永谷元宏の「長沙日語学院 友好の輪
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福島顕二郎の長沙教師録〜未来への道が完成(文字クリック)

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長沙日語教師録  
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2009/09/6

中国式バーベキュー



朝のバトミントンは気持ちが良い。

なかなか、日本で運動する機会が無かったが中国でたくさんのスポーツを経験することが出来そうだ。

休日の朝にこんなに汗をかくことが有っただろうか。


範先生と約2時間、一緒に汗をかき、昼食を一緒に食べることに。

「日本料理を食べましょう。」といわれ、久しぶりの日本食に心が躍る。

範先生の話では長沙にはまだまだ日本料理屋が少ないらしい。

店に着き、入り口で和服姿の女性に「いらっしゃいませ」と挨拶をされ、中へ進む。

中は日本風の造りで、かかっている音楽もすべて日本の最近の曲だ。

料理は天ぷら、寿司、串焼き、ウナギ、刺身など何でもあり、日本と変わらない味。

ただし、串焼きは味が少し長沙の人たちに合うように作られており、日本とは違った感じがした。

お酒も日本酒を頂き、食べて飲んでとても楽しい時間になった。

範先生から、中国、長沙の話や、歴史、地理の話が聞け、大変有意義であったと思う。


夕方から生徒たちと先日行った烈士公園でバーベキューをすることに。

一緒に買い物をし、そのあしでバスに乗り、烈士公園
へ。

調理の準備は生徒に任せ、火おこしとカメラマンになる。

周りは自然の中で、静かで、環境が本当に良い。

周りがだんだん暗くなる中でみんなとの楽しい会話とおいしい野菜、果物、肉を食べていく。

バーベキューのたれはもちろん無い。

変わりにしょうゆとバーベキューのたれに近いものと辛みの香辛料を皿に入れ、肉や野菜を焼きながら、油と調味料を混ぜた物をハケで塗っていく。

焼きながら、味を付けていく感じだ。

もちろん、私は辛さを抑えた、たれにしてもらったのだが。


学校へ帰り、生徒から電話。

故郷の友人が遊びに来ているので先生を紹介したいと一緒に食事をすることに。

学校近くに屋台で焼き物を。

生徒の友人といっても、私よりも年上で、話はできないが、身振り、手振りや話の雰囲気でなんとかコミニュケーションを取ることが出来た。

中国人はとても、気さくで、楽しく、話が尽きない人がたくさんおり、中国の楽しい休日を過ごさせてもらった。


2009/09/05

初めての友人


本日、晴天なり。

中国にきて、初めての休日。

範先生とバトミントンをすることになっていたので朝8時に学校の体育館へ。


範先生がまだ来てなく、休憩場所で座って待っていると
一緒にバトミントンをやらないかと話しかけられた。

まったく、知らない人から話しかけられ、つい、日本語で「私は、中国語が分かりません」というと「日本語すこしわかりますよ」と日本語でかえされた。


王 らいさんというかたで日本に昨日まで行っていて、帰ってきたばかりだそうだ。

一緒にバトミントンをし、話をして仲良くなり、ご飯を食べる約束をした。

話の中で長沙にも温泉があるそうだ。

泥を使った温泉らしい。

是非、行ってみたいと話をすると10月1日に別の友人たちと行くので一緒に行かないかと誘われた。

とても、うれしく、ご一緒させていただくことにした。

スポーツをすることで、中国人の友人が出来たことはとても良いことだ。


午後から生徒たちと昼ご飯を食べ、たのしいおしゃべり。

別の生徒たちと一緒に出かけることに。

行き先を聞かず、教えてもらえず、後を付いてくるように言われタクシーへ乗り込む。

10分ほどで湘江へ着き、湘江の橋を半分ほどそこから歩くこと20分。

橋の下にある島の公園へ着いた。

昔は人が住んでいたそうで、家があるが、今は公園となっており、家もそのまま残っていた。

休憩を入れて3時間の散歩。

途中にはミカンの木や桃の木など自然豊かで、ミカンは勝手にとって食べて良いらしく、まだ、少し青いミカンを取ってみんなで食べてみた。

少し、すっぱいがおいしいミカンだった。

休憩所に行き、守衛さんと仲良くなり、日本語のレッスンを少々。

向こうにも留学生がいるよと言われ、行ってみると黒人と中国人が一緒にいた。

話しかけると、アフリカからきた留学生とのこと。

スペイン語が標準語だそうで、一緒にいた中国人はとても上手にスペイン語を話しておりとてもかっこよかった。

中国人はスペイン語の「るるるるる」という舌の使い方がうまくできないらしい。

日本人はこれが出来るのでスペイン語の発音が上手に出来るらしい。

機会があれば、習ってみたい物である。

一緒に写真を撮り、国際交流ができ、とても、よい経験が出来た。



夕食を食べるために、長沙市の中心、五一広場へ。

週末でもあり、人でごった返し。

街の雰囲気は大阪、名古屋にとても似ていて、活気がすごかった。

迷子にならないように、みんなについて行く。

すき焼きを食べに行くと生徒が言うのでどんな物かと興味津々。

着いたところは火鍋屋さん(店名 串串香)。

名前からして辛そう。

店は満員で入り口にて待つこと30分。

食事は辛い汁と辛くない汁の二つがついた鍋に野菜や肉を入れて食べるシンプルな物。

辛い方も挑戦するが、なかなかの辛さ。

味よりも辛みが舌を刺す。

中国版すき焼きを堪能して、熱帯夜の街から家路につく。


2009/09/04

烈士公園へ


午前中の授業が終わり、午後から生徒たちに本屋へ連れて行ってもらうことに。

バスに乗り、20分くらいの建湘路、定天台というところだ。

長沙の中心近く、地下1階と地階1階の「新華本店」。

日本の本を探したいと思い歩き回る。

日本語検定の参考書はかなりの数があるが、日本語の本は全く見つけることができなかった。


残念顔の僕を見て、生徒たちが烈士公園に誘ってくれた。

烈士公園は湖、遊園地、遊歩道が一緒になった大きな公園だった。

遊歩道は木々に囲まれ、平坦で歩きやすい道が続く。

先へ歩いていくと木々の中から突然現れるアトラクション。

遊園地だ。

かなりの広さでたくさんのアトラクションあり、全部遊ぶには丸1日かかりそうだ。

遊園地のあいだを抜け、目的の湖へ。

夏には、暑さを避けるためたくさんの人が来るそうだ。

湖にはボートがあり、みんなで乗ることに。

足こぎ、オールを使い中心までみんなでこぎ出す。

景色は最高。

晴れていたので、夕日がとてもきれいに見え、湖に映る森やビルに心癒される。

生徒たちは、大はしゃぎ。

水をかけたり、ボートを揺らしたりと一緒に楽しむ。

若い昔を想い出し、みんなから元気をたくさんもらった。


帰りにみんなで夕食をとることになり、学校近くの屋台へ。

初めての「まーらーたん」を食べることに。

鍋のだし汁が赤く、辛く、自分の器にも辛い調味料をいれ、野菜や肉を食べる鍋である。

とても辛い。

青梗菜はとてもおいしく、揚げ豆腐のようなものもおいしかった。

ただし、中国の肉はちょっと口に合わない気がした。

今まで、食べた中で1番辛い料理だと思う。

2009/09/03

トラブルの中でも社会見学


朝から流れないトイレにどうしようかと思いここは一つ、自分の力でどうにかしようと近くのスーパーへ一人で行くことに。


一人での買い物は初めてだが何度か来て、要領は分かっているが、やはり不安。

長沙のスーパーは、日本と同じようなもので品揃えも良く、値段もしっかりと書いてありレジを通るだけである。

レジを通した後で出口にいる検査員にレシートを見せて、外へ出るだけである。

中国語が話せなくても、何とかなるところがよい。

トイレ、浴槽洗剤とトイレのスッポンを買い、いざ、トイレへと向かう。

・・・何回やっても水が抜けてくれない。

汗だくになりながら、30分の修理作業は過酷でありスッポンを動かす腕に力も入らず、足に震えがくるほどだ。

これでは、自分の知識と力ではどうすることも出来ない。

早速、劉先生に電話をし、管理人の方に来てもらうことに。


管理人が来るまでに時間があるので、昼食を生徒たちと部屋で作って、食べることに。

まずはみんなでスーパーへ食材探し。

一人一品を作るということで、生徒たちがそれぞれに食材をかごに入れていく。

「先生はカエルを食べますか。」と生徒から聞かれ、是非、食べてみたいというと早速買ってくれた。

どんな料理が出来るのか楽しみ。


部屋に帰り、食事の準備に取りかかる。

生徒たちは、実家で料理をしたことがないらしく包丁さばきはあまり上手では無かったが、さすがは、中国という味付けを見事にこなしていた。

長沙の人は辛い物がとても好きである。

たっぷりの唐辛子を野菜炒めの中に入れると調理場いっぱいに辛い匂いが鼻を刺す。

たまらず、別の部屋へ駆け込み避難。

料理はスープ、炒め物で辛くない料理も作ってくれた。

味はおいしく、辛い物もそれなりに。

生徒の作る中国料理風景が見られて、本当に良かった。


昼食後、管理人に来てもらいトイレの修理をお願いする。

一度、トイレを見て、道具を取りにまた戻っていった。

数分後、持ってきた道具は電気ドリルの長い物。

人の手でするような修理では無かったらしい。

20分ぐらい、工事現場のような音を立てガリガリと排水溝を削っていく。

自分ではとても修理は出来ないなと思いつつ、修理完了。

管理人が帰ったあと、トイレと風呂場の掃除に一時間。

大変な一日になったものである。

2009/09/02

トラブルは突然に


朝が来て、生徒と一緒に目を覚ます。

早上好。

昨日の事を想い出し、寝床から起きあがる。


どうしたらいいかと悩む前に、生徒から「朝食を食べにいきましょう」と誘われ
食堂の1階にあるオープン屋台へ。

米面、包子、肉まんじゅう、朝食を外でとることは学生にとって当たり前。

一緒にうどんのような物をすすっていると範先生の車が横を通りすぎる。

あわてて、隣にいた周金玉くんと先生の元へ。


先生に事情を説明し、周君と鍵屋さんを探しに街へ行くことに。

途中で陳 明さんも合流し3人で街を歩く。

まず、学校の近くの人に居場所を聞き、家へ。
扉をたたくが、返事無し。近くの人に聞くと留守との事。

とりあえず、別を当たることになり、街をぶらぶら。

歩くこと数分、別の家の人に聞いたところ、知っている人がおり
名刺をもらい電話をかけ、交渉成立。

学校に20分くらいで来られるそうだ。

学校へ戻り、待つこと10分。

ようやく、到着。すぐさま、修理へ。

プロの手さばきで「開かずのとびら」が徐々に開きだし、中へ。

よかった。やっと、中にはいることが出来た。

昨日の汗をかいたシャツを着替え、学校に行く準備をする。

トラブル解決で劉先生に報告を。


毛先生に聴解の授業を1限目にしてもらい、2限目から授業へ。

0802クラスの作文授業。

早速、失敗談から始まり、テーマは「最近、失敗したこと」
生徒にとっては迷惑なテーマだったらしく悪戦苦闘で作文を仕上げていた。

もっと良いテーマに出来るように悪いことが起きないことを祈るばかりである。


授業が終わり、生徒から岳ろく山へ行かないかと誘われた。

バスで30分くらいの名勝地。

頂上までの途中に毛沢東が若かりし時に勉強をした愛晩亭、長沙長官であり軍人の「蔡う」という人物のお墓、長沙の戦没者のお墓等があり散歩にはちょうど良い。

徐々に登りが急になり、木々の間の小道を通り抜けていく。

生徒たちは、走ったり、途中にある大きな石に登ったりと元気いっぱい。

こちらが、息が切れかかっている横をスイスイと登っていく。

女の子も元気が良い。

楽しそうにおしゃべりをし、たまに、日本語の勉強。

登りの途中に120年の大木を拝み、頂上へ。

頂上は東に長沙の街を望み、西へ自然豊かな山や川がある眺めの良い
残念ながら霞がかかっていて長沙の街は少ししか見えなかったが
満足のいく眺めであった。

夜になれば、夜景がとてもきれいに見える場所でもある。

頂上までは車道があり車があれば是非行ってみたい物である。

バス乗り場から約1時間30分の登山。

鹿児島の霧島にある高千穂の峰ほどの登山ではなく、散歩がてら
頂上へ行ける気軽さがあり、登ってくる人があとを絶たなかった。


下山後みんなで夕食を食べることに。

昨日行った蒸し料理屋へ。

料理はおいしく、少しお酒も飲みいい気持ち。

生徒が「ゲームをしましょう」と盛り上がり
中国式若者の飲み会ゲームをすることに。


親が5、10、15、20の数を言い、それに対して
みんなが手の動きで応えるゲームだ。

5は両手をパーの形、10は両手をグーの形、15は右手がパーで左手がグー。

20は両手をグーにする簡単なゲームである。

間違えると、もちろん、お酒を飲まなければならないのだが。

最初は慣れず、間違っていたが、コツを掴み100%正解でゲーム終了。

生徒たちも間違え杯が進む。


帰り際に、お酒代と食事代を払おうとするが、「大丈夫」の一言で
受け取ってもらえない。

中国の生徒たちとの楽しい時間と暖かい心に感謝し、学校へ帰る。


家に帰り、シャワー室を覗くとなんと、水が流れていないではないか。

トイレとシャワー室は一緒なので、さらにびっくり。

トラブル続きで今度は配水管が・・・。

2009/09/1

焦ることなくゆっくりと。


初めての授業に入る。


日本語検定2級を合格し、12月にある1級試験をめざすクラス。

全部で10名。

聞き取りに関しては問題なく、発音もかなり良い。


始めに、簡単に自己紹介。

流暢に出来る子が多いことにびっくり。

これから、どんな手伝いが出来るのか
今から、楽しみであり、自分も勉強になるであろう。


午後からは2級試験をめざすクラス。

自己紹介をしてもらうが

前のクラスに比べるとまだまだ単語不足を感じる。


授業が終わり、食堂へ。

大半の学生は食堂を利用する。

ご飯と一品料理が並ぶ。

一品料理は1元から4元までと安い。

ご飯の量がとても多く、茶碗2杯分ぐらい。

その上に、おかずとしての一品料理をのせる。

2つ注文するだけで、かなりの量だ。

味は辛い物から辛くない物まであるので注文の仕方で
味を楽しめる。

学生と一緒に行き、注文してもらい楽しい昼食をとることが出来た。


昼食後、すぐに、

「学校の近くの湘江に行きませんか。」とのお誘い。
もちろん一緒に行くことに。

湘江は観光船もある大きな川で、船下りもしている。

散歩道に適しており、家族連れから小学生まで様々な人たちが訪れていた。

悠久の流れの中でみんなとのゆっくりとした散歩を楽しんだ。


湘江の散歩の後にみんなで晩ご飯を食べることになり

初めての蒸し料理を食べさせてもらうことに。

蒸し料理といっても始めに炒めた料理を皿に盛り付け

皿のまま蒸籠の中に入れている物だ。

席に着く前に、店の前に置いてある蒸籠の中の一品料理を選び
席に着いてからみんなで食べる料理を選ぶ。

魚、肉、野菜のバラエティーに富んだ料理が卓に並ぶ。


料理を食べ、乾杯になりみんなの杯が空く。

中国では、乾杯をするとすべて飲み干す習慣があるとそこで教わった。

飲みきらないことは、失礼に当たるのですべて飲むとのこと。

あまりお酒に強い方ではないが生徒たちの進めに、楽しく、おいしい時間を過ごすことが出来た。


夜は八時から範先生が、学校内の体育館でバトミントンをしているということで

お昼に範先生にご一緒させていただく事に約束を取り付けており、
体育館に行くことに。

範先生はまだ来ておらず、拙い中国語で話しかけるが、不審者を
見るように冷たい視線が突き刺さる。

範先生の名前を出すと急に優しくなり、席を勧められ、たばこを勧められた。

中国では親しくなるルーツとしてたばこをよく勧めるそうだ。

日本と違い、自分が吸う前に他の人に勧めることが礼儀であり
勧めすぎて悪いことはないそうだ。

そう言えば、男子生徒からしきりにたばこを勧められていたことを想い出した。



範先生も到着をして、早速バトミントンを始める。

遊びで何度かしていたし、テニス経験もあるので、
大丈夫だろうと軽い気持ちで始めたが、始めて5分もすると
汗を大量に書き、足もまったく動かず、範先生に休憩しましょうと言われる始末。

全く持って、情けない。

先生との年齢差を考えると互角に出来るのではと思っていたが、範先生の技量には
とうてい追いつかず練習相手にもならなかった。

あとから、範先生のバトミントン歴は2年で体育館を管理している社長の息子さんで
省の選抜選手と一緒に試合をしているとのこと。
(社長は若い頃バスケットボールの選手をしていたそうだ。とても背が高く、おだやかな人だった)

範先生の試合を見るとかなりの運動量で、私では相手にならないことを痛感。

中国人の年配の女性と練習をさせてもらったが、こちらも歯が立たず、最終的に
足がもつれ転んだところでゲームセット。

これから、毎週月、土、日で自分をバトミントンで鍛え直し、いつの日か範先生と互角に試合が出来るようになりたいと思いつつ、家へと帰る。


家に着き、鍵穴に鍵を差し込むがなかなか入らず、右へ左へ。

あっと思った瞬間、鍵穴に鍵が入ったまま、根本からぽきっと折れてしまった。

呆然とするが、すぐに、先ほど別れた範先生を捜しに走り出す。

見つからない。

失意のうちに家に戻るが、どうすることも出来ない。

困ったときは好朋友。

中国人の友情にかけてみることに。

先ほど、食事をした生徒の男子寮の部屋に行き事情を説明。

快く部屋に泊まっていくように言われた。

ありがとう。本当にありがとう。

言葉では言い表すことの出来ない感謝で一杯。

みんなに囲まれ安らかな就寝へ。

2009/08/30

いざ、街へ


日本では総選挙の日

鳥のちっちっという鳴き声で目を覚まし、周りを見渡す。

部屋にはベッドが2つの寝室にテレビ付きのフロアー、共に机付き。

調理場と洗面所兼風呂場兼トイレの4部屋。

寝室にはクーラーもあり快適。

早速、シャワーを浴びようと思ったが、お湯の出し方がわからず断念。

風呂桶無く、シャワーのみ。

トイレは水洗、和式トイレ(もちろん仕切り無し)

調理関係用品は揃っており、食器、炊飯機等々調理には困りそうにもない。


朝から曇りで雨も降ってきた。

少し外に出ようと扉の前で一人。

開かずの扉が立ちふさがる。

入り方は教わったが、出方を教わらなかった。

しまったな、心の中で叫んでみたがここは一つ

自分の力でどうにかしよう。

鍵を内側から差し込んでみたり、鍵穴をひねってみたり動くねじを回してみたりと、悪戦苦闘の30分。

単純な鍵の仕組みを何とか解明。

ゆっくり考えれば開く扉をがちゃがちゃしないことが
近道だったと思いながら、外へ出る。


朝から生徒に連れられ街の散策と店の紹介。

今日のガイドは周 亜紅さん、陳 明さん。

大雨の中、近くのスーパーへ生活用品の中で足りないものを買い出し。

途中でまんじゅうと豆乳を買い、職員室へ。

まんじゅう、豆乳ともにかなりの美味。

朝ご飯は毎日これでいいかな。


電機、インターネット関係の設備、携帯電話について分からなかった事を劉先生に相談すると、コンピューターに詳しい陳 建東くんを携帯電話で呼んでもらい、一緒に買いに行ってもらう事になった。


携帯電話はカードを購入して使用することになった。

中国国内では地区を移動するごとにカードを買い換
え、番号も変わるらしい。

中国の人は携帯電話の番号を買い換えるイメージらしい。

日本の携帯会社のような上品なところではなく、一つのお店で気軽に買えるところに驚いた。

バスに乗り学校から30分ぐらいの長沙駅近くの電気店へ

バスは古く、雨が降ったせいで雨漏りをしていた。

道はそれほど混んではいないが、バスを降りると人混みが出現。

銀行でお金をおろしたばかりで、生徒からバッグを気をつけてとの注意。

電気屋は活気があり、電機製品はほとんど置いてある大きな店であった。

お目当ての物も、ガイド役の女性に値切り交渉をしてもらい商談成立。

店の人に日本人であるというと珍しそうに眺められてしまった。


帰りに学校近くの通りを歩いていると、洋服屋さんのマネキンが服を着せられ道へ立っており、雨が降っていたので傘を差されていた。

日本では見ない光景なので、印象に残る。

日本では雨が降れば、店の中に入れられるマネキンも
中国では、外で雨傘を差されて立たされる。

文化の違いを垣間見られた瞬間であった。

2009/08/29

出発の時


8月にしてはひやっとした空気に目が覚める。


準備万端だが再度チェックをする。

買い忘れていた頭痛薬を購入、元々頭痛の病気はないが用心に越したことはない。

空港には家族と方先生が見送りに来ていただき

長沙までの電子チケットを見てもらうと

なんと、上海で降りる空港と乗り継ぎをする空港の間

にバスの移動があることが分かった。


日本の羽田から成田までの道のりと同じらしい。

元(ゲン)を持っていなかったので、方先生と上海ま

で一緒に行く坂本さんに上海浦東空港から上海虹橋空

港までのバス代をカンパしていただき、まあ、何とか

なるだろうと安堵。


一期一会とはこのようなことなのだろう。

心細い海外で心が温まった瞬間に感謝、感謝。


バスに揺られ上海市内へ空港から1時間。

着いた空港は見る限り街のど真ん中にあるイメージ。

こんなところに滑走路があるのかと

日本的な考えで、空港内に入り手続きをする。

中国の大きさを日本の小さい枠では考えてはいけない。

大きな滑走路を見つめながら空港内を歩き、そう思った。


上海虹橋空港は中国国内線が多数発着する。

乗り場もA1〜10、B1〜10まである大きな空港だ。

販売店も多くあり、必需品はここで揃いそうだ。

長沙行く便を待つこと1時間30分。

上海滞在時間3時間で長沙へ飛ぶ。方先生がその後、

空港より上海での乗り継ぎ案内書をもらって頂き

そこで、バス代は無料で行けることが分かり、手続き

を説明して頂き、たぶん大丈夫。

着けば分かるさ精神で出発準備へ


出発ロビーにて

上海へ行かれる家族と出会う。

奥様と娘さん(1歳8ヶ月)の2人で帰省するが手荷

物が多いので上海まで手伝って、一緒に持って行くこ

とになった。

大きな手荷物。中身は娘さんのミルクや着替えで一

杯。

奥様1人で娘さんと荷物を持つことは困難であろう。

少しでも力になれればとお手伝いさせていただくこと
に。


最後の見送りに家族との別れを惜しみ、駆けつけた友
人と話をし、出発(忙しい中来てくれた友人に感謝)


鹿児島〜上海はあっという間。

こんなに近い外国だったのだろうか。

驚く間もない時間である。

機内サービスでは中国語で話しかけられ、日本人らし

くないのかとトイレの鏡に顔を写して少々考え込む。


上海浦東空港で乗り継ぎ案内を片手に、

いざ、空港内へ。

荷物を受け取り、地図にあるトランスファーホールを

探すが地図がアバウト過ぎてどこにあるか分からな
い。

(トランスファーホールで上海虹橋空港行きのバス無料券が手に入る)

一緒に飛行機に乗った奥様に通訳をして頂き右往左往

して、やっとの思いで発見。

券を受け取るにも言葉が分からず、いつの間にか受け

取る始末。

外に出ても、バス停が分からず、一緒に奥様に案内し

て頂き、一件落着。

乗り継ぎの飛行機の心配までして頂き、もし、無けれ

ば泊めてあげますという

ありがたいお言葉。

本当に奥様が居なければ、上海浦東空港で迷子になっ

ていたのではないかと思う。

(上海到着時 気温27度 天気晴れ時々曇り)

上海で乗ったバスの運転の荒いこと。

横入り、前車接近当たり前、そこのけ そこのけ カー

チェイス。

目的地に無事つけた運転手の冷静な顔を覚えておこ
う。


長沙に着き、手荷物を受け取ると外へ。

痩せて、スポーツマンタイプの範先生がすぐに声をか

けてこられた。

あれっ、写真と違う。

自分もこうして遠くまできたが、流暢な日本語にびっ
くり。

電話で何度か話をさせていただいたがこんなに上手とは。

世界は広いな、

日本語で心配なく話が出来る安心感、

日本に7年間住んでいたらしく、日本食も何でも食べられる、
本当に日本通。

最近も日本に遊びに来られたらしく、鹿児島の事もかなり詳しい。

劉先生ともご対面、電話で話をしたがやっぱり日本語が上手だった。

これからの生活には不自由なくできると確信しつつ


長い出発日を終えることができた。

2009/08/19

中国語講座終了


4月から始めた中国語講座が終了。

方 先生より生活に即した会話を中心に
教えていただきました。

発音が命の中国語。

普段使わない口の形や舌の使い方など
マスターするためにはまだまだ修行が足りない。

簡単な言葉から中国での生活など、
幅広く教えていただき、本当に感謝。

最後に晩餐会をお礼の意味も込めてさせて頂きます。


2009/08/22

長沙行き旅券届く


お昼過ぎ携帯がブルブルと震える。

液晶画面に国際電話番号。

範先生からだ。
間を置くことなく、受話器ボタンを押した。

範先生の柔らかい声が聞こえてきた。
「福島さん、航空チケットが手に入りましたので今からFAXで送ります。」

ありがたい!!
とうとう、この日が来たのだ。
どのような書類が送られてくるのか、電話機の前に立ち一呼吸。

来ない。

来ない。

範先生から、もう一度電話が掛かってきた。
どうやら携帯電話番号でFAXを送ろうとしていたらしい。
「すみなせん。私の確認不足でした。」
自分では言っていたつもりだったがしっかりと伝わっていなかったらしい。
よく、やってしまうことだが自己嫌悪に陥る。

気を取り直し、待つことにした。
ここら辺の立ち直りの早さは自分でもびっくりするのだが・・・。

待ちに待った旅券が発行、印刷。

内容は全部中国語。
分かる言葉を拾い集め出発日、時間を確認。
8/29 土曜日 13:30発

あと、一週間だ。

範先生と電話で話をしたとき、「空港で待っています」との暖かい言葉に一安心。

8/29土曜日に鹿児島空港出発上海経由にて長沙空港へ

実感と準備怠りなく出発に向けて、改めて心引き締めていきたい。



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