永谷元宏の「長沙日語学院 友好の輪
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福島顕二郎の長沙教師録〜未来への道が完成(文字クリック)

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長沙日語教師録  
「コメント」



  
     

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2008/03/15

授業その1


担当は、会話、作文、ビジネスマナー。
学生に聞いてみても、やはり話せるようになりたいと言うのが一番。
とにかく自分から話す機会をつくろうと、授業の初めに、毎日2〜3人、一人ずつ、前に出て話してもらうことを決める。
テーマは自由。
最初は、戸惑っていたけれど、だんだん慣れてくると、結構、皆自由に話してくれる。
友達のこと、家族のこと、今思っていること、将来のこと、、日本への思い、その他その他。
詩的に話す子、ことわざを使って話す子、習った文型を使って話す子、すらすらと、あるいはつかえて、つかえて。
約束は一つ、友達の発表をしっかり聞くこと。
聞くこともそのまま勉強になるので。
皆よく聞いている。
簡単な間違いは、自分たちで教え合い助け合っている。
作文は少し大変。
各自のレベルが一番よくあらわれるから、本当ならレベルに合わせて添削するのが理想なのに、つい日本人の感覚でおかしい点をすべてCHECKしてしまう。
作文の授業は初めてなので、段階を追う添削が自分自身難しい。
生徒に申し訳ないと思いつつ、模索している。

2008/03/12

学生達


学生は皆 実に素直で やさしく 礼儀正しい。
特に、師に対しては恐縮するほどに。
会えば必ず向こうからきちんと挨拶してくれるし、
日本語が話したくて、緊張しながらも積極的に話しかけてくれ、手伝いも申し出てくれる。
湘湖のほとりを歩いたり、買物、食事、郵便局に付き合ってもらったり と 本当にお世話になっている。

先日の日曜日には、ひとクラス10人ほどに巻き寿司の作り方を教えてあげた後、みんなで烈士公園へ。
とてもとても広くて、週末のせいか賑わっている。

芸術品かと思えるほどのべっ甲飴を買ってもらったり広場で歌っているおじさんに加わって、大勢の前で、北国の春を、日本語そして中国語で歌ったり、
昔のお姫様の衣装を借りて写真を撮ったり、、、。

私も一番に着せられ、恥ずかしいと思いながらも実は喜んで、はい、ポーズ。
1時間借りる間に皆次々交代してポーズを。

そのうちの一人、自分の写真をどれもまずいと思うらしく、「私バカバカしい」と。
その日本語と彼女の顔、思い出すたび、楽しくなる。

行きは歩いて40分以上。公園を2時間ほど歩き回ったあとはバスで帰る。
バスでは一番に私を座らせてくれ、年寄りが乗ってくれば、みな当たり前に席を譲っている。

ずいぶん歩いたので、足が痛くなった子、少しバスに酔った子などあり、心配したが、皆の心配をよそに私は大丈夫、われながらこんなに丈夫だったかなあ〜。

若い彼女たちと日本では決して出来ない経験をした1日
みんな有難う!!。感謝です〜。

2008/03/11

初めての中国で


学校の門を出ると、狭い道の両側にびっしりと学生相手の食べ物屋(食堂というには小さすぎて)
炒飯、ワンタン、揚げ物、焼き物、うどん、肉まんじゅう、餃子、中華巻きなど それぞれの店。
もっと行くと、今度は八百屋、果物屋、肉屋(生肉ぶらさげて、あるいは 鶏、すっぽん、かえるなどは生きたまま)そして魚屋(これもたらいに生きたまま)
そして豆腐屋、菓子屋、衣類に雑貨、電気製品に陶器
はたまたとうがらしだけ、生姜、にんにくだけを売る店(屋台と言った方が正解かな)など雑多な店がびっしり。
7〜8人も行きかえば一杯の道を、沢山な人と自転車
とリヤカーとバイクと自動車まで通る。
足元のぬかるみ(排水の水)とゴミと車とスリにも気をつけて歩かねばならない。
まるで4〜50年前の日本の下町ににタイムスリップしたような。
こんな生活状態と同じく、考え方もタイムスリップ。
人は年寄りを大切にし、親や先生を敬い、礼儀も大切にする。
ここで毎日学生たちを見ていると、日本は経済発展と共に、やはり何か大切なものをを忘れかけているのでは、と痛感する。

2008/03/10

授業開始


3月3日から、いよいよ授業開始。
担当クラスは、06−04クラス(中級20人)07−02クラス(初級40課20人)07−03クラス初級(27課15人)の3クラス。
会話と作文を中心に90分授業を、週、計9回。
日本での日本語教室では、ほとんどプライベートレッスンに近く、10人、20人のクラスは、あまり経験がない。
少し不安なので、先に範先生の40人クラスを参観させていただき、驚く。
皆、実に真剣に集中している。(日本ではもうあまり見られない光景)
この様子なら、何とか人数が多くても、と少し安心する。
初めての授業は、3クラスとも、自己紹介を。
出来るだけ全員にたくさん話してもらえることを考え、二人ずつ前に出て、マイクを持ってのインタビュー形式に。
私は、脇でメモを取りながら、話し方のCHECKを。
どのクラスも、生徒は素直で明るくまとまっている。
最初は皆はずかしがっていたけれど、結構会話が弾みだし、どんどん質問も飛び出したりして、楽しい授業に。
私はあまり話さなかったのに、学生たちが勝手に盛り上げてくれた。ありがとう!
明日からは、少しずつレベルを確認しながら、教案づくりを。

2008/03/08

日記、送ります。


面倒なパソコンの調整がお願いでき、ようやく日記が書けるようになりました。
この間、いろいろ皆さんに心配をかけたようで申し訳ありませんでした。
2月27日朝6時に家を出て、長沙に着いたのは夕方6時。
飛行機の遅れで半日かかったとはいえ、まずは無事到着できたことに感謝。
授業開始は4日後、それまでは荷物の整理や買い物を。
食事は慣れるまではとお願いしてあったので、范先生が作ってくださる。
「料理は趣味」とおっしゃる先生の料理は、日本人の好みに合わせた中国料理で、めちゃおいしい。
部屋は少し寒いけど、居間、寝室、台所、トイレ兼シャワールームと一人で住むには勿体ないほどの広さ。
前任の市岡先生そして劉先生のお心使いで、すぐ使えるよう整っている。
難は3つ、
水は沸かさないと使えないこと。
ふろはシャワーだけしかないこと。
トイレの穴からネズミが出るとのこと。
水は、毎日大ヤカンで2杯沸すことで何とか解決。
ふろは、多分じき暖かくなるのでこれもOk。
トイレのネズミだけは気になるけれど、今のところ一度もお目にかかってはいない。
部屋の整理が済み、少しずつ授業の準備に取り掛かる
どんな学生たちに出会えるのだろうか。
授業はちゃんと出来るだろうか。
期待と不安を一杯抱えて眠リに就く。

2008/02/26

いよいよ出発です。


いよいよ出発します。
明日朝早く家を出ます。
旅行保険も入り、訪問ビザも取り、荷物も詰めました
出発にあたっては、ヤマサ日本語教師養成講座、
OIA日本語教室、英会話、ポルトガル語、それぞれのお仲間に 壮行会をやってもらいました。
その上、仕事、近所、そして親しい友人から、はなむけのお金、インスタントの味噌汁、日本独特のきれいなお菓子、教材になる絵本、CD、思いがけずお守りまでいただきました。そして忘れられないのが、沢山の貴重なアドバイスです。
本当に本当に感謝です。
中国行きを決めるには、主人に背中を押され、
出発にあたっては、こんなにたくさんの人から背中を押してもらって出かけて行きます。
この感謝を、向こうで生徒さんたちのお役に立つことで返して、民間レベルでの日中友好の一端をなんとか担えたらと思っています。
皆さん、本当に本当に有難うございました。
体に気をつけて行ってまいります。

習いたての中国語でも、ご挨拶を。
明天我去中国長沙教日語 非常感謝大家

2007/12/28

初めまして


渥美です。練習しています。

2007/07/06

ありがとうございました。


 中国、長沙で多くの友ができた。友と言っても多くの会話ができないので日常の挨拶をする程度だ。来る前に「友達が何人できるか」も楽しみのひとつだった。二胡を弾く人と歌う人、果物屋の兄ちゃんと姉ちゃん、豆腐屋の姉ちゃん、床屋の兄ちゃん、蒸し料理屋の親父、ラーメン屋の姉ちゃん、湯包店の夫婦と兄ちゃん、一膳飯屋の夫婦、餃子屋の兄ちゃん、太極拳の仲間、郵便局の姉ちゃん、学校内の守衛、食堂の人たち、用務員の人たち等。それから小生より1歳若い鄭さん。彼は警察官を定年退職し今、日本語を勉強中の人だ。親切にしていただいたよ。みなさんにお別れを言ってきた。 長沙の人たち、お世話になりました。
 学生には昨日、別れを告げた。もう2度と会うことがないかもしれない。みんな夢に向かって歩いて欲しい。12月の日本語能力試験は全員合格して欲しい。
 範学院長始め劉先生、ホウ先生、毛先生すべての先生には大変お世話になりました。ありがとうございました。
 鹿児島市日中友好協会の大石さまには、この機会を与えていただいたこと「本当にありがとうございました」
 皆さんのお陰で多くの「お宝」をこの胸に入れ帰国します。

 長沙市民のみなさん、ありがとうございました。学校関係者のみなさんありがとうございました。鹿児島市日中友好協会さん、ありがとうございました。
 学生の未来は大きく開いています。 もし、何年後かに会うことができたら…。
 
 長沙科技日語学院万歳、長沙市民万歳、   
 
 ほんとうにお世話になりました。

2007/07/04

最後の授業


  昨日は長沙での最後の授業だった。このクラスの学生もこの授業が最後で卒業するのだ。
 彼らはこの学校で1年間日本語を学んだ。ほとんどの学生は寮生活だ。苦楽をともにした彼らも今週で離れ離れになるのだ。そこで今日は「この一年を振り返って」うれしかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと等を話すよう依頼した。まずは小生がこの4ヶ月で感じたこと、思ったことを話した。それから学生ひとり一人、思いを語った。最初に誰が話すと思っていたら今回も思わぬ学生が先陣を切った。彼女は小生が赴任した当初はあまり話せなかった。とても消極的な学生と感じた。しかし、小生と話しあったあの時から積極的に話しかけるようになった。それから少しずつ日本語会話が上手になってきた。だから彼女が最初に話してくれたことはうれしかった。
 また、ある学生はいろいろと話した後「先生、私たちの結婚に来ます。(来てください)」と言った。相手の学生も同席していた。1ヶ月前の授業の時、このふたりは結婚の約束をしていることを知った。各学生もそれぞれの思いを語った。自分の思いを伝えることが「会話」だと思う。どの学生の「思い」もとてもよく伝わってきたよ。
 卒業、おめでとう。

2007/07/03

温かい心


  5月から太極拳をしている。4月までは毎朝大学近くの湘江という大河の河川公園を散歩していた。多くの人が太極拳をしていた。日本で少し練習していたので同じ流派?があるかと思ってグループを物色していた。しかし、見当たらなかった。そのグループで行う太極拳の種類は24式、48式その他計4種類だ。今の開始時間は午前6時15分だ。1時間ちょっとで終わる。まずは太極拳風準備運動、次に24式それから48式、小休憩を挟んで○○式、最後に整理運動風太極拳、これで7時半ごろ終わる。
 みんなとても親切だ。昨日も休憩時間に「6日に日本へ帰ります。ありがとうございました」と言ったら「いつ来るのだ」と言うので「もう来ません。来る予定はありません」と言った。すると「是非来い」と言っているような気がした。小生が勝手に解釈しただけで正確には何と言っているか分からない。
 昨日は7時40分ごろ終わったので写真を撮りたいと伝え記念撮影をした。帰りにふたりのご婦人から「明日の昼、我が家へ食事に来ないか」と誘われた。(そう言っているような気がした)しかし、午後から最後の授業があるので残念だがお断りした。でも、ありがたいなあ。見ず知らずの外国人を食事に招待してくれるんだから。うれしいねえ。感謝だ。教えていただいている小生が招待しなければならないのに…。皆さんは会費を払っているようだが小生は払っていない。払おうとしたが「お前は払わなくてよい」と言っているようだった。 ここでも長沙の人たちの温かい心が身にしみた。
 ありがとうございます、長沙のみなさん。

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