永谷元宏の「長沙日語学院 友好の輪
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福島顕二郎の長沙教師録〜未来への道が完成(文字クリック)

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長沙日語教師録  
「コメント」



  
     

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2009/10/06

張家界さようなら



朝のホテル前は騒がしい。

昨日の疲れが取れぬまま、車のサイレンがなる中、窓を開ける。朝の新鮮で少し冷たい風を受け、外を眺める。

張家界へ行く人がバスやタクシーに乗り、客引きのタクシーが次々と通りながらサイレンを鳴らしていた。

今日の帰りの列車予定は昼の1時、3時、5時。

1時、3時は座席指定なし。5時は座席が有るが長沙に帰り着くのは夜中の12時になってしまう。

市岡先生と相談をして、早く帰るために座席なしで立ってでも1時の列車に乗ることに。

ホテルからタクシー駅まで約1時間、距離で40キロぐらい、80元で乗せてもらった。中国のタクシーは本当に安い。

駅につき、切符を買うが1時の列車は55元、5時の列車は28元と値段が違う。日本での列車は料金が決まっているが、中国では変動制なのだろうか。

列車が到着。中に乗り込むが満員で入り口の近くに陣取る。しかし、次の駅に着くと別の人に場所を取られ、場所が無くなりみんなバラバラに。長沙駅に着く3時間前から列車の中は人が肌と肌が触れあうほどの混みよう。もちろん、座ることは許されず、立ちっぱなし。市岡先生は座席を確保でき、座ることができた。もちろんその座席も6人掛けが8人座る事態なのだが・・・。

こんなに混んだ列車に乗ったのは初めてだ。帰りにここまで混むとは予想だにしなかった。

長沙駅に着く頃には疲労困憊。最後のバスに乗り、学校へ到着。

みんなありがとう。良い体験と旅行が出来たよ。準備をしてくれた卿さん、旅行を引っ張ってくれた楊さん、王さん本当にありがとう。




2009/10/05

張家界の旅 (2)



静かな街。まだ、明けきらない空の下で部屋の扉を誰かがノックをする。

朝5時半 早すぎると思いつつ扉を開けると、卿さんが笑顔で起こしに来てくれた。

すぐに身支度をし、朝食をみんなで食べる。菓子パンを昨日かっていたので、簡単にすませて出発。

ホテルから観光地の武陵源までタクシーで10分ととても近い。

大きい門をくぐり、入場券を買う。購入後、入り口で指紋を取り登録を済ませ、中へ

バスで頂上近くまで行くのだが、ツアー客と一般客で行列ができている。まだ、朝の7時半である。

バスで20分ぐらい登っていき、ロープウェーのある場所へ。

ここでも長蛇の列。ここで1時間の待ち。渋滞階段でのあまりの時間のかかりかたにうんざり。

やっとで乗るロープウェーの景色は最高。下に絶景、左右に山の断崖を楽しむ。短い時間の空中散歩。

頂上からバスで少しずつ下へ、観光ポイントを変えていく。どこの景色の素晴らしく、地上から突き出た山、切り立つ絶壁、彼方に見える山々に感動。

下に行くにつれて山が近く迫ってくるポイントが多く、大きくそびえる山から圧倒的な威圧感を受ける。昔の人々が自然に対して畏怖と敬服をすることが分かる様な気がする。文明が栄えても自然の大きさには今でも敵わないものである。

この場所は、天子山と呼ばれ、世界遺産へ登録されている。雄大な時間と自然を目の当たりにすることができる。

観光の途中で旅行に来ていた学生たちと一緒に行動させてもらった。地元の人にガイドをしてもらっていたので、一緒について行くことでスムーズに観光することができた。

最後のビューポイントは367mのエレベーター。落ちていくエレベーターからそびえる山を上から下へ眺めていく。

最後まで山に囲まれた、この張家界を満喫できた。

2009/10/04

張家界への旅 (1)


朝の目覚めが悪い。今日は張家界へ行く日だ。

興奮してか何回も夜中に目が覚めた。

以前の先生方が行かれ、日記に書いてある文章を読んで、とても素晴らしいところであろうと想像して寝られない。

朝6時に学生が部屋に迎えに来た。準備は昨日のうちにしているのですぐに出発。


まず、市岡先生のホテルへ行き、合流して朝のタクシーに揺られ長沙駅へ。

朝の7時だが、駅には迎えの人がたくさん。

まだ出発ロビーには人が少ないが、出発時間の8時25分になると、人がぎゅうぎゅう詰めになり混雑しだした。

予定の時間より30分遅れるとのアナウンスがあり、学生と中国語の勉強をすることに。昨日覚えた体の名称の復習。学生の口元を見つめながら発音するが自分でも分かる下手な発音である。


出発時間が迫り改札口に人が殺到。中国人は気が早いのか入り口にはすぐに行列ができる。

改札が開くと一斉にホームへと走り出していった。

汽車は遅れたが、何事もなく出発でき、汽車内は少し混雑するぐらいで、私たちの座席ではゆっくりすることができた。


本日の私たちの旅行者は、市岡先生、王坤さん、卿亜麗さん、楊珊珊さん、私の5人旅。

予約した座席がばらばらになる席だったので、みんな一緒に座れるように学生が先に座っている人にお願いをして、座席を替わってもらう。

かなり強引で、しぶしぶ替わってもらったが「大丈夫。中国の人はやさしいから」といわれた。


汽車の旅は6時間。勉強をしながら話をし、勉強の合間に休憩。休憩中は中国の辛めの漬け物を食べる。カモの足や首、大根など調味料(もちろん唐辛子入り)につけられた漬け物を食べる。最近、辛さに慣れてきて次々に手がでる。

6時間の長旅ではあったが、学生の話を聞いたり、写真を撮ったりとても楽しい。


午後3時過ぎに張家界に着き、卿亜麗さんの友人に市内を少し案内してもらう。

市内から観光名所の武陵までバスで約40分、1人10元の移動。

武陵に着き、タクシーでホテルへ行くが、運転手の女性がいまいちホテルの場所が分からず、案内の人と電話でやりとり(案内人は張家界市内を案内してくれた人、市内で別れた)


夕食後、王さんと楊さんと街に散歩へ。

お土産屋をはしごして、これがほしいと物色しながら夜の街を楽しむ。

部屋に帰るが、先生と卿さんがいない。

少ししてから先生達が帰ってきた。ビールを買いに行っていたらしい。

祝福のビールで乾杯。


2009/10/03

中秋の満月



昼食を食べた後で衡陽を出発して長沙へ。

列車内は少々の混み具合。座席もあり、ゆったり。中国の風景を楽しみ、風がここちよく頬にあたる。

列車内での中国語の勉強で体の名称を教えてもらうが、なかなか覚えられない。学生の笑い声の中で何度も復唱する。

1度では覚えられないが、何度も口に出すことで少しづつ体に覚えさせていく。

長沙に着き、今回の旅行の無事を喜ぶ。


夜になり、ご君が月見をしないかと誘ってくれた。学校のグラウンドに行き、少々バスケットをして遊ぶ。

そこに、親子2人が遊びに来た。

母親にボールを渡し、少し休憩。すると母親から日本語で話しかけられた。

学校の隣の長沙大学で昔、日本語を習い、卒業後に広東の日本企業で働いていたそうだ。もう、7年ほど日本語を使っていなかったらしいが、とても上手である。

月見を一緒にしないかと誘い、ビールを飲みながらお月見を楽しむ。日本と変わらない月を眺め、学生たちと故郷の話をする。

日本でも眺めているであろう、家族の事を思いながら、家族の幸せに乾杯。


2009/10/02

学生の故郷へ


朝の長沙駅へ学生たちと向かう。

初めての中国の列車である。

学生から席が取れなかったといわれており、立っていくことを覚悟して駅へ。

駅は入るために厳重な持ち物チェックと身体検査。まるで、空港のようだ。

駅構内は列車の乗り場へはすぐ行けず、ロビーで列車が入ってくるのを待ってからゲートが開いて、いざ、乗り場へ。

みんな小走りに乗り場へ行く。列車への入り口は我先にと入っていく。

なかなか入れず、指定された号車とは別の号車に乗り込む。

中は思ったほどは混雑しておらず、空席の場所を探して、何とか座ることができた。

列車の旅はおよそ2時間半の旅。

日本では比較的長い旅だが、中国では近い方らしい。


向かう先は衡陽。長沙から南へ行った場所である。有名な観光地は衡山。中国でも有名な山である。

今回は衡陽出身である胡燿才くんの誕生日祝いの旅である。

陳超くん、すう楊くんと王坤さんでお祝いをする。

衡陽に降り立ち、胡くんと王さんが迎えに来てくれた。駅の近くにホテルを取ってあるとのことで、みんなで一緒に行くことに。

ホテルは良いところで、部屋にカラオケ、マージャン台、寝室が2部屋、パソコン完備だった。広く、きれいなホテルに大満足。


少し休憩をしてから、みんなで西洋公園に行くことに。

公園は池があり、アトラクションがあり、出店もでていた。公園だが入場料を取っていた。

みんなで歩きながら、わいわいと楽しい。出店で買う焼き栗はなかなか美味しい。

2時間ほど遊んだ後、ホテルへ帰り、夕食にすることに。

夕食は、胡くんの家族、親戚が約20名集まって始まった。夕食は豪華で食べきれないほど。料理も大変美味しかった。

今回は20才の記念の誕生日らしい。このときに一緒にいられてとても良かったと思う。

呼んでくれた学生たちに感謝感謝。


2009/10/01

国慶節



本日、国慶節。

中国での友人から、以前、長沙にある温泉に行かないかと誘われていたが、連絡がないため、今回は諦めて、学校に行くことに。

学校は学生の大半が故郷に帰っているため、がらんとしている。

0904クラス(入学1ヶ月)の学生と会話の勉強をする。

0904クラスのクラス長の劉さんと陳建東君と始めた。

まだ、1ヶ月なのだが、積極的で熱心である。

会話をするために、色々な習った言葉を考えながらしゃべる姿はとてもいい。

分からない言葉は、中国語で陳くんに説明してもらい、日本語の間違いを直していく。


午前中はあっという間に終わり、昼食を部屋で作ることにする。

学校の外へ、買い物に行くといつもよりも静かで、人もまばらである。

国慶節でみんな帰ってしまったからであろうか。

昼食を食べながら、テレビをみんなで見ていると、国慶節のパレードが行われていた。

軍隊の行進から始まり、各省のパレード行進へと続くとてもたくさんの人が参加をしている。10時から始まり13時までのパレード。夜になるとパーティーが開かれ、催しがあるらしい。夜が楽しみである。


夜は学校にいるご君とようさんと一緒にご飯を作って食べることに。

ご君は私より1歳年下の学生で、以前は会社に勤めていたことがあり、中国の風習について、とても詳しい。

今日初めてご君は魚料理を作る決心をしたらしく、買い物を済ませ、部屋の下で待っていた。

本当に初めてらしく、電話で友達に聞きながら料理をしている。

全部で4品。ご君が1人で作った。魚料理もしっかりと作れており、とてもおいしい。

夜のパレードをみんなでテレビを見ながら、食事をし、お酒を飲む。ご君はお酒が強く、ビールを次々と空けていく。今日は白酒も一緒に飲むのでお酒のまわりが早い。

楽しい飲み会になり、みんなとの国慶節の乾杯は続く。



2009/9/30

湘江に秋の花火が彩る。



今日は授業が有るが、大半の学生が故郷に帰っているため、残った学生と共に博物館へ行くことに。

博物館は中国でも有名な2100年前のミイラが安置されているところだ。

バスで烈士公園へ行き、公園内を抜けて博物館へ行く。

朝から国慶節の前日ともあって人でにぎやかだ。途中で太極拳をしている人たちに声をかけて、教えてもらうことになり、市岡先生が1人の女性に習う。

動きはゆっくりだが意外に体を使う武術だと思う。

およそ10分ぐらいの間であったが、市岡先生は中国文化に触れられた歓びを感じられた。


私は、又今度と言うことで博物館へと行く。

博物館は学校から行くと15分ぐらいでとても近くにある。

博物館は時間制限の元に行列ができていた。

中にはいるのも、身分証明書の提示が必要だが、閲覧は無料。

館内に入るまで30分の時間があるので、園内にある水墨画の鑑賞をする、

近代中国の指導者の肖像画から始まり、中国の有名な風景画などが並ぶ。

1つ1つを学生に解説してもらいながら、時間はあっという間に。

博物館内に入るために空港の税関並みに身体検査をする。

ゲートをくぐり、1階フロアーへ。

1階は墓の歴史と出土品の展示がされていた。

2100年前にもうこんな物が使われていたのかと、感動しながら鑑賞する。

歴史が好きな私にとっては全てが興味の対象。

市岡先生と学生は私が半分も見ないうちに全てを見てしまった。

遅すぎるので、別行動へ。

(みなさん、ご迷惑をおかけいたしました。)

出土品は器、服、武器、祭器、一緒に埋められていた人形、植物の種など保存状態が良かったこともあり、形が良い物がたくさんあった。

2100年前と言えば紀元前180年くらい。中国では漢の時代に入ったころ。利蒼は長沙の国王であった。

遺跡は利蒼、息子、皇后の3つで有り、学校の近くにある。近いところに有るので是非行ってみたい。

2階にミイラは安置されてある。ミイラは皇后の遺体である。発見された当時、保存状態が良く、今よりももっと生きている人間に近かったそうだ。

歴史的な物なので特別で感慨深い。私はミイラを見ることが生まれて初めてである。2100年たって、日の光を浴びた皇后はどう感じているのだろう。

私たちには、計り知れない時間を旅してきている、このミイラが今こうして私たちの目に映ることに不思議な感じを受ける。


博物館に運び込まれた遺跡は皇后が埋葬そうされた棺桶があり、高さは2階から3階まである。3階はそれを見るためにある。

1通り見て回り、中国の歴史の深みを感じられ、とても良かった。今までにない歴史を知る上で大変勉強になった。


夕方からみんなで湘江へ。

明日の国慶節を祝うため、花火でお祝いをするらしい。

8時からなので、みんなで料理を作って食べた後、湘江へ向かう。

湘江は人で一杯。車の渋滞がひどい。交差点の混雑を横目に川の方へ。

たどり着くとすぐに花火が始まる。新聞の予定では8時半だったが8時からのスタートだったみたいだ。

打ち上がる花火はどれも、すばらしい。間をおくことなく次々に打ち上げられる。

日本の花火は少しの間があるが、中国の花火は大きい花火から小さい花火までバラエティに富んでいる。

国の誕生を喜ぶように打ち上がっては消えていく。中国の人々の国を愛する気持ちが伝わるようだ。

約40分ほどの花火であったが、川に映る花火に少しだけ日本を想い出した。今いる異国の地でこんなにすばらしい花火が見られることに感謝、感謝。


2009/9/29

日本の味


市岡先生と午後から待ち合わせ。

生徒たちと一緒にご飯を作ることに。

0802クラスの生徒が中心。

全部で12人。昨日よりも多い。

市岡先生には天ぷらを作ってもらうことに。

私は天ぷらが好きで実家でも、タマネギの天ぷらを作った物である。


スーパーへ買い出しに行く。

最近の食事で油と塩が無くなった。中国料理に油は必需品。大量の油で料理を作っていく。

日本料理では考えられないほどの量である。今日は業務かとおもうほどの5リットルを買った。実家では見たことがない量だ。

市岡先生の料理は学生がよく手伝ってくれて、とても良くできていた。

天つゆも作ってもらい、久しぶりに天ぷらを食べた。

学生は天ぷらを食べたことが無かったようだが、大変喜んで「おいしい」といっていた。天ぷらは世界で受け入れられる料理だと思う。


2009/09/28

市岡聖子先生と黄先生と学生と私




午後から授業が終わり、学校に聖子さんに来ていただき、学生と一緒に買い物に行くことになった。

今日はちらし寿司を作っていただけることになり、卵、しいたけ、のり、米、さやえんどう、千切りニンジンを仕入れ、部屋へ戻る。

部屋では、黄先生と学生が食事の下準備の真っ最中。

早速、ちらし寿司の準備に取りかかる。

学生に手伝ってもらい、薄焼き卵から。学生にも薄焼き卵を作ってもらい、とてもうまくできていた。

黄先生と学生の作る中華料理もおいしく、量もたくさん。

中華料理は作るのが難しいが、学生たちはとてもうまく作る。

それでも、黄先生の魚料理が私はやっぱり好きである。魚の選別から味付けまでとてもよく行き届いていると思う。

食べきれるか心配なほどテーブルには料理がいっぱい。私たちと学生合わせて10人のみんなで囲む夕食は格別である。

こんなにたくさんの人数では、まだ部屋で食べたことがなかったが、イス、お皿、おはし、すべてが整い食事をすることができた。

部屋で食事をできるのは10人までで、それ以上では色々と足りないものがあることが分かりよかった。

楽しい会話と雰囲気、みんなと食べる食事は私の一生の思い出となるだろう。


2009/09/27

柿木さんに出会う




本日は日曜日だが、ゴールデンウィークの振り替えで水曜日の授業をする。

授業は午前中で終わり、午後から明日の授業の準備に取りかかる。
準備を終え、夕食の時間になり、出かける準備をする。

先日から鹿児島市総務局市長室国際交流課の柿木さんと連絡を取り、今日会う約束をしていた。

柿木さんは長沙に来て、もう、1年半になる。

今年の3月頃、柿木さんが鹿児島に帰ってきていたときに、1度だけお会いしたことがあった。

私が長沙に来てからすぐに連絡を取ろうと思っていたのだが、バタバタしていたため、やっと今日会うことが出来た。

長沙で出会える数少ない日本人であり、また、同郷の鹿児島人でもあるため、とても親近感が湧く。年齢も近いこともあり、色々な話をすることが出来、本当に良かった。

柿木さんは今度のゴールデンウィークは、鹿児島に帰り仕事があるそうだ。
今回の国庚節と中秋節に中国にいられないらしく、残念がっていた。

帰ってきたら、鹿児島の事を聞いてみたいものだ。

長沙での友人が多くいるそうなので、今度、紹介していただくことに。

友人が、まだまだ、少ない私にとってはありがたいことである。

長沙で友人の輪ができることを願っている。


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