永谷元宏の「長沙日語学院 友好の輪
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福島顕二郎の長沙教師録〜未来への道が完成(文字クリック)

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長沙日語教師録  
「コメント」



  
     

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2008/06/23

岳麓書院へ


08−02(初級クラス)の学生6人と、岳麓書院へ。
当然バス停からと思っていたら、「車へどうぞ」と言われ、カローラ級の乗用車の助手席へ。
学生の一人が親の車を借りてきていて、運転してくれるもよう。
でも総勢は7人。残った2人はどうするの?と心配していたら、5人いっぺんに、後部座席へ乗り込んでしまった。
え〜、警察に捕まったらどうするのー。
でも中国(いや、ここ長沙ではかな)まだ大丈夫らしく皆悠々たるもの。でも窮屈じゃないの?悪いなあー。
ありがたいことに、車にはクーラーが効いていて、誠にさわやかに、みるまに現地に到着。
岳麓書院は、北宋開宗9年(西暦976年)に建てられ、宋真宗皇帝が岳麓書院と名付けたもので、西暦1903年には湖南高等学堂に、そして1926年には湖南大学となり、世界でも珍しい千年学府として残されている。
入場に当たって、60歳以上は無料とのことで、学生たちが盛んに交渉してくれるが、パスポートを持参していないので、規定どおり30元を支払う。学生たちも学生証があれば半額なのだが、やはり持っていないので、同じように支払い、ひとつ学習。
いつものことながら、中は誠に広い、広い。
およそ20箇所近くを歩きまわり、3時間ほどかけて、なんとか見終わる。
さすが中国、これほどの規模のものが、千年前から作られ維持されてきていることを思うと、歴史の重さを感じずにはいられない。
昼近くなっていたので、学校へ戻り、私の宿舎でカレーライスと日本の卵焼きを作って皆で食べる。好評。
夕方にはホウさん(貴州の旅を案内してもらった学生)とその彼女が来室。日本へ帰る前の、張家界への旅についての相談の為。その前に、二人で夕飯を作ってくれる。魚のスープ、ささげ炒め、湯葉の漬物風、卵焼き。もちろん魚は生きているのを買ってきて調理。誠においしいスープ。
中国では、鶏も鴨も魚も蛙も、皆生きているのを買ってきて調理することが多い。残酷なようだけど、日本でも目の前で見ないだけで、殺して食べていることには変わりはない。
命を食べては生きていることを、中国では毎日実感している。





2008/06/21

日本語能力試験 その2


日本語能力試験の申し込みが始まり、試験への関心が一挙に高まってきた。
ここでの残り少ない日々、何か少しでもお役に立てば、と日本語能力試験の特訓をすることに。
聞いてみると、やはり皆聴解が一番苦手だと。
07−02(初級クラス20人)、07−03(初級クラス8人)、07−04(初級クラス40人)をそれぞれに分けて、夕方7時から9時まで、私の宿舎でCDを聞いての聴解練習を始める。
一昨年、昨年の、1級、2級の聴解問題をやるのだが、まだ皆にはかなり難しく、半分あるいは半分強の正解率。間違った問題については、単語から説明をして、答えが納得できるのを聞いては、ほっと一息。
能力試験問題は初めて、と言う生徒も多いから、これで慣れてくれば、そして勉強の進んだ秋ごろには、きっとずいぶん易しい問題になることと思う。
それに、問題にあたれば目標が出来て、勉強への意欲も違ってくるのでは、と期待している。
皆、自分自身の為に、あるいは家族の為に、成功を夢見て必死に頑張っている。
どうか、一人でも多く、目標をパスしてくれますよう。
ただ、ただ、祈るばかり。

2008/06/19

日本語能力試験、申し込み開始


日本では、日本語能力試験の申し込みは8月くらいだが、ここ中国ではとても早くから始まる。
1級は6月10日から。2級は6月16日から。
受験費用は、去年190元だったのが、今年は一挙に350元に。
それでも受験する人はとても多くて、去年は5万8千人だったとか。今年は?
この学校の生徒も、もちろん殆どの生徒が受験するので、毎日ネットバーへ出かけては申し込みに必死。
でもなかなか成功しない生徒が多く、やっと出来ても、会場が遠かったりして大変。
それをクラスメートがみんなで心配しあっている。
本当に皆まるで兄弟のように助け合っているのを見ると、胸が熱くなる思い。



2008/06/18

断水その2


3〜4日前、学生たちと夕飯の支度をしようと思ったら、水が出ない。
え、どうしてーまた断水?
私は焦ったけれど、学生たちは落ち着いている。
「もう少しすれば出るから待ちましょう」と。
日本語能力試験の問題を勉強したりして1時間。
ジャーと水が出始め、早速料理に取り掛かる。
夏になると水の使いすぎで、断水は時々あるらしく、皆慣れているもよう。
その日から、時々こんなことが繰り返されるので、学習して、朝一番に、水を汲み置きしておくことにする。
このところ、学校の前の道は、改修工事が続いている。(とにかく古い町だから、道はでこぼこで、改修が必要)
どうもそのために、頻繁な断水が発生するらしい。

それにしても、日本だったら、断水の前には必ず通知があり、それなりの心づもりをして待つものだけれど、ここ中国では、一切連絡なし。突如断水。
それを怒りもしないで待つ様子には、少なからずカルチャーショック。

そして、いきなり出てきた水って、すぐ使っても大丈夫かな〜とも。


2008/06/16

本の町−定王台ーへ


学生二人と、ー旅2ーのバスに乗り、20分くらいで、本の町ー定王台ーへ。
12月に行われる日本語能力試験の申し込みがいよいよ始まり、みな参考書や問題集が必要になってきている。

定王台はとにかくすごい。
ビルに入ると、間口1間、奥行き2間ほどの本屋がびっしり並んで、ざっと数えても100軒ほど。
それが1階、2階、4階と続いている。
人口の多い中国、しかも成功のためには努力を惜しまない若い人たちでいつも溢れている。
学生二人も熱心に本を探す。
内容を調べ、見やすいかどうかを調べ、値段もしっかり比べ、1時間ほどかけてやっと決定。

こうした様子を見ていると、これからの中国の底力を感じずにはいられない。
将来の夢はと聞くと、男性に限らず、女性も、夢は大きく、社長になりたいとか、店を持ちたいとか。
ほとんどの子が、明確に、しっかり夢を持っているのに驚かされる。



2008/06/14

中国の人はいつも体を大切にする。


家庭料理ひとつとってみても、医食同源が生きていて、中国の人は、いつも体を大切にしている。

ところが最近、また別なことに気がついた。
風邪を引いた時、あるいは女性の毎月のめぐりの時、学生たちは、決して冷たいものを食べないのだ。
最初は一部の人だけかと思ったけれど、そうではなく全員。そして徹底して食べない。
日本では、経験したことがなかったので、中国の人の体への配慮に少なからず驚かされる思いだった。

そしてここでまた疑問がひとつ。
中国の人の平均寿命は、日本人よりおよそ10年短い。こんなに気をつけていて、なぜ?
日本人のほうが、ずっといい加減な生活習慣なのに。

平均寿命の差の、真因は?


  

2008/06/12

出た!ネズミ!


噂に聞いていたネズミ、ここへ来てから3ヶ月余、一度もお目にかかったことがなかったのに、今日、いよいよ登場!
トイレ兼シャワールームの戸を開けたら、目の前に。
私も驚いたけれど、向こうもびっくりしたらしく、大慌てで排水溝に飛び込んでいった。
3ヶ月間、一度も見なかったから、前任の市岡さんが言われる「ネズミが出ます」は一体何だったんだろうと思いかけていたところだった。
早速、忠告通り、扉に割り箸でつっかい棒をし、戸を開けるときには、どんどんと音をたててから開けるようにする。
落ち着いて思い返してみると、まだ小さいネズミだった。大竹さんに脅かされたように、でっかいネズミじゃなくて良かった。
30年ほど前、古い木造家屋に住んでいた頃には、夜になると、ネズミがコトン、コトンと階段を上り下りするのを聞いたもの。

本当に何もかも、タイムスリップしている思い。

2008/06/10

授業その11 授業前の発表


新しく担当する07−04(初級クラス)は「みんなの日本語」31課をやっているところ(初級の真ん中あたり)
授業前の発表は、今日が初めて。
どんな風に出来るのだろうか。ひょっとして無理かしらなどと心配していたのに、驚いた!
いきなり4人で出てきたと思ったら、寸劇のようなものが始まった。
ある喫茶店で、お見合いを始める という設定。
注文を聞くウエイトレス、女友達を彼に紹介する女の子。見合いをすることになる、男の子と女の子。
それぞれに、しっかり台詞があって、「失礼ですがお幾つですか?どうしてその年まで結婚しなかったんですか?」などのせりふで大受けになったりしている。
一人ずつ、何か話すか、書いたものをを読んだりするだけかと思っていたのに。こんな素晴らしいやり取りをしてくれるなんて、、、。
毎回こんな面白い発表やってくれるのかな、楽しみ〜

2008/06/08

範先生ご夫婦のお宅訪問そして西湖楼へ


先輩から、範先生のお家は素晴らしいと聞いていたので、楽しみに訪問。
期待にたがわず、劉先生のセンスが光った、とてもシックなインテリアの落ち着いたお住まい。そして設備はまるで高級ホテル並み。
ビルの1室だけれど、ビルの周りは広々として緑も多く、窓からの眺めはリゾート気分。
居間と食堂がワンルームになっていて、およそ30畳近い広さ。すごい!と思うけれど、でもこれで普通だとか。
台所なぞ、あまりに美しく、料理するのがもったいないほど。

お昼は、端午の節句の料理を食べに、西湖楼へ。
いつか車から眺めて話に聞いた、2000人収容のアジア1と言われるレストラン。
広さも建物の作りもずば抜けている。観光客の訪れも多いよう。
100人以上収容できると思われる建物に入り、席に座ると、正面舞台では民族舞踊のショウが繰り広げられている。
このレストランには、こんな建物が十以上あるとか。

端午の節句には、ちまきを始め、hongshaorou(毛沢東が愛した肉料理)、まこも、桃、塩卵etcを食べる習慣があるそうで、またいつものように珍しいものをたくさんご馳走になる。おいし〜い!
こんなレストラン、見るだけでも楽しいのに、そこで端午の節句を祝えるなんて、幸せでした〜。

2008/06/07

天心閣へ


学生二人に案内してもらい、旅2のバスに乗り、20分ほどで、天心閣へ。
昔の長沙の中心であったため、周りには、万里の長城のような城壁がめぐらされていたらしく、今も、その名残が残されている。
2200年の歴史の中、天心閣は、何度も修復されているが、特に1938年には、日本軍の侵略により、大火で焼け落ち、日本人にとっては少しつらい記録が、映像になってしっかり残されている。
3階まで登ると、すばらしい眺望。様々な歴史を呑み込んで、平和な長沙が360度広がっている。
三国志の長沙にまつわる絵物語を読んだり、昔、食料、武器などを運んだといわれる秘密の抜け道を見たりして、2時間ほどで天心閣を後にする。

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