年の男性が寄って来て学生と何か話している。「張谷英」の中のガイドをすると言っていたそうだ。そのエリヤに入る入場料は39元だそうだ。学生とその中年男性との交渉?が始まった。ガイドをしてひとり20元でまとまった。「張谷英」の入り口へ来てその男性と係員と大きな声で話し出した。学生によると係員は「入場料39元を払え」と言っているがその男性は「親戚の者だ」よって入場料は払わないと言っているようだとか。我々は彼の親戚として入った。 いやー…、ここでも中国の現状をかいま見た。
 村?へ着くと中年の女性が案内をしてくれた。村のなかは何か懐かしいものを感じた。電気、水道がなければ2、300年前と同じだそうだ。かまどで煮炊きをしている家もある。LPガスのある家も有った。いまでもどの部屋も家族で住んでいるそうだ。子供達がゴムひもを使った遊び(運動)をしていた。一緒に行って学生も子供の時にした遊びのようだ。三輪車や幼子のおもちゃも有った。小生が子供の頃使った農機具もあった。犬や猫も寝そべっていた。とてものんびりとしている。時間の経つのを忘れてしまいそうだ。懐かしい感じがした。案内役の女性の紹介である民家で食事をした。鶏のスープは美味しかった。トサカから足まですべて入っていた。この国なら当然だ。学生と日本語で話していると隣で食事をしていた家族連れが声をかけてきた。「ありがとう、さよなら」等知っている日本語を話してくる。人懐っこいその男性とお互いの歳を聞きあった。その家のトイレを借りた。トイレのすぐ隣に子豚が2匹いるのだ。生活感があふれている。
 観光客もそんなに多くなく落ち着いた村だ。住民達は皆いい顔をしている。親しみある顔をしている。どこかの国みたいに険のある顔はひとりも見ない。
 今日も忘れかけていた大事なものを思い出した。
 いい日だった。

2007/06/24

張谷英 T


   劉副学院長から「張谷英」はとてもいい所だと聞いた。小生の何代か前の竹下先生が訪問され、そう言って見えたとか。さっそく竹下先生の日記を読んだ。いい先生だ。永年の教育者としての経験もあり人格者だと思った。教えていただいた学生は幸せもんだ。「張谷英」の日記も読んだ。興味が湧き学生に「張谷英」に行きたいと相談したところ岳陽人のひとりが案内してくれることになった。当日はふたりの学生に連れられて目的地に向かった。長沙から高速バスに乗った。1時間余走り「張谷英IC」付近のバス停でないところでバスは止まった。こんな所で客を降ろしていいのか、客が降りるのか…でも降りた。ガードレールをまたぎ、水のない水路の中を歩き、しばらく行くと金網フェンスの破れた個所がありそこから一般道路へ出た。ちょうど「張谷英」行きの民間バスが来た。乗ってまずビックリしたことがある。動物の鳴き声がするのだ。よく聞くと子犬のようだ。親子連れのお父さんが大きなビニール袋に子犬を入れているようだ。バスの中には一見して生活必需品と思われるものが多く乗っている。多くの人は買い物帰りのようだ。バス停でないところで乗り降りするのだ。バスの時刻表なんて当然ない。のんびりしていいなあと感じた。日本にいるときは定刻より少し遅れるとイライラすることも有ったがここでは時間はゆったりと経過している。バスにはエアコンはない。日本には走っていないような懐かしいバスだ。でもバスはすごいスピードで走る。車窓の景色は住宅のつくりが少し違う程度で田畑や山は同じだ。
                     (続く)

2007/06/23

違いを認める


  隣国(隣人)と仲良くするには、お互いの「違いを認め合う」ことだそうだ。これがなかなか難しい。
 文字を読んだ時はなるほどと思ったが、自分のこととなると難しい。とてもいい関係だと思っていた学生がある日突然いなくなる。小生に「黙って」退学し目的地に行ってしまうのだ。それも一人やふたりではないのだ。日本人ならば「お世話になりました」と別れの言葉を交わし別れるのだが…。習慣の違いだろうなあ。小生は人間が小さいせいか「あれだけ小生を慕っていたと思うのに、あれはなんだったのか」とか「あれだけ一生懸命に教えたのに…」等恩着せがましく思うのだ。思ってしまうのだ。自分かってな損得勘定をしたり、「あれだけしてやったのに」なんて、思うことが了見が狭い証拠なんだ。学生という鏡を通して自分の醜さが浮き彫りになる。「あー、なんという自分なんだ。」  日本語を話しているだけの教師ではいけないとつくづく感じる。学生さんからいろいろと教えていただける。
 
 「違いを認める」ことは重要である。しかし頭で理解していると思っているが、本当の理解は出来ていない。大好きな中国でさえそうだ、あまり興味のない国?の人に接すると小生の態度はどうなるのだろうか。世界のあちこちでイザコザが起きている。隣国を心底理解することは大変なことだ。
 大学付近は長沙の下町だ。庶民的な町だ。ここの習慣には、まだ慣れない。それはゴミのポイ捨てと痰、唾吐きである。小生の少し前の人が歩きながらバナナを食べていれば、そのうち皮を捨てる。店の主人が店内のゴミを道路に掃きだしている。あちこちで痰、唾を吐き捨てる。この習慣にはなれない。どうも「これらの違いは」認められない。改めて欲しいと望んでいる。 大好きな中国ゆえに。
 これも了見が狭いからか…。 
 「隣国(隣人)との違いを認める」考えさせられる。

line

前ページspaceTOPページspace次ページspace.gifHOMEページ



- Topics Board -