永谷元宏の「長沙日語学院 友好の輪
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福島顕二郎の長沙教師録〜未来への道が完成(文字クリック)

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長沙日語教師録  
「コメント」



  
     

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2009/06/9

大和撫子


今日は生徒が朝からそわそわしている。


日本の若い女性が来られると校長先生からきいていたのだ。私は毎日、「今日のひとこと」を掲示板に書くのが当番になっているが、今日は「大和撫子」について書いていた。


生徒は「大和撫子ってどんなひと?」と尋ねたが、「今にわかるよ」とひと言返事した。

“話題の人”柿木さんは9時過ぎに教室に来られた。

即座にいつもの授業を休止し、彼女の「日本事情」に移った。

私は以前に一度だけ彼女にお会いしており、鹿児島市の市役所から長沙に派遣され今は長沙大学で研修をされているとお聞きしていた。


北京留学4年の経歴から語る彼女の中国語は美しく、また日本語はゆったりとして心地よい。久しぶりの綺麗な若い日本人女性の話をみんなうっとりと聞き惚れている。


「先生はどうして日本語がお上手ですか」と聞いた生徒もいた。沢山の質問も出てあっという間に予定の時間は流れた。

最後に日本の歌がリクエストされた。キロロの歌を彼女が歌い始めると皆も一緒に歌い出し教室は若い華や雰囲気に包まれた。


私も久しぶりに日本の若い人と会話ができとても幸せな気持ちになった。

この秋には長沙市と鹿児島市の友好イベントが計画されておりこれから彼女も忙しくなるそうだ。彼女をバス停に見送りながら両市のイベントの成功と彼女の活躍を祈った。

2009/06/6

発音練習


生徒は総じて発音に悩まされている。

特に「カッコ」などの促音(っ)や、おとーさんの「長音」そしてら行音が苦手だ。

「がっこう」が「がこう」、「おばさん」と「おばあさん」のゆゆしき混同、「らりるれろ」が鼻音の「なにぬねの」に変化するなど。

いわゆる母語の発音の影響が強い。私も英語の「L」で先生を悩ました口である。

リカちゃんは心根優しくとても勉強熱心な娘だ。そんな彼女が時々「わたし」を「わっし」と発声してしまう。

若い綺麗な娘に「先生わっしと一緒に食事をしましょう」と言われるとおお神よ救い給えと思ってしまう。


滞在の残り少なくなった私は「リカ発音改造計画」を立てて対面練習をしようと提案した。母音、子音から特殊音までマニュアルと首っ引きでボイストレーニングを始めた。


先生の歯並びの悪い口元を見ながら彼女は手鏡を見ながら唇の形を確認する。若い娘に口元を見られるのはトテモ恥ずかしいが少しづつ効果が表れてきたようだ。

「稽古は結構難しい」のフレーズが「けこは、けーこ むずかしい」から「けーこは、けっこう!」に変わる日ももう間近かだろう。

中国を去る頃には彼女達と一緒に食事をしながら言葉の神様に感謝する日が訪れるように願っている。

2009/06/3

小学校界隈


最近、姚さんと早朝の湘江へ散歩に出かける。7時過ぎには散歩を終えて学校に戻るが途中で小学校の児童に出会う。


小学校の校門付近には数軒の駄菓子や屋台が並び朝から繁盛している。子供達は屋台でチャーハン、麺類、肉まんじゅう等を買い立ち食いしている。


お母さん達は働いているので朝食は外で食べるものだとみんな悟っているらしい。「私もそうだったよ」と、こともなげに姚さんも言う。


子供達は腹ごしらえができると次に駄菓子屋を覗き込む。ところ狭しと並べてある駄菓子やアニメの写真、お面、プラモデル、おもちゃ、くじ引き等々をしわくちゃの一元紙幣を片手に持って吟味する。


付き添いのおじいちゃんやおばあちゃんはそんな孫たちの社交振りに相好を崩している。

そんな駄菓子屋街も学校の始業のベルとともにまた静かな朝に戻り、子供たちが食べ終わったポリ容器の山だけが跡を残している。


映画「三丁目の夕日」に出てきたような古き懐かしい時代の風景がここにはまだ息づいている。

2009/05/30

岳陽の旅(2)


昨日は洞庭湖近くの指宿(安宿:800円/1部屋)に泊まったが、室内装飾は剥げ泊客も殆どいない薄気味悪い宿であった。深夜、姚さんの部屋をノックする音がしたという。


しかし今朝は天気も回復し気分を取り直して対岸の君山島に向かった。長江が洞庭湖に注ぐ河口に架けられた洞庭湖大橋を渡ると5000年の長江文明(稲作文明)の田圃と原生野がそこにあった。


7000年前のもみ殻が見つかった遺跡はここから近いだろうか。君山島は古代王帝の妃が祀られ島であるが今は整備され道教の寺院や公園が点在する観光地になっている。


島の南岬は東洞庭湖を眺望する位置にあると知り島を一巡することにした。誰も通らない島の裏手に回ると山影の全く見えない原生野が水平線上に広がり、かって経験したことのない風景に感動した。


ほどなく遠方に水面の光を見つけた。それは近づくにつれ湖の様相を現わし岬の先端では洋々たる東洞庭湖の海原に変わった。


対岸はもちろん見えない。満ち引く潮騒こそ聞こえないが淡水の海には遊覧船がひとり悠然と湖上を駈けて往く。探していた静かな中国の大自然がここにあった。


長江はどうしても見たかった。地元の人に一番近い河辺を聞いた。この付近は長江の流れが右へ左へと曲がりくねっている。バスを途中下車して1時間ばかりの道を歩き始めるとオートバイで差しかかった近くの人が川辺まで乗せていってくれた。


人気のない堤防から長江の畔に下りてみた。この付近は芦原の中州が点在し流れはやや緩慢だが滔々たる長江の威厳は健在であった。


山羊の群れが草を食む傍らで何度もシャッターを切りながら悠久の歴史を育んだ中国第一の大河、母なる長江の流れをしばらく見つめた。

2009/05/29

岳陽の旅(1)


岳陽は長沙から汽車で1時間ばかり北の街だ。

中国第2の湖「洞庭湖」の畔に栄えた所で三国志フアンの自分にとって長江と並んで是非訪れてみたい場所だった。

幸い岳陽出身の姚さんが案内してくれることになった。長沙駅で朝早い汽車に乗り岳陽に着いたのは9時過ぎであった。

岳陽楼のバス停を降りると曇天の下に茫洋とした洞庭湖の風光が広がった。

海のような広大な湖水を眺めていると中国へ来て以来の解放感が体中に広がる。

湖畔は幾分湾形をなしその周りには高い城壁が築かれ古く呉の時代の軍港の様相を今も髣髴とさせる。岳陽楼の周りは公園として整備されその門前には観光の店が軒を連ねている。


岳陽楼は元来戦の基地と建造されたが幾度か再建され今の楼閣は清時代のもののようだ。

岳陽楼の上からは眼下に洞庭湖の眺望が開け数隻の大型船が往来している。遥か昔、長江の流れに乗って沢山の軍船が湾内に押し寄せたであろうと一人感慨に耽る。


一方、その風光明媚のため杜甫や李伯の詩にも詠われ楼内には多くの詩人の肖像画が飾られている。文学の地としても名高いようだ。


姚さんが売店で「岳陽楼記」を買ってプレゼントしてくれた。宋の時代の範仲淹の作で岳陽の名を一躍有名にした名文である。

「文末の”先天下之憂而憂後天下之楽而楽(天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ)”は中学の教科書に載っていますよ。ご存知でしたか?」と彼女は付け加えた。


そうだ熟語「先憂後楽」はどこかで聞いたことがあったと秘かに安堵した。政治に携わる者の心構えであろうか。いつの時代にも賢者はいるが賢明な為政者は出現し難い。

中国人は底辺も広いが途轍もなく優れた人材も稀に輩出してきたに違いない。中国の気品と誇りを垣間見た気がする。


日没間際に湖畔の商店街を散策していると通りの片隅から二胡の音が流れてきた。耳を澄ますと「チゴイネルワイゼン」だった。


夕暮れで人影もまばらな休息所に一人の青年が二胡を弾いていた。ジプシーの旋律に二胡の音色が哀愁を醸し出しすっかり魅惑されてしまった。


青年は瞑想の中に浸りながら高度なテクニックでひとり奏でる。その音はダイナミックにそして繊細に洞庭湖の風の中に消えていく。


演奏が終わると聴衆からため息が漏れた。ああ!こんなところにも隠れた名手がいる。僥倖はいつ何処からやってくるか分からない。世の中は広く深くそして面白い。

2009/05/26

卒業パーティー


今日で802クラスの生徒は2年間の全日程を終了し卒業を迎えた。

近くのレストランで先生を交えて昼食会が開かれた。長かった勉強を終えた喜びがみんなの顔に浮かんでいる。中国の人は友情が恋愛に先行するとも聞いた。


「同じ釜のめしを食った」戦友同士だ。半数は明日にも故郷へ帰るらしい。みんな肩を組みながら写真を撮りまくっている、ビールやジュースの中国式乾杯があちこちで起こる。


外は雨だというに中は熱気満々の世界だ。
夕方からは近くのホテルの部屋を借りて卒業パーティーが催された。


この日のためにそれぞれが趣向を凝らした出し物を考え勉強の合間に練習を重ねて来たようだ。司会者がまず一人一人に今日の感激をインタビューする。


もちろん今日は日本語から開放されて中国語で。教室の日本語会話とは打って変わって生き生きとして気合が入っている。


女性はこってりした化粧と派手な衣装で艶めかしい。いつも控えめな女生徒も全く別人のようで我が目を疑った。


インタビューの後はダンス、コント、カラオケなどが延延と続きディスコの音楽が流れるとみんなは陶酔したように踊りまくる。これは万国共通の若者のエネルギーだ。


中国語がほとんど解らない私にも彼等の喜びの雄叫びが今も脳裏にしみついている。

2009/05/21

卒業試験


704クラスはいよいよ来週の火曜日が卒業である。

卒業試験が今週から始まり私の担当の日本語会話はこれからの入社試験に備えて面接形式で試験を行うことにした。

質問内容は予め8項目ばかりを知らせておいた。みんな緊張して面接室に入る。

「自己紹介」の後に「日本語を勉強しようとした動機」、「将来の夢」「最近の関心事」「家族のこと」などの質問に答えてもらう。


「あなたの将来の夢は」の質問では数人の女子学生が「貿易会社をつくって社長になりたい」と答えたのに少々驚いた。

「まず日本の会社に通訳として入り仕事を通して貿易のことを学びたい。そして将来は彼氏と小さな貿易会社をつくりたい」と言うのだ。

彼氏が社長ではなく“自分が社長になって会社を育てる”と言うところに中国女性の強さがある。

小柄な彼女らの何処にそんな逞しさが秘められているのだろうか。

「日本の会社は残業が多いが大丈夫ですか」と聞けば「先生、大丈夫です。まかしてください」と胸をはる。

会話は流調ではないが、2年間の猛勉強を終えた満足感と7月の日本語能力試験に臨む緊張感の顔が輝いている。私はもちろん即座に及第点をつけ彼女らの健闘を祈った。

2009/05/19

スピーチコンテスト


今年のスピーチコンテストの形式は朗読に決まった。

今年の2月末に入学した新入生から2年生まで一同に集まって長沙大学の大教室で発表会が開催された。

司会から会場作りまで生徒主体で進められる。今年の司会は男性生徒の魏さん、女性は頼さんが受け持つことになった。

審査員は私と渥美さんの日本人教師2人と本校の先生3人の計5人。


さて、出場者はまず作品の選択から始める。インターネットバーや本屋に行って、気にいった作品を見つけ出すのに皆苦労したようだ。

インターネットでは中国人が書いた日本語エッセーが沢山掲載されているようだが誤文や誇張文も多い。

先輩や先生にみてもらい自分が納得いく文章に修正を加えてながら練習を行ったようだ。


発表者の顔には緊張の様子が漂っている。その中で今年のコンテストは始まった。

まだ勉強を始めて3か月余りの新入生から発表が始まったが朗読の上手なのには驚いた。

朗読の滑らかさやアクセントも正確で猛練習の成果がにじみ出ている。

順々に発表が続けられるが原稿をあまり見ずに話している。それぞれ緊張する中で、こまやかなに感情を表現しながら語る人、冷静に淡々と話す人など多くの個性がぶつかり合い面白い。


「どうしてこの作品を選びましたか」「どんな所をみんなに伝えたいですか」などの質問には朗読を終えたほっとした安堵感の中でニカミながらぽつりぽつりと答える。


甲乙つけがたい出来栄えが多かったが優勝は1年生の李さんに決まった。

日本の昔話からとった「山寺の小僧と子供の我慢の話」は我慢して猛勉強し続ける彼女の心を打つものがあったのであろう。


そしてその共感が素晴らしい朗読に繋がったのであった。

2009/05/18

長沙の大学病院


昨日の夕方、一年前にここで日本語教師をされていた渥美さんが表敬訪問に来られた。


岡崎市で日本語のボランティアをしている仲間だ。名古屋から広州経由で長沙に単身渡航された。

長沙空港へ無事到着後、範先生ご夫妻の歓迎会食にご一緒させて頂いた。久しぶりの友達に会って嬉しく話が弾んだ。


彼女の明るさと勇気にはいつも感心する。
宿舎に戻ってしばらく転寝をしたせいかどうも風邪をぶり返したようで喉が痛い。朝になると声が出なくなってしまった。


初めての経験だけに慌てた。劉先生と姚さんに喉の薬や風邪薬を買ってきて頂いた。今日の授業は渥美さんにお願いして休んだが回復の気配がない。


それで午後から生徒に近くの大学病院へ連れて行ってもらうことにした。

ここ中南大学湘雅医院は長沙でも名門の病院で評判も高いせいか患者の数は夥しい。

2時から始まる午後の診療には院内に人々が入れずに溢れている。

そのボリュームに圧倒されながら同行の生徒は診療の手続きなどを事務員や看護婦さんに尋ねてくれるが要領を得ない。

口をきいてくれない看護婦や横柄な事務員の冷たい対応に驚いた。

日本の病院の親切さを再認識する。1時間半ほど待ってやっと医師の診察の番が来た。お医者さんは言葉の不自由な患者に親切であった。


喉の腫れをみて3日程度の通院で回復すると診断されほっとする。診断書を渡され、治療薬を貰うに約1時間を要し治療室で薬液による噴霧治療を終えたのは閉院間際であった。


親身に世話をしてくれた生徒をはじめ心配をしてくださった多くの方々に心から感謝し病院を出た。


病院の周辺では病院に掛かれない親子が病気の子供を路上に寝かせて物乞いをしている姿が数か所で見られた。

経済発展のエネルギーの傍でその影は悲しく沈黙する。

2009/05/17

橘子洲の散歩


長沙の街を南北に流れる湘江の中州に橘子洲がある。

みかんの木が沢山植えられた市内有数の名所になっている。毛沢東が詩を構想した所としても有名だそうだ。

今日は久しぶりの好天の休日で大そうな賑わいである。公園内は広い芝生に池や噴水が点在し広々として気持ちがいい。


芝生の片隅の洒落たスピーカーからは日本の演歌のメロディーも流れていた。広い芝生には一人として中で遊んでいる子供がいない。


はてなと思っているとピーピーと警笛が聞こえた。巡回警備員のおじさんがハンドマイクで怒鳴っている。


散歩客はひたすら芝生のまわりの小道を行儀よく歩いている。繁華街の歩行街でよく見かける食べ物を口にしながら闊歩している人と同じ人たちだろうか。

でもみな静かだが楽しそうだ。

中国の人たちは日本人の何倍も写真が好きだ。どこでもモデルや俳優になったようにポーズを作って恥ずかしげもなく堂々と撮っていて微笑ましい。


同行の2人の生徒はそれぞれの恋人と夜のこの公園を経験ずみのようだ。

「ここからは湘江の流れを挟んで長沙市の夜景が素晴らしいです。


先生は奥さんがいないので残念ですね」という。今日は初夏の陽射しを浴びながら恋人の膝枕でうたた寝をするカップルが幾組もいた。

将来の中国の夢でも見ているのだろうか。

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