永谷元宏の「長沙日語学院 友好の輪
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福島顕二郎の長沙教師録〜未来への道が完成(文字クリック)

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長沙日語教師録  
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2009/08/15

生涯初ビザ取得


とうとう、就業ビザの取得が完了しました。

人生初のビザ取得のため、手続き等でわからないことが
多かったですが、西日本日中旅行社様にお願いをいたしまして、スムーズに取得することができました。
本村様には大変お世話になりました。
ありがとうございました。

関係書類を列記しておきます。

@旅券
A証明写真一枚(3×4cm)
B被授権単位査証通知表オリジナル (中国現地の地方政府から発行されたもの)
C外国人体格検査記録(日中友好医院或いは国立、公立病院で診察すること)オリジナル、コピー一部ずつ
D「外国専家来華工作許可書」のオリジナル
E査証申請表(西日本日中旅行社ホームページより)

2009/07/21

初めまして、福島 顕二郎と申します。


永谷先生お疲れ様でした。

2009年9月より長沙学院でお世話になります。
福島 顕二郎と申します。

出身は鹿児島で、この度日本語教師で行かせてもらうことになりました。

中国へのあこがれを持ち、今しかないというチャンスに恵まれ、大変うれしく思っています。

今までの先生方と同じく、素晴らしい体験ができるものと思っています。

是非これからの活躍をどんどん載せていきますので宜しくお願いいたします。

2009/06/30

最後の授業


804クラスは昨日の期末テストが最後の授業であった。

テキストの会話場面を暗記して寸劇を実演すること、および「将来の夢」についての自由会話が課題。前者はよく感情が入った生きた会話ができ生徒達は皆満足そうであった。

また、「将来の夢」を楽しそうに語る彼等の日本語の上達にあらためて驚いた。


今日は802クラスの最終日。日本のこと、留学の話など沢山の話がでた。


半数の生徒は7月上旬に卒業し就職活動に入る。「先生、日本企業に勤める場合の注意点を教えてください」と聞く生徒がいた。


「お互いの文化・習慣は似ているようで異なることも多いですね。それぞれが相手の立場を尊重することから理解と信頼が始まると思います。」と感想を話す。



彼等はこれから他科目の期末テストを終え、次いで7月5日の日本語能力試験を済まして故郷に帰って夏休みに入る。


赴任後4ヶ月余の経験の中で過ぎゆく時間の経過は早くもあり緩慢でもあった。


そして僅か長沙の一隅から垣間見た中国であったが、都会の喧騒も、田舎の静寂も、寒さと猛暑の気候も、そして中国の人々の話し声も全てが中国という大陸の地から湧き出るエネルギーの塊りであり大地の上を流れる風のような気がした。



今日は久しぶりの雨で心地良い。近くの店の開店を祝う花火の轟音を聞きながら、ここで私の日記の最終ページを閉じたい。


一人一人の生徒に、先生方に、また各地でお会いした人々に、またこの機会を与えていただいた友人・先輩諸氏に心から感謝をいたします。



そして最後にこの拙い日記を読んでくださり励ましていただいた多くの方々にお礼を申し上げます。

2009/06/26

湘江の夜の集い


802クラスはユニークな組だ。

今日の最終授業の後で「先生、今晩に湘江へ行きましょう」と誘われた。

日中のうだる様な暑さに閉口した人々は湘江の畔で夜風を当たりながら涼をとる。

夜の湘江は遠近からの光で美しい。日が沈んだ河には観光船が明かりを灯して行き交う。

夜の8時頃みんな三々五々と水辺に集まった。


沢山のお菓子やつまみ、スイカなどがシートの上に広げられた。

「さあこれから先生の送別パーティーを始めましょう。先生お世話になりました。乾杯!!」

と幹事が音頭をとる。このクラスの3分の1の生徒は短期修学生(1年間)のためもうすぐ卒業し学校を去る。


互いに肩を組んだり顔を寄せたりしながら何度も何度も写真のフラッシュをたく。


ハンカチとりゲームが始まった。子供のころに覚えた歌をみんな大声で歌いながらゲームは果てしなく続く。


バツの人は待っていましたとばかり得意の歌やダンスを始める。何という無邪気さと明るさだろう。全身で楽しむのが中国の人たちの生活スタイルなのだろう。


「先生今日は楽しかったですか」
と何人もの生徒に尋ねられる。

「もちろんさ!ありがとう」と思わず答える。


湘江の夜の美しさと涼しさの中で集ったユニークな送別パーティーの思い出はいつまでも脳裏に焼きついているだろう。

2009/06/23

 送別パーティー


804クラスの生徒が送別会を開いてくれるという。

期末テストを控えているためちょっと早めだが嬉しい。このクラスは纏まりが良く、切磋琢磨してよく勉強する。

赴任した時は言葉がなかなか喉から出なかったが、今は殆どの生徒が積極的に話すようになった。

彼等の努力に喝采したい。さて、送別パーティーは午後6時から教室で開かれた。班長の周さん、李さんの司会でしりとり遊びゲームから始まった。


バツの人は恥ずかしがらずに歌や踊りを堂々と披露し場を盛り上げた。私の挨拶のあと代表の数人の生徒からお別れの言葉をいただいた。


ああ、わずか4カ月余の間に彼女達にこんな思い出が宿ってくれたのかと思うと胸がジーンとこみ上げる。続いてみんなで中国の歌を3曲も歌ってくれた。


周さんから「歌が大好きな先生のために用意しました」と言って中国語と日本語の歌詞も貰った。そして「師に感謝」のコーラスをみんなが手振りをしながら歌い出すと涙腺の弱くなった老師の目はだんだんと霞んでくる。


最後に「別れの歌」をみんなで輪になって廻りながら歌った。この日のことは忘れまい。生徒に感謝!!彼等の幸せを祈らずにはいられない。

2009/06/21

水郷の村(2)


昨夜はぐっすり寝込んでしまった。

長沙の蒸し暑い夜に比べこの村では田圃や池の上を渡ってきた風の何と爽やかなことか。

鳥の声で目覚める朝は久しぶりだ。朝食の後でお父さんに南洞庭湖の支流に連れて行ってもらう。

木漏れ日の小道を少し行くと堤防の道に出た。湖と民家の間にはこの高い堤防が築かれている。

10年前の大雨では民家が水で浸され周辺の村人はこの堤防の上でしばらく生活をしていたと聞いた。


洞庭湖はその面積をだんだん減少していると聞くが、時にはこんな洪水の顔も併せ持つのだ。湖畔は、まだ朝早いので幾分霞がかかり静けさの中に幻想的な雰囲気を漂わせていた。


暫らくすると、対面の島で作業をする人がやってきて小舟にのって一人島へ渡って行った。


帰りは運河沿いの道を歩いた。運河の水面には水草が一面に繁茂しアヒル達が泳いでいる。河の周りの田圃にはもう穂を出した稲が青い絨毯のように一面に広がっている。


途中で会った村の人とお父さんは煙草を吸いながら話をはじめた。「お父さんは友達と会うといつも話が長いんですよ」と李佳さんがこぼす。こうして友と話をする時がお父さんの至福の時であろう。

たばこの煙のようにゆったりと時が流れる。


実家の前には大きな池がある。ここで魚や貝を養殖している。家に帰るとお父さんは魚とりの準備にはいった。


小舟をあやつって網を張りその周辺の水草や水面を棒でたたき魚を追い込む。お母さんが池の蓮を取りに行こうと誘う。


この辺りは本当に池が多くきれいな蓮の花が池いっぱいに咲いている。お母さんは首まで水に浸りながら蓮の実と根を採って小道の方へ放り投げる。


魚と蓮の根とそれに池で捕れた大きな貝でもう昼食の材料はそろってしまった。隣の元気なおばあちゃんが来て料理をしてくれる。


おじいちゃんが裸で一緒に食卓に加わる。「日本は裸で歩いてもいいのかねえ」とおばあちゃんが聞く。

私は即座に「すぐに警察がやってくるよ」と答え爆笑が湧く。

“向こう三軒両隣”の長閑な世界がここにある。

2009/06/20

水郷の村(1)


李佳さんの故郷は南洞庭湖の北側にある小さな村である。

彼女の故郷を数人で訪ねた。長沙から高速バスで2時間ばかりで南洞庭湖の湖畔の街、沅江市に着いた。

この辺りは湖の地形が複雑に入り組む風光の地で、ここには行き交う船の見張をする塔が各所に建造されている。


李佳さんのお母さんの案内でその一つの稜雲塔に向かう。この塔は湖の小島に建てられているのでそこへは渡し舟で行かねばならない。


湖岸から大声で島の渡し守を呼ぶ。そのうちに昔ながらの櫓漕ぎ舟を操って島から船頭さんがやってきた。島には古びた小屋の横で風力発電機がひとり回っている。


目指す塔は総石造りで五重の塔を少し大きくしたような頑丈な構造であった。清代に建造されたと記されている。狭い螺旋状の石段を登りきると洞庭湖の美しい景観が飛び込んできた。


それにしても、どうやってこれだけ大きな石を島に持ち込み積み上げたのであろうか。一介の湖畔の塔を木材でなく石で造ってしまうことに、その発想の大胆さと中国人のパワーを感じる。



市内に戻って地方バスで彼女の実家の村、泗湖山に向かう。市街を過ぎ洞庭湖の支流の橋を過ぎると、山のない防風林と田圃や池だけが続く平原の景色になり長閑な生活の匂いが漂っている。


1時間余りで実家の前でバスが止まった。お客さんの降りたい所が停留所のようだ。彼女の実家は一階が家畜部屋と台所、二階が居間寝室の立派な造りだ。


長沙に比べると蒸し暑さが少なく田圃からの風が心地よい。皆で散歩に出た。畑の所々に土盛りがしてある。ここらはまだ土葬のようだ。


「あの壁で囲んであるのは、お金持ちの墓ですよ」と彼女が付け加えた。

経済開放後、都会と田舎の格差、若者の都会への流出など田舎が抱えている問題もありそうだ。田畑の端の堤防を登ると野兎がいた。

ここではまだ自然の循環が残っている。夕食を囲んでいると村の人たちが集まってきた。日本人は殆ど見かけないので珍しいらくしきりに声をかけてくれる。


村人は大声で明るい。日本人はテレビの中で見る人種だが実物はどうかと興味深々のようだ。食卓の周りは野飼いの鶏が残飯整理に忙しい。

2009/06/17

日本語会話の上達法


火曜日の午後は授業がないので、今日は方さんと陳さんが宿舎にきて会話練習や雑談などした。


そんな話のなかで彼女達がぽつりと「先生、会話がなかなか上手にならないんです。何かいい方法はありませんか?」と言う。『“文法や語彙”は猛勉強してきた成果が出ているのに最も大切な会話はどうしてだろう?・・


友達と中国語で話す時と日本語の会話練習ではどんな所が違うのかなあ』とみんなで考えてみた。

「そうですねえ、友達との話では感情が入っているよ、また時々身振りや手振りもするよね。でも会話練習の時には練習問題をやったり応用会話を作ることに精一杯で余裕がないよ。


それに友達とは恥ずかしくてあまり会話練習もしないしね。」と彼女らの感想。
そこで閃いた。

「まず基本会話を徹底的に暗記してしまおう。」そして「本を見ずに会話の寸劇をやってみよう」。門前の小僧習わぬお経を覚えると言う諺があるではないか。


まず基本の会話をきちんと丸暗記しまうことだ。それに一人で会話を練習する方法は?・・そうだ日本では落語という古典話術があるではないか。

落語方式なら一人で熊さん八っつあんの二役もこなせるし、感情をいれたり見振り手振りは得意芸だ。一人でも対話練習ができそうだ。

その後、皆で会話場面の寸劇をやってみたらどうかなあ。感情も入るので、アクセントもきっと良くなり盛り上がるぞ。」この提案に彼女達は妙に納得してくれた。


今日の授業でみんなに話してみた。面白そうだやってみようと皆の目も輝いた。

2009/06/14

河畔のトレーニング


長沙の夏は高温高湿で大変だと聞いていたが6月早々からとは予想外だった。

寝苦しい夜が早く去り夜が明けるのを待ちかねた人々は早朝から湘江河畔に集まってくる。私も中国語の勉強を兼ねて姚さんと朝の散歩を続けている。

散歩、ジョギング、太極拳、ダンス、古武道、凧揚げなど平日は中高年の人たちがグループを組んで公園の所狭しと活動をしている。それぞれこの道何年のリーダが先頭に立って模範演技をする。


どの顔もイキイキとして楽しそう。「太極拳のリーダは72歳だ。もう10年ここでやっているよ。」と教えてくれたおじいさんは82歳、以前心臓病を病んだが太極拳を始めてもう5年、この頃は風邪も引かないよと胸を張った。


湖畔の散歩道には多くのトレーニング器械が設置されている。これで年配者が子供のように楽しそうにトレーニングをしている。

これ等は子供用や若者用ではないらしい。実に年配者の運動にふさわしい動きの器械が多い。中国のおじいちゃんやおばあちゃんは退職後に孫の面倒を見るという大役が待っている。


いたずら盛りの孫を見るには、まず自らの足腰を鍛える必要がある。これらの器械で早朝トレーニングをすませ、孫の到着を待つに違いない。

歩行や腰振り、ボート漕ぎ、懸垂など様々な運動ができる器械が並んでいるが、それ等の造りは、街の鍛冶屋さんとペンキ屋さんで手造りが出来るような安くて丈夫そうな物ばかりだ。私たちも一通りやってみた。


簡単だが面白いものが多い。長沙市は実にユニークな物を作ったものだと感心した。これは日本でも是非取り入れて貰えたら嬉しい。


帰ったら提案してみようかなと写真を撮った。日本も高齢化社会に入りつつある。年配者の活気を保つためには、まず元気な身体からだと一人うなずく。

2009/06/12

熟年コーラス


故郷の岡崎で男性コーラスグループの末席で歌っていたので、中国のコーラスグループを一度訪ねてみたかった。

今日は念願かなって黄先生の紹介の熟年コーラスグループの練習会に生徒と一緒に出かけた。

日本によくある文化センターのようなビルの一角で練習が始まっていた。玄関で殷さんが迎えてくださり活動の概要や実績を話していただいた。

長沙には熟年コーラスグループが10団体ほどあるそうだ。このクラブの団員は殆ど定年退職者であり殷さんも元技術者で今はフリーの身。メンバー構成は女性40人男性20人の混成4部合唱。


やはり中国も女性主導型のようだ。指導者の蘇先生を紹介してもらう。先生は専門の音楽家であるが温和でにこやかな笑顔の持ち主だった。


日本から持ってきた楽譜とささやかなお土産をお渡しした。基礎音階練習、パート練習の後で総合練習が始まった。後ろの末席で聞かせてもらう。


モンゴルの勇壮な曲「夕日紅」の歌声が教室に響きわたった。指揮を振る先生の眼差しは厳しくなり力がこもる。美しいハーモニーができるまで何回も反復が繰り返された。


みんな真剣に取り組まれ感心した。最後に私のために中国の歌「打起手鼓馬起歌」を合唱して頂いた。

「レコーダに録音した歌声を日本の仲間に聞かせます」とお礼を述べると皆さんから歓声が湧いた。

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