永谷元宏の「長沙日語学院 友好の輪
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福島顕二郎の長沙教師録〜未来への道が完成(文字クリック)

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長沙日語教師録  
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2008/05/25

貴州の旅(紅楓湖景区へ)


仕事でお忙しいご両親に代わって、今日も万さんの運転で、紅楓湖へ。
2〜30人乗りの船で、小さな島を巡る。
亀島、蛇島、dong族の民俗村、miao族の民俗村etc。
少し観光化されていて、あまり見ごたえはなかった。
昼からは、弘福寺へ。山全体に猿の放し飼いがしてあるqinlin公園を通って。
とてもバラエティに富んだ楽しいお寺。
十八羅漢、四天王像、お釈迦様の誕生から涅槃までの絵物語、仏弟子の像を自分の年齢だけ数えての占い(これは長沙の開福寺にもあった)コインを水中の壺にぴったり入れる占い、目を閉じて歩き、寿福の福へぴったり手を当てる占いetc、まるで遊園地のように楽しい趣向が一杯。楽しかったー。
帰りは、ホテル近くのマーケットで降ろしてもらい、学校の皆にお土産を買う。

途中で出会った中国人の観光客の一人から「このたびは、四川の地震に日本からの救援、本当にありがとうございます」と丁寧にお礼を言われて、恐縮。
長科日語の先生を含めて、もう3度目の体験。
日本では、あまり考えられないこと。
中国の人々の、民族は一つ、の心が迫ってくるようで、またもや圧倒される。



2008/05/24

貴州の旅(黄果樹瀑布へ)


おじさんである万さんの運転で、滝を見に。
日本では滝、でもこれは明らかに瀑布。
日本のそれとはケタが違う。
幅101m、高さ77、8m、ゴウゴウと流れ落ちる様は、世界で3番目と言われるにふさわしいと感嘆。
合羽を買って滝つぼに入ったり、素晴らしい景観に見とれながら、山を登ったり、下ったり、およそ5〜6時間は歩いて、万さんの待っていて下さる出口へついた頃には足が棒に。
でも素晴らしかった!忘れられない風景!

昼食は山菜と鳩の肉をご馳走になる。鳩は初めてだが、やはり何でも挑戦と、食べてみる。骨がごつごつしていて、味はよくわからない。山菜はおいしかった!。

ホテルに着いたのは、夕方8時過ぎ。
せっかくの休日を、一日付き合ってくださった万さんに、心から心から感謝。本当にもったいない思い。
お礼を言うと「僕も日本に行った時には、皆に良くしてもらったから、ご恩返しですよ」と。
この言葉が、今も心に深く残って、忘れられない。

画像3(右側)は、天心橋(自然が造った橋)

2008/05/23

貴州の旅(貴陽到着)


出発までは忙しく、06−04(中級クラス)の卒業試験の採点を何とか仕上げて、ホッとして出発。
貴陽で待っていてくれる唐さん、譚さんとは、はいむるぶし(八重山諸島の一つ、小浜島にあるリゾート施設)で出会い、友達に。
彼女たちは貴州大学の学生で、日本へ1年間の研修に来ていた。(はいむるぶしでホテルの研修を)
その彼女たちと、まさかこんな風に、又出会えるとは、想像もしていなかった。
空港へは譚さん、唐さん、唐さんのご両親、おじさんが出迎えて下さり、彼女たちとは抱き合って再会を喜ぶ。
今日は珍しいキノコ料理をご馳走しますと案内されて、スッポンと7種類のキノコの入った鍋料理を食べに。
日本ではなかなか食べられない松茸もふんだんに入って、スープが何とも美味しい。
最後の雑炊をお代わりまでしていただく。
唐さんのご両親はともに学校の先生。「娘がお世話になりました」と歓待してくださる。
ホテルはおじさんである万さんの配慮で、貴陽市内の5つ星のホテルへ安く泊めていただけることに。
その夜は、ダブルベッドに両手を伸ばし、ぐっすり眠る。


2008/05/23

今日から貴州へ3泊4日の旅に


朝8時、大竹さん、鵜飼さんは帰国。
楽しい日々、本当に有難うございました。
夕方5時、牧野さんと私は、案内のホウさんと共に飛行機で貴陽へ3泊4日の旅に出る。
日本で友達になった、唐さん、譚さんにいよいよ会える。会ったら、中国語で挨拶すると、約束してしまったらしいので、懸命に練習を。

人と人との出会いとは、なんと不思議で、そして又素晴らしいものなのだろうか。

2008/05/22

日本からのお客様その4


5月22日(木)この学校(長沙科技日語学院)の学園祭が行われた。
スピーチコンテスト、日本語コーナー、模擬店などなど、盛りだくさんで、皆準備に忙しい。

スピーチコンテストには、私たち日本の4人も審査員として出席。
100名以上の学生の中から、18名が参加し、緊張しながらも、精一杯の熱弁を。 感動の一言!!。
中には実力が発揮できなかった子もあるが、この場に立っただけでも偉い!と本当に肩を叩いてあげたい思い。
レベルはいろいろだが、優勝の学生には、2年弱の勉強期間でよくここまで、と感服。

模擬店は、餃子、ラーメン、シュウマイ、コーヒー、紅茶などなど、ウェイター、ウェイトレスの練習もして、とても上手な客扱い。

日本語コーナーでは、浴衣の着付けを、私と鵜飼さんで。
皆、着物を着るのは初めてで、うれし〜い、きれ〜い、かわい〜 の声が飛び交う。
男の子も、かっこいい。一緒に写真を撮りたがる子が群れて。

7時からは、06-04(中級クラス)の卒業パーティー。歌あり、ダンスあり、スピ―チあり、そして最後にプレゼント交換をしてお開きに。
全員で歌った時には、お別れの実感で、もう皆歌うことが出来ない。2年間、勉強、そして生活さえも共にしてきた仲間。忘れられない仲間。
2年間の感想を聞いた時、ほとんど全員が、「一番うれしかったことは、良い友達が出来たこと」と。
皆、なんと素晴らしい宝を手に入れたことだろう。




2008/05/20

日本からのお客様その3


午前8時からの07−02(初級クラス)の授業に、大竹さん、牧野さん、鵜飼さんに参加していただく。
まずは、日本の歌、中国の歌で交歓会。
続いて、お客様の3人に、少しずつ授業をお願いする。
牧野さんを知っている生徒は多く、懐かしそう。
大竹さんも、牧野さんも、中国語が出来るので受けが良く、盛り上がる。
鵜飼さんは、私たち3人の先生でもあるので、ベテラン。上手に授業を進められて。

授業後、4人で歩行街へ。
お昼を食べてから、ショッピング。
と言っても私たち女性2人に男性2人は付き合ってくださって、、、。
すてきなパジャマ(シルクと綿ローン)2枚で257元(4369円)を買う。

帰りに、ホテルへ寄って、次なるお客様の部屋の下見を。
結構広い部屋で朝食夕食付なのに、一泊が300元(5100円)前後。
もっと高くて、悪いところも多いので、やっぱり良く選ぶことが大切らしい。

宿舎へ戻ってから、範先生と約束のバドンミントン練習場へ。
先生はまだだったので、お仲間が相手をして下さり、30分ほど練習。なんとか球が返せるように。
範先生の練習が始まってびっくり。めちゃうまい。
バドミントンもここまでくれば面白いだろうと見惚れて、、、。

9時、学生の誘いで、5.12追悼集会へ。
長沙大学のグランドに、ローソクで5.12の文字、それを囲んで無数のローソクが。
そして死者を悼む音楽と黙祷。
続いて頑張れwenchuan、頑張れ四川、頑張れ中国のシュプレヒコール。
死者は3万人を超した。ただ祈るのみ。

2008/05/19

日本からのお客様その2


昼2時からの07−03(初級クラス)の授業に、大竹さんをお迎えして。
まずクラス全員で歓迎の為に、中国の歌を1曲と四季の歌を日本語で。
それから、大竹さんに少し授業をやっていただく。
中国語の飛び出す授業に生徒は大喜び。

授業後すぐに、第2陣のお客様を迎えに、範先生の車で黄花空港へ。
牧野さん、鵜飼さん、無事到着。
ホテルへ落ち着いてから、範先生のご招待で夕食を戴く(泰皇食府にて)。珍しい料理が並び、なかにはカエルも。
何ごとも挑戦と、思い切って食べてみる。
淡白で、もし何も言われなければ、魚か鶏かとも。

鵜飼さんは私の部屋で泊まってもらうことになっているので、荷物を持って宿舎へ。
ちょうど作文テストの採点を迫られているところなので、さっそくアドバイスをお願いする。
力強い助っ人で、ラッキー!

2008/05/18

日本からのお客様


ヤマサ日本語教師養成講座のお仲間が訪ねて来てくださる。
第一陣は、大竹さん。
仲間の中から、この長沙での日本語教師の第一歩を踏み出した大先輩。
そのおかげで、私は今ここに。
範先生の車で、空港までお迎えに。
13時25分着の飛行機を待つが、遅れるのは当たり前の中国。
1時間遅れて、やっと、大竹さんの姿を見つけて、ほっとする。
アモイで、長沙での以前の教え子の結婚式に出席してからこちらへ向かわれた大竹さんは、さぞお疲れと思ったら、とても元気。
ホテルへ落ち着いてから、昔懐かしい道を通って、学校まで歩く。
そして学生を誘って夕食に。
やはり懐かしいと言われる餃子の店へ。
学生たちは、大竹さんがかなり中国語を話せるので大喜び。
長沙弁の中国語も飛び出したりして、楽しかった。
明日は、第2陣の、牧野さん、鵜飼さんが到着予定。
お待ちしてま〜す。

2008/05/17

四川で地震その5


今回の地震、中国では5.12大地震と呼ばれている。
国道317号線がなんとか開通して、遠回りだが、その道を通って物資が運ばれ始めた。
志願したトラックの運転手たちが、無償で配達しているとのこと。
ここ長沙でも、バス、タクシーが黄色いリボンをつけて、地震の犠牲者に哀悼の意をあらわしている。
市内の烈士公園には、大勢の人が集まって、被災者の奇跡の生還を祈っている。有効救援期間は3日と言われているのに、はや5日目になる。
4人の子供をかばってなくなった先生は、TANG先生と言い、湖南の人。遺体が今湖南に運ばれている。
死者は3万人近くに。詳細が判明すれば、五万人になるとも言われている。
大勢の人が肉親を失い、家を失い、大勢の子どもが独りになった。
そしてまだまだこれから、チフス、コレラ発生の恐れも心配されている上、ダム決壊の恐れもあるとか。

写真は被災前の美しいWENCHUAN

2008/05/16

四川で地震その4


07−03(初級クラス)の8人と、お昼にチラシ寿司を作って食べる約束があり、今日がその日。
食後、テレビのニュースを見る。地震の報道。
ふと生徒が振り返るのを見たら、涙がボロボロ。
他の生徒たちも皆涙をぬぐっている。
4人の生徒を自分の腕の下にかばって亡くなった先生とその奥さんの「誇りです」の言葉。
何とも切ないけれど、その4人の生徒が助かったことだけがせめてもの救い。

学校では、献金、献血の活動を始め、皆もこれから献血の予定。

各地で被災者の無事を祈る活動が、、、。
写真は国旗をつなぎ合わせて、祈る人々、、、。

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