永谷元宏の「長沙日語学院 友好の輪
全編まとめてこのURL
新しく転載しました。
福島顕二郎の長沙教師録〜未来への道が完成(文字クリック)

長沙長科日語学院の公式ホームページ



長沙日語教師録  
「コメント」



  
     

前ページspaceTOPページspace次ページspace.gifHOMEページ

2008/06/07

お隣さんその2


北の窓の方から、何か気配がするので開けてみると、昨日の女の子たちがいて、プレゼントを手渡してくれる。
中国のお菓子と手作りのカード。
「端午の節句おめでと」と中国語で。
そして「ありがとう」は日本語と英語でも書いてある。
スヌーピーやハートマークがいっぱいついたかわいいカードで、苦心のあとが見られ、嬉しくなる。
鉄格子の間から手を入れて、二人の写真を撮る。
ちゃんとポーズを決めてくれた。
明日、早速プリントしてあげることにしよう〜。

2008/06/06

お隣さん


北側の窓を開けると、すぐ目の前にお隣の家が迫っている。
こちらから見えると言うことは、向こうからも見えると言うことなので、冬の寒いうちは、締め切ったまま。
でも暑くなってきたら、開けずにはいられない。
丁度開けたら、小学生の女の子が2人、学校へ出かけるところ。
「Nihao(こんにちは)」と声をかけたら、「Nihao 」とにっこり笑って答えてくれた。

夕方、わらべ唄のようなものが聞こえてきたので覗いてみると、楽しそうに遊んでいる。
日本からのお菓子を差し入れしてみる。
やがて、さくら、さくら の歌が聞こえてくるので、もう一度覗いてみると、学校で習ったらしく、教科書もかざして見せてくれる。
「Hao li hai(上手!)と言ったら、お母さんも出てきて、一緒に嬉しそうに笑い返してくれる。
初めて会うのに、中国の人は、皆、友好的。
なんだか心がホカホカする1日。

2008/06/05

学生その4


いつもよくお世話になる学生の一人には、彼女がいる。
見ていて、とても微笑ましいカップル。
私の部屋で3人で一緒に食事していた時、私が「いい人に巡り合えてよかったわねえ。彼はなんでも直せるし、料理はうまいし、やさしいし」と言ったら、すかさず彼女が「ハンサムだしー」と。
普段はあまり話さない大人しい彼女なのに、、ああ何て素晴らしく支え合っていること。

クラスの仲間も彼らを優しく見守っている。

2008/06/04

オリンピックの聖火ランナー


今日は、オリンピックの聖火ランナーを迎える日。
ここ長科日語学院の学生も、ほとんど全員(100人余)が出迎えに。私も行くつもりだったけれど、何時間も待つのが大変だし、危ないからと聞かされ、遠慮することに。
彼らは、朝5時半、校門に集合、学校から支給された朝食を食べて出発。湘江沿いの道路にて、カンカン照りの中、待つこと5時間半。
長沙市内で、208人の走者が聖火をバトンタッチするうち、ここを通る137人目のランナーを見送る。
みんな真っ赤な顔をしながら、感激冷めやらぬ面持ちで帰って来て、私の部屋で報告をしてくれたり、なおテレビのニュースに釘付になったり。
この日のために、学校は臨時休校。
オリンピックで興奮の一日であった。

郵便局から、日本へ、冬物などもう必要ないものを、船便で送る。1ヶ月余はかかる予定。
せっかく荷物はきれいに詰めていったのに、指定の箱でなければと言われ、2箱買って詰め替えることに。その上、中身は全部点検。見えないものは全部出して、確認され、やっとOK。
箱代+送料=437元(=7429円)
箱買い、詰め替え、点検、箱の包装、送り状書きなど、1時間近くかけてやっと終了。
もう5時近くなっていたので、局員に急かされ、日本の昔の郵便局を思い出したりしながら、、、。
でも今日も二人の学生に、しっかりカバーしてもらって、本当に感謝。一人では、とても出来ることではなかった。





2008/06/03

授業その10 新しいクラスを担当


06−04(中級クラス)の卒業に伴い、新しく、07−04(初級クラス)を担当することに。
今日はその初日。
総勢44人のクラスだけに、たぶんレベルの差も大きいだろうとそれだけが気がかり。
まず自己紹介を、生徒同士のインタビュー方式で始め、結構スムースに進んだので、カレンダーの読み方
物の数え方(ほとんど定着)を経て、教科書「みんなの日本語」へ移る。
ちょっとどうかな、と思う単語については、黒板に漢字を書いて(漢字を書けば、まず殆ど理解できる)、ゆっくり話したつもりだけど、すべての学生が理解できたかどうかは疑問。
察するに、後ろの方に座っている生徒ほど理解がむつかしい気がする。
聞こえにくいことも、影響してはいないだろうか。
これからよく観察することに。

午後3時から、何(か)先生とかねてからの約束の、社交ダンス練習場へ。学生が一人通訳について行ってくれる。
ー長沙市老干部活動中心ー と書かれた建物に入ると、かなりなスペースのホールに絶え間なく音楽が流れ、60代70代の紳士淑女が軽やかに踊っている。
かなりハイレベルな人々の社交場のようで、落ち着いた雰囲気。
何先生の妹さんご夫婦も一緒。
何先生も上手だけれど、妹さんご夫婦もかなりお上手で、特に御主人はリードがうまく、おかげで簡単なリズムなら何となく踊れてしまった。2時間が、あっという間に過ぎて、ほんと楽しかった!

帰りは歩行街へ寄り、テープレコーダーと電気スタンドを買って帰る。
電気製品は、安かろう、悪かろう の喩え通り、よく壊れる。電気スタンドなど、1〜2か月前に買ったばかりなのにもうだめになった。確かに安く29元(=493円)だった。
電球も数か月で切れたりもするから、よく選んで良いものを買わなければいけないのかもしれない。

2008/06/01

授業その9(一人っ子政策)について


作文のテーマを(一人っ子政策)にして書いてもらった結果、いろんなことが分り、私自身も勉強に。
以下は、そのまとめ。

1949年解放後、中国の人口は、5億未満。人口は少なく、国も貧乏。
1960年代になると、対外関係が悪化し、戦争準備の必要から、毛沢東が人口増加を推奨し(人口=戦力)、加えて古来より、「子だくさんは幸福」の喩えがあるので、人口はどんどん増え続け、1970年代には8億になる。
1970年代前半には、一人っ子政策 が提唱、推奨の形で出される。
1970年代末、ケ小平は、国の方針を、政治力から経済発展、対外開放に移して、人口問題を重視し始め、1979年には、一人っ子政策が実施され、徐々に強化されて、1980年代には公民義務となる。
地域、あるいは部族により、対応には幅があり、都市は一人、農村は第一子が女の子ならもう一人は許され、漢族には厳しいが、少数民族には寛容。一人っ子の家庭は優遇され、二人以上の家庭は住居費、税金などが増額される。
いろいろ反発はあったが、現在では大都市の99%の家庭が一人っ子であると言われている。
2008年現在、人口13億の中国。一人っ子政策開始から30年近くたって、政策は軌道に乗り、現在働き盛りとなった一人っ子たちは、文革世代を押しのけて、中国経済の中核、あるいはリーダーとなって活躍している。
その結果、経済は発展し、子供はいい生活が出来、教育も受けて有能になってきているが、反面、甘やかされて育つため、問題っ子が増えたり、また高齢化社会到来への対応できなくなったりの問題も出てきている。(2030年には65歳以上が15%に)

以下、学生たちの意見、感想。
「中国の人口増加は、自国の発展のみならず、世界にも影響が大きいので、一人っ子政策 は必要。」
「自分も一人っ子にするつもり。」
「中国人民の生活をもっと豊かなものにするため、そして地球を守るためにも大切な政策。」
「一人っ子が有能になり、経済発展することを思うと、いろいろ問題はあるが、悪い政策ではないと思う。」
「政府が教育に力を入れれば、政策はもっと完璧なものになるはず。」
「一人っ子の立場を、もっとみんなに考えて欲しい。」
「せめて二人にしたら良いと思う。」
「老齢化社会を迎え、子供たちには深刻な負担がかかるはず、見直しが必要。」、
「高齢化対策、女性差別、過保護、etc問題も多いので、30年近くたった今、修正が必要。」
「中国の、一人っ子政策による人口増加抑制の成果は、経済水準が中程度の国においても、人口抑制が出来ることの証明になると思う。」

今まさに発展途上の国、若い彼らも真剣に考えている。

2008/06/01

四川で地震その6


5.12大地震の死者は、今日で6万7千8百人に。
当初、行方不明者の生存は到底見込めないので、死者は5万人に上るかもと言われていたのだが、とんでもない、もう7万人近くに。本当に大変な災害になってしまった。
中国の広さゆえにか、ここ長沙で四川に関連する人は少なく、生々しい話はあまり聞こえてこないが、どんなに多くのドラマが展開していることか。
加油(頑張れ)wenquan、加油四川、加油中国

2008/05/30

日本からのお客様第2陣その2


お客様の鈴木さん、服部さん、山本さんの3人は、午前中、学生の案内で湖南省博物館へ。
そして午後2時からは、日本語コーナーへ参加していただく。
中国語で自己紹介。そして中国語と日本語で{北国の春}を歌って拍手喝采を。
学生たちは、中国の歌{友達}を全員で歌い、1人の女子学生が{qing zang高原}を素晴らしい声で熱唱、男子学生が太極拳を披露してくれる。
あと、山本さんに、茶道のお点前を披露してもらってから、それぞれのグループに分かれて、日本語で交流を。
予定の4時半になっても、話が尽きないほど盛り上がっての楽しい日本語コーナーとなる。

夕飯は、範先生のご招待で泰皇食府へ
蕨、ユリ根、鮑、カエル、エスカルゴ、豚足、ガチョウetc、またも珍しいもので、でもあっさりした味にて、誠に美味しい。3人も堪能された様子。

食後、夜の湘江へ。(学生たちと待ち合わせて)
ラッキーなことに、丁度、オリンピック聖火を迎える祭典が行われていて、素晴らしい歌や民族舞踊を鑑賞することが出来「充実した1日だった」と感謝していただく。
学生たちも、今日1日を、本当に喜んでくれたので、嬉しい。


2008/05/29

日本からのお客様第2陣


日本での中国語教室のお仲間3人が到着。
男性二人、女性一人。
夕方6時、学校からタクシーで20分ほどのホテルへ、学生一人に案内を頼んで会いに出かける。
再会を喜び、明日のスケジュ―ルを確認して別れる。
明日は、湖南省博物館見学の後、長科日語で日本語コーナーに参加してもらい、夕食後、夜の湘江を楽しんでもらうことに。
遠い日本から、よくぞ会いに来ていただけました。

昨日は、ダンスの練習日。
女の先生も、無事体調を取り戻されて、練習再開。良かった!
ただ残念なのは、06−04(中級クラス)の学生が一人も見当たらないこと。みな卒業してしまった。
四人ほどいて、卒業パーティにはとても上手に踊ってくれたことを思い出す。
時の流れとはこうしたもの。でもちょっと切ない。



写真は、先生たちのワルツ。

2008/05/26

貴州の旅(貴陽での最終日)


飛行機の時間に合わせ、今日は貴陽市内見物だけに。
朝7時半、近くのhe bing公園に出かけて、太極拳の仲間入りをさせてもらう。
牧野さんは日本でもやっていられるので、お手の物。
私は初めて。見よう見まねでやっているうち、汗びっしょりに。こんなにゆっくりした動きなのになぜ?。
9時には、ホテルへ戻り、バイキングの朝食。
お腹が空いているから、おいしい!
食後、ホテル近くの甲秀楼へ、のんびり、ゆったり散歩を楽しみながら出かけ、思いがけず良いお土産(中国独特の根付で、手彫り)を見つけ、30個ほど買う。
昼過ぎ、唐さん、譚さんがお別れに駆けつけてくれ、しっかり抱き合って、さようならを。

空港では、天候による遅れで、5時の飛行機が8時過ぎに。チケットを買い替えたり、すったらもんだの末、やっと牧野さんは次の目的地広州へ、私たちは長沙へと戻る。楽しかった旅は、見る間に終わってしまった。

line

前ページspaceTOPページspace次ページspace.gifHOMEページ



- Topics Board -