永谷元宏の「長沙日語学院 友好の輪
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福島顕二郎の長沙教師録〜未来への道が完成(文字クリック)

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長沙日語教師録  
「コメント」



  
     

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2009/03/26

衡陽の花婿


日本語教室の生徒は適齢期の女性が圧倒的に多い。結婚の話題がでるとテキメンに盛り上がる。

804教室の今日の会話練習のフレーズは「友達が結婚するとき何を贈りますか?」

中国の結婚式は比較的質素なようだ。結婚祝いのご祝儀は「お金」が多い。生徒達の話では200元(3000円)〜300元が相場のよう。

日本のご祝儀相場を話すと溜息がでた。今も田舎では昔ながらのみんなで祝う習慣が残っているという。

王さんが「先生、衡陽では面白い結婚式の習慣があるんです」と話してくれた。


衡陽は湖南省南部に位置し古い仏教寺院で有名な衡山の麓にある。永平寺の開祖道元もここで修行・受戒した。

衡陽の冬は寒く雪も降る。

結婚式は村中のみんなが祝福する。新郎は新婦を連れて雪のなかを裸足で村の家を訪れ祝儀を貰う。

各家は1角(1.5円)しか祝儀を出さないのが習慣。花婿は99件の家を裸足で駆け巡り99角を貰い成就する。

みんなのお祝いの気持ち「張張久久(ツアン・ツアン・ジュウ・ジュウ):いつまでも幸せに」の久久と99(ジュウ・ジュウ)は同音であり、まことに縁起のいい数字なのだ。


「雪の中を辛抱して掴んだ幸せを生涯忘れないように」と言う村人の温かいお祝いのメッセージなのだ。中国の人々の素朴なユーモアと温もりを感じた

2009/03/23

討論は果てしなく続く


704教室の生徒は7月に実施される日本語能力試験の申込を無事すませ一安心。

そこで今日は会話の実践訓練としてディベート形式の討論会をした。

テーマは「都会と田舎はどっちが住みやすい」。生徒の多くは田舎育ちだが二組に分かれてそれぞれ自組の長所と相手の短所を相談し始めた。


司会は日本語の上手な頼さんの担当に決まった。ルールは「日本語で話し合うこと、日本語で書くこと、日本語で討論すること、中国語の会話は減点対象とする」。


各々沢山の長所・短所が黒板に書き出され内容を代表者が説明し、そしていよいよ論戦が始まった。

まず熱血女史の劉さんが火ぶたを開けた。

「田舎は汚くて言葉が乱暴だと書いてありますが私はそう思いません。都会は隅に行くと汚い所が多いし、乱暴な人や、怖い人を沢山見かけますよ」

都会組の楊さんが対応

『でも、全体的にそうでしょう、田舎は教育程度も低いし』

「そんなことはありません、田舎もきちんと教育をしているし、人が素朴でいい人が多いです。考えを直してください」

『でも・・』「それでは証拠を見せてくださ」・・・

都会組の反論

「田舎は無農薬の野菜を食べているので安全となっていますが、私は言いたいことがあります。農薬をかけた野菜を作ったのは田舎の人でしょう、それは田舎の悪いところですよ」

・・・討論が始まったばかりなのに議論が白熱する。司会の頼さんも私も一言と言い出す」・・・(おいおい司会は中立だよ)としばしなだめる。

いつもおとなしい生徒もこの時ばかりはと主張する。

日頃の授業では喉の辺りに止まっていた日本語も関を切って流れ出す。どうしてだろうか?白熱討論は更に深部に分け入り明日の朝までも続く様子だ。

就業のベルが高らかに鳴った時、彼等はやっと現実世界に戻ったのでした。中国の人の議論好きが証明された1コマ。

2009/03/22

毛沢東の故郷 韶山を訪ねる


こちらに来て1ヶ月が過ぎた。

今日は長沙の南にある韶山をYさんと二人で訪ねた。一度汽車に乗って中国の田舎を見たかった。

韶山への汽車は1日1便しかない。早起きして6時半発の汽車(ディーゼル)に乗る。車両は十分年期がはいっている。朝早いせいか乗客はまばらである。

30分も行くと菜の花が咲く懐かしい田舎の風景が現れた。泥や石づくりの農家が点在する。小一時間ばかりで湘潭駅に着く。


ここから賑やかくなった。大声で何か宣伝している若者がいる。なんと「偽札発見器」を売っているのだ。

本物と偽物の100元紙幣をかざして効能を講釈している。隣の座席では学生たちが大声で歌い始めた。

楽しそうな雰囲気なので仲間に入れてもらう。日本語を少しだけ習ったといい、簡単な挨拶をしてくれる。

そして中国語で「さくら、さくら」を歌いだした。私も日本語で歌い喝采をあびた。みんなで1週間前に作ったという歌も披露してくれた。明るく爽やかな若者たちだ。


韶山駅に着くと巡回バスに乗り毛沢東生家に向かった。ここは全国から訪れる人々で大賑わいである。


毛沢東の家は地主のようだったが質素な生活が偲ばれた。ここから少し先に毛沢東記念広場がある。

広場には毛沢東の大きな立像が建てられ、献花が後を絶たない。

毛沢東を敬愛する多くの人々がここにいた。若い人の姿が多い。


毛沢東記念館では誕生から死までの歴史が8室ほどの部屋に順次展示されている。

一介の少年が国の象徴になるまでの遍歴は圧巻だ。

館職員のガイドさんがきれいな言葉で時には当時の歌も交えながら説明している。

彼を囲んで多くの若者が熱心に聞き入っている。Yさんもその一人だ。

彼に毛沢東が何故これまでに敬愛されているのかと聞くと「苦しい農民のために力を尽くした功績が今でも感謝され尊敬されているのです」と答えた。

帰りは車道を避けて田圃道をあるいた。

菜の花の絨毯が田畑一面に敷かれ、道端の小川にはあひるの群れが遊び、レンゲの畑は放し飼いの鶏が歩きまわっている。


そこには長閑な中国の田舎の風景があった。

2009/03/20

ごはんたべた?


704教室で雑談をしていると、不意に陳さんが言った。

「先生、日本人は話を始めるとき何というんですか」それで私は訊いた。(どうしてだい)

「実はわたし前から日本人の男の人とメール友達になっていたんですよ」(そう・・・)

「彼は中国語がとても上手なんだけど、わたしが日本語の勉強をしているので日本語で文通していたよ。それでこの間、初めてSKYPEで話をしたよ」(・よかったね・・)

「そこで、わたし初めのあいさつですこし緊張して『ごはんたべた?』と言ったの、そしたらしばらく静かになって『たべたよ』て不思議そうな声が聞こえてきたよ。

どうして?」(ええ?)私もしばし笑いをこらえながら思い出した。

「中国の人は友人に会った時、朝の挨拶代りに“ごはんたべた?”ともいいます」

とある本に書いてあった。彼氏はそれを知らずに素直に「食べました」と答えたのだろう。

私は答えた。(日本人は最初に天気のことをいうよ。こんにちは今日はいい天気ですね、とか)

彼女は納得いかない顔で「どうしてかなー」とつぶやいた。

そこで私も考えた。独りよがりの思いつきだが・・

「日本人の話は遠いところから順々に近づいてくるけど、中国人の話は現実的だから自分たちの日常行為を核にして徐々に外へ波紋のように広がっていくんじゃないか」
 などと考えてしまうがどうだろうか。


それぞれの文化が挨拶のなかにも潜んでるようだ。

その後で会話がスムーズに運んだかは定かでないが、おおらかな彼女のことだ楽しい話題がで話が盛り上がっただろう。

2009/03/19

黄先生の料理


黄先生は学校の管理責任者。ウイークディは校内の宿舎で寝泊まりしている。

週末には長沙の自宅に帰られる。先生は日本語学校の教師の中にあって教師の先生や生徒たちに一目も二目もおかれる存在感がある。

日本語学校で唯一中国語しか話さない。とはいえ、しかめっつらしい男性ではない。痩身しなやかな中国女性である。


今日は私のために中国料理を作ってあげるとおっしゃる。もちろん中国語の不得手な私に直接ではない、毛先生の通訳を通してだ。

かねて先生の料理の腕は学校中に鳴り響いていた。野菜や魚などは昨日買い出しを済まし、わが宿舎の冷蔵庫で出番を待っている。

本日、先生は生徒2人をアシスタントにして得意の湖南料理をてきぱきと作り始めた。

私と毛先生は授業があるので授業後に参加した。しかしその時分には殆どの料理は完成され私の役目といえばテーブル運びだけである。

(密かにその極意を悟られまいとの魂胆があったかも知れぬ)テーブルには大きな川魚の炒め煮?や野菜・豆類の炒め物、スープなどが盛りだくさん並べられた。


先生の目は料理に箸をつける私に注がれた。

無作法をしてはなるまい、緊張しつつ魚の身を口に含むと何と!身はふっくらして柔らかいが外身は適度にしまって唐辛子の辛さもスパイスに和らげられ、旨味が舌にとろける。

何とも云えぬ味に溜息が洩れる。絶品だ!私のつぶやきに先生の眼はかぎりなく細まり笑顔があふれた。


そして先生は次の機会には「極意の一端を伝授あげよう」とおっしゃった。

2009/03/17

嶽麓書院の朱子


今日は担当授業が午前中で済んだので午後から岳麓山の麓にある嶽麓書院を見学した。

先日岳麓山を訪れた際に宋学の朱子がここの書院で講義をしたと知ったので、いつか訪ねてみたかった。

以前、日本の江戸時代に武士学問として盛隆した朱子学について興味を抱き少しばかり勉強をしていたのを思い出し、本場中国で懐かしい人にお会いしたような気分になっていた。

嶽麓書院に入るとすぐにシックな長い回廊が続き、その周辺には講堂や講義室が点在する。

ここは昔の大学であり今の湖南大学の前身のようだ。今日は人影も少ないためこの静けさの中から昔の修士が出てきそうな錯覚にかられる。

お目当ての朱子や伊川の像、書が沢山展示され、さすがに歳月を経た風格を備えている。

書院は予想以上に広くゆったりした構えの建物であった。韓国の観光客の姿も見えた。

そうだ韓国はいまでも儒学が生きている。書院の出口付近には朱子と毛沢東の詩書が肩を並べている。

近代中国の荒れ狂う時代に儒学は強い圧力を受けたように聞こえたが今は元にもどり静寂の中に佇んでいる。

中国の歴史は深く時の波紋はいつしか消えいくようだ。

2009/03/15

植物園の桜


長沙はどこも人でいっぱいだ。

どこか静かな穴場はないかと尋ねたところ植物園を推薦された。

ここは学校からバスで1時間ほどかかる。

802教室の男女生徒と8人ほどで出掛けた。早起きが苦手な彼等も今日は8時前に訪ねてくれ、はりきっている。

早朝のバスはさすがにすいている。1元(15円)で乗り放題のバスは超安価で快適だ。

植物園の前は下町の風情があり果物市場のトラックが行き交う。朝の公園は予想のとおり静かである。

まだ花の季節前なので草花は咲いていないが、樹木林のこぶしの花がきれいだ。公園の丘を下ると大きな池があった。

池の周りには沢山の桜の木があり「日本の桜」と表示してある。こちらの人もとても開花を楽しみにしていると聞く。

今日はほんのちょっぴり蕾がみられたが開花は10日ぐらい先であろう。池の前では結婚式をあげた数組のカップルが写真を撮ってもらっている。

ここの公園が大好きなカップルであろう。池のまわりで凧をあげている親子連れの長閑な景色。手を組んだ恋人たちを見て生徒たちは羨ましいそうだ。


みんな素直な気持ちのいい若者ばかりだ。伴侶はすぐ前にいるかも・・と話すと顔を赤らめた。

温室で花を5鉢ほど求めて帰りみんなで宿舎の屋上に飾った。

夜はみんなで餃子をつくり定例の宴会。李君は湖南省の古い民謡を歌う。陽気でちょっぴり照れ屋の彼も歌いだすと堂々たる風格が現れる。

徐さんと莫君が掛け合い歌を歌い出した。貧しいが心豊かな夫婦愛を歌ったものだそうだ。

速いリズムの現代の歌が好きな若者が昔から伝わる古謡も同じように楽しんでいる姿を見て感心した。

2009/03/14

開福寺は大賑わい


学校の北1kmばかりのところに開福寺があった。

生徒の魏さん、劉さんと3人で出かけた。週末とあって大そうな賑わいである。

寺の前には門前町のざわめきと自動車の喧噪がある。

派手で大形の線香を山積みにした縁台の横では占い師に運勢を見て貰っている人、這いつくばって物乞いしている浮浪者など様々な人間模様がある。


目を覆いたくなるような風景もあるが人々は無関心で通り過ぎる。

このお寺は観音菩薩が御本尊様の尼寺であるせいか、女性の参拝客が目立つ。特に若いお母さんが多いのに驚く。

本殿の中では人々が膝を折ってうずくまって熱心に拝んでいる。家族の無事安泰を祈っているのであろう。

「中国の人は家族をとても大切に思う」としばしばの場面で感じてきた。地蔵菩薩が千羽鶴のような着物をまとっておられたのが印象的である。


どの仏様も慈愛に満ちた笑みを湛えておられる。女性の参拝者の多いゆえんであろう。老若の尼さんたちは活動的である。

仏象や御経・掛け軸などの販売にも忙しい。ご飯を食べながらのお客接待も見かけた。

人前で食べることも恥ずかしいことではない、生きる基本であると逞しい。


中庭の池の中にある築地には仏像や花の塑像が飾られており、みんなが仏様のふところを目指してコインを投げ幸運を占っている。

劉さんの投げたコインは見事仏様の懐中に納まった。

彼女がこれから目指す「日本語能力試験1級合格」はこれで観音様にも保証されたようだ。

2009/03/13

さくら、さくら


昨日来、寒さが戻ってきた。

長沙で新調した防寒コートもお役目御苦労さまと思ったが、また出番がきた。

でも10日ばかり前とは違って寒さも緩んできた。例年ならば植物園の
桜もそろそろ蕾が膨らんでくる頃と聞く。804教室では日本の桜の花の話題がでた。


そこで「さくら、さくら」の歌も覚えてもらおうと歌詞を黒板に書いて一人歌ってみた。

すると何の奇跡か教室が割れんばかりの拍手が沸き起こった。生まれてこの方、初めての
経験に赤面しながらこの旋律の美しさにあらためて感動した。

歌いやすい旋律のため生徒もすぐ覚えた。春うららかな川の両岸に咲き誇るさくらの花、花びらが川面をおおいつくして流れていく様子を話すと皆からため息がもれた。

そしてCDの琴の音を伴奏に「さくら、さくら 弥生の空に・・」と感情をこめて歌ってくれた。

異国で聞く「さくら」の調べのなんと美しいことか!

クリックしてください。

http://www.youtube.com/watch?v=Dn6r-lSc2JQ

2009/03/12

MP−4は駆け巡る


日本の文化を紹介するためにCDやDVDそして文化・観光の本などを持って来たが・・・

 しかし日本の文化はインターネットで遥かに速く世界を駆け巡り、すでに長沙の街角にも届いていた。


 でもこの学校でパソコンを持っている生徒は少ない。しかしMP−4プレーヤーを殆どの若者が持っていた。

 何といってもMP−4(MP−3)はインターネット
から様々な情報をそっくり取り込んで引き出しにしまっておける万能タンスだ。

 いつでも引き出しを開ければ音楽、映画、アニメ、写真、録音、電子読書、ゲーム、ラジオ放送などが飛び出してくる魔法の箱だ。

 値段も200〜400元(3000円から6000円)ぐらいで手が届く。いまではこれなしの彼等の生活は考えられない。


 インターネットバーで希望のソフトをダウンロードしてMP−4に収める。インターネットバーは1時間2元(30円)で24時間営業、午前中は割引きで1元(15円)と格安。

 彼等はとりわけ日本のアニメ、映画、歌が大好きなのでせっせとここに通う。授業の合間に最近の日本の青春ドラマやアニメの話がポンポンんと出てくる。

 最新の歌も聞いて知っている。先生「東京の少女」のドラマを見ましたか?アニメ「吸血鬼バンパイヤ」はどうなるの?全くわからない私の顔には冷や汗が滲み出る。

 どうやら別次元の世界に来てしまったようだ。先輩の篤姫様に聞いてみたい。

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