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2008/06/06 お隣さん |
北側の窓を開けると、すぐ目の前にお隣の家が迫っている。 こちらから見えると言うことは、向こうからも見えると言うことなので、冬の寒いうちは、締め切ったまま。 でも暑くなってきたら、開けずにはいられない。 丁度開けたら、小学生の女の子が2人、学校へ出かけるところ。 「Nihao(こんにちは)」と声をかけたら、「Nihao 」とにっこり笑って答えてくれた。 夕方、わらべ唄のようなものが聞こえてきたので覗いてみると、楽しそうに遊んでいる。 日本からのお菓子を差し入れしてみる。 やがて、さくら、さくら の歌が聞こえてくるので、もう一度覗いてみると、学校で習ったらしく、教科書もかざして見せてくれる。 「Hao li hai(上手!)と言ったら、お母さんも出てきて、一緒に嬉しそうに笑い返してくれる。 初めて会うのに、中国の人は、皆、友好的。 なんだか心がホカホカする1日。 |
2008/06/05 学生その4 |
いつもよくお世話になる学生の一人には、彼女がいる。 見ていて、とても微笑ましいカップル。 私の部屋で3人で一緒に食事していた時、私が「いい人に巡り合えてよかったわねえ。彼はなんでも直せるし、料理はうまいし、やさしいし」と言ったら、すかさず彼女が「ハンサムだしー」と。 普段はあまり話さない大人しい彼女なのに、、ああ何て素晴らしく支え合っていること。 クラスの仲間も彼らを優しく見守っている。 |
2008/06/01 授業その9(一人っ子政策)について |
作文のテーマを(一人っ子政策)にして書いてもらった結果、いろんなことが分り、私自身も勉強に。 以下は、そのまとめ。 1949年解放後、中国の人口は、5億未満。人口は少なく、国も貧乏。 1960年代になると、対外関係が悪化し、戦争準備の必要から、毛沢東が人口増加を推奨し(人口=戦力)、加えて古来より、「子だくさんは幸福」の喩えがあるので、人口はどんどん増え続け、1970年代には8億になる。 1970年代前半には、一人っ子政策 が提唱、推奨の形で出される。 1970年代末、ケ小平は、国の方針を、政治力から経済発展、対外開放に移して、人口問題を重視し始め、1979年には、一人っ子政策が実施され、徐々に強化されて、1980年代には公民義務となる。 地域、あるいは部族により、対応には幅があり、都市は一人、農村は第一子が女の子ならもう一人は許され、漢族には厳しいが、少数民族には寛容。一人っ子の家庭は優遇され、二人以上の家庭は住居費、税金などが増額される。 いろいろ反発はあったが、現在では大都市の99%の家庭が一人っ子であると言われている。 2008年現在、人口13億の中国。一人っ子政策開始から30年近くたって、政策は軌道に乗り、現在働き盛りとなった一人っ子たちは、文革世代を押しのけて、中国経済の中核、あるいはリーダーとなって活躍している。 その結果、経済は発展し、子供はいい生活が出来、教育も受けて有能になってきているが、反面、甘やかされて育つため、問題っ子が増えたり、また高齢化社会到来への対応できなくなったりの問題も出てきている。(2030年には65歳以上が15%に) 以下、学生たちの意見、感想。 「中国の人口増加は、自国の発展のみならず、世界にも影響が大きいので、一人っ子政策 は必要。」 「自分も一人っ子にするつもり。」 「中国人民の生活をもっと豊かなものにするため、そして地球を守るためにも大切な政策。」 「一人っ子が有能になり、経済発展することを思うと、いろいろ問題はあるが、悪い政策ではないと思う。」 「政府が教育に力を入れれば、政策はもっと完璧なものになるはず。」 「一人っ子の立場を、もっとみんなに考えて欲しい。」 「せめて二人にしたら良いと思う。」 「老齢化社会を迎え、子供たちには深刻な負担がかかるはず、見直しが必要。」、 「高齢化対策、女性差別、過保護、etc問題も多いので、30年近くたった今、修正が必要。」 「中国の、一人っ子政策による人口増加抑制の成果は、経済水準が中程度の国においても、人口抑制が出来ることの証明になると思う。」 今まさに発展途上の国、若い彼らも真剣に考えている。 |
2008/06/01 四川で地震その6 |
5.12大地震の死者は、今日で6万7千8百人に。 当初、行方不明者の生存は到底見込めないので、死者は5万人に上るかもと言われていたのだが、とんでもない、もう7万人近くに。本当に大変な災害になってしまった。 中国の広さゆえにか、ここ長沙で四川に関連する人は少なく、生々しい話はあまり聞こえてこないが、どんなに多くのドラマが展開していることか。 加油(頑張れ)wenquan、加油四川、加油中国 |