永谷元宏の「長沙日語学院 友好の輪
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福島顕二郎の長沙教師録〜未来への道が完成(文字クリック)

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長沙日語教師録  
「コメント」



  
     

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2009/02/26

歌は流れる


本格的な授業が始まった。

聴解(ヒアリング)は日本語能力試験の中でも不得意な科目と聞いたので、日本から持ってきた歌のCDを使って聞き取り練習をしてみた。

1年クラス(0802班)は夏川りみの「涙そうそ」1年半クラス(0704班)は谷村新司の「いい日旅立ち」をかけてみた。

(どちらも私の好きな歌ですが)1フレーズづつ聞きながら書いてもらう。少し難しいかと思ったが、かなりよく聞き取れていて感心した。

聞きながら書くことは、とても大変だがフレーズを何回も繰り返すうちにメロディーもすっかりおぼえてしまった。

最後はみんなで合唱しおおいに盛り上がった。先日の自己紹介で「歌が大好きです」といった生徒の多いことを思い出す。

今ではインターネットバーで日本の音楽を沢山取り込んでいるので日本のメロディーは若者たちの生活の中にすっかり溶け込んでいるようだ。


歌は日本人の気持ちを伝えるに格好だ。かくして長沙の街に「涙そうそう」や「いい日旅立ち」の歌が流れ旅立っていくことを夢にみる。

2009/02/23

授業が始まる


春節を挟んだ一か月半ばかりの休みを終えて2月23日(月)から授業が始まった。

学習期間は原則2年であり、私の担当は半年クラス、1年クラス、1年半クラスの3クラス(生徒数は各30〜35人)。

「みんなの日本語」の教科書をベースにした会話や日本文化の紹介などの授業をすること。

第1回目はやや緊張気味にたどたどしい中国語で自己紹介をした後、みんなに自己紹介をしてもらう。

約8割が若い女性で湖南省の出身者が多いが広東省や湖北省からの人もいる。

年齢も17歳から25歳ぐらいとバライティの幅が広い。みんなの目標は日本語能力試験をパスし将来、通訳や日本と関係のある仕事に就くことだと胸を張って応える。

みんな目を輝かして一生懸命に聞いてくれるのに感激する。

学生は8時から午後4時ごろまで授業を受け夕食後また午後7時半から9時半頃まで教室で自習する。

寒い教室でとにかくよく勉強している。軟弱な私には刺激が大きいが自分なりに頑張ってみるつもりだ。

2009/02/22

長沙の街へ出る


早朝から目が覚める。

天気は曇り時々霧雨、この時期はこんな天候が続くそうだ。学校に出かけると日曜日だが新学期のため先生方も出勤しておられた。


新入生が親に付き添われ面接をしている。明日から授業が始まるというに大らかなことと感心する。

生徒が「先生お待ちしていました」と笑顔で挨拶してくれる。生徒の楊さん達がこまめに面倒をみてくれ長沙の繁華街へ買い物に出る。


人口600万人の大都市長沙はまさにエネルギーの坩堝で中心部には日本の平和堂もある。

日曜の歩行者天国は人の渦であり立ち並ぶ最先端の大型デパートには品物があふれ急速な発展にただ驚く。

今日の目的の一つは持参のパソコンにインターネットをつなぐため無線カードを設置して貰うことだ。

1年契約で時間無制限の契約しかないので出費が大きいがシステムを購入する。

若い技術屋が鮮やかにインストール処理をする様子を見ながら中国のネット普及の広さとレベルの高さを感じさせられた。

2009/02/21

長沙到着


いよいよ出発だ。6:00に岡崎の家を出る。

中部国際空港から約3時間で上海浦東空港へついた。

ここから国内線の上海虹橋空港まで1時間のバス。日本から青島へ帰省中の若い美人に出会うなど好調なスタートであったが・・

虹橋空港では搭乗口が突如変更になりいつしか電光掲示板の長沙行きの文字が消えていた。


(英語、中国語のアナウンスが聞き取れなかったのです)どうにか滑り込みの搭乗で冷や汗かきかき搭乗し長沙に17:30に到着した。

しかし迎えの先生の姿が見えず戸惑うところを親切な人に携帯で連絡をしてもらい無事会合。

初対面の範例校長先生と生徒の楊さんは大陸的な大らかさの人柄で、いくばくの不安も一蹴した。

長沙は曇空で寒かったが、ハプニングや人の温かさに出会った面白くも貴重な体験の旅であった。

2009/02/19

自己紹介をします。


若いころから三蔵法師や史記、三国志が好きでした。

 広い中国に長い長い歴史と、果てしない夢を想像していました。

  縁があって長沙の日語学院からお誘いを頂きました。

  晩学で日本語教師の手習いをし、地元岡崎市の日本語教室の お手伝いをしたことが幸運を運んできたようです。

 しかし最近は中国入国のビザ許可がとりわけ厳しくなり訪問ビザも外事局の入念なチェックが必要になったようです。
 
  ようやく難産のビザが交付され、ぎりぎりの赴任となりました。

  中国語もままならぬ中で日程だけが追いかけてくるようですが、「何とかなるものさ」といつも潜り抜けてきた悪癖を武器に楽天型にきめこんで2月21日に出発します。


  「いつも、明るく,楽しく、前向きに」の心構えで海外ボランティアに励んだ先輩諸氏の行動を目標に長沙で微力ながら友好の輪が広がれば嬉しい。

2009/02/16

いきなりですが・・・


最終話です。いい加減な締めくくりですみません。
って言うか、これ誰か読んでくれてるの?
次期の日本語教師も、もう決まったそうです。
異文化と生徒達との交流をたくさん楽しんで、味わってください。
私?しっかりと楽しんできました!唯一の苦しみが、このパソコンで書く日記でしたがね!
(ちなみにこれも人に頼んで打ってもらっています。)
読んでくれたあなたに会うことは無いと思うけれど…
とりあえず、あなたに  再見!

11月26日

――さ、先を越されたーー


この日、0702のクラスから、記念写真を撮るから、付き合ってくれと言われていた、まずは校舎の前で集合写真、で、湘江へ行くかと思いきや。”さ、さ、先生、食事に行きましょう、し、しまったーー!これでは、奢られてしまう、いまさら、何を言っても、受け取っては、もらえないから、生徒たちの好意に甘える事にした。
そして、歩行街のスーパーに!スーパーに?
ここで、肉、数パックと餃子、ビールを買って(私???)(俺の部屋に料理を作るつもりか?確か食事に行きましょうと言ったような?)
スーパーを出ると、さっきの品物を、みんなのバックに分散させて、しまい込む。(どうするつもりだ?)ついた所は、以前来たことがある火锅店(こりゃ、持ち込みだーー!大丈夫かあ?)最初農地は、こそこそしていたが、そのうち、大勢がつくと、ウエイトレスがいても、堂々と広げているしまつ。いやはや、みんな、たくましい。
最後の食事を、みんなの好意に甘えさせていただきました、ごちそうさま、そして、ありがとう。

11月21日

ーー暖かいーーー


もうすぐ卒業と言う事で、外食を、おごってあげる事にした。食事をしようというと必ずAA制(割り勘)つまり、生徒達に、おごってもらう事になる。お金を出しても絶対に受け取ってくれない。これには非常に困ってしまったが。だから先ずおごる。と言う意味だ。をしめしておかないと
当日、0801の教室に行ってみると、生徒達が”これ、着てみて“ 私???突然な言葉に、意味がとらない、私たちのプレゼントです。着てみてください。全く予想もしていなかっただけに、”俺にか?俺にくれるか?“
ダラニジャケット、あたたかーい。みもあたたかいが、何よりも心が暖かーーい、生徒の心が暖かい、このジャケットを着て湘江で記念写真、そして、近くの店で食事会、食事も,そろそろ終わりに差し掛かる項。生徒達が中国語で、何か話合ってる、ん?ひょっとして料金の計算か?こら、こら、今日は、お金の心配はしなくていいぞ!すかさず料金を払って出て行くと、後から2,3人の生徒がおいかけてきて、”先生、はい、これ、ん“彼女達が、20元差出て、まけて、もらいましだ。だとーーどういって、、負けさしたか、訳らないけど、たいしたもんだーー!

11月7日

料理の意味は?


料理の意味は?
ここは最近、0801と0702のクラスが入れ替わりで料理を作りに来てくれる、うれしい事だが、今まで、そんなに、頻繁に顔を出さなかったのに……
その理由が2,3日して、ようやくとった。11月末が卒業と言うのだ。だから、それまで、なるべく、たくさん交流したい。記憶に残したいと言うのがその表れだったのだ。
一つ、なかなか理解できなかったのが卒業、生徒に卒業はいつ?ときくと、A子は11月28日、B子は12月4日と返事。私???さらにC子に聞こうものなら12月5日と答えてきた。いったい、いつなんじゃ?
答え:
卒業式、と言うものはない、つまり本人達が試験会場に向けて、学校を離れる時が、卒業となるのである。日にちがその子によって違うのは、試験会場が違うから。近いところはバスで1時間、遠い所は,汽車で16時間。早く申し込んだ人は近い所で、定員がいっぱいになると、他の会場に廻されるらしい。
はーー!やっぱり理解すると言う事は、難しい。

10月24日

―――授業?遊び?―――


12月7日は、さらにひどく、たった1にんという状態になってしまった、これでは、授業どころのさわぎではない、という事で、全く、自習にしたら、今日は、天気もよいし、湘江で会話しましょうといってきた、そう言えば、ここにきてから、町中ばかり見学して、近くの湘江には、まだ行っていなかった、即ざに、じゃ、行こうかと返事。どうやら、会話の練習自体にも、飽きていたみたい、みんな生き生きと話しかけてくる
(でも、練習しないと上手になれないんだがな〜!)

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