鹿児島市日中友好協会の最新情報

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長沙ー鹿児島《友好交流慶祝会》
2004/07/29

7月22日
中国長沙市において友好都市である鹿児島市と中国湖南省の省都・長沙市との友好都市盟約22周年を記念して鹿児島市より赤崎義則鹿児島市長、海江田順三郎鹿児島市日中友好協会会長ら総勢90名ほどが長沙市を訪問した。

平成16年度 理事会
2004/06/23

6月19日 ワシントンホテル2F チャイナテーブルにて、平成16年度 理事会が開催されました。
 今回の主な議題としては・・・

●鹿児島市日中友好協会の会報。
●中国長沙市訪問ツアーについて。
●イベントと各種教室の実行及び拡大。
●学生部会の拡大。

上記の補足として『中国長沙市訪問ツアー』の具体的な日程の説明。また、学生部会を中心とした『日中友好協会スピーチコンテスト』を年内に開催。についてなどでした。

議会のあとの懇談会では、中国100日間滞在から帰国したばかりの大石先生とドイツから戻られたばかりの赤塚先生の楽しい話に花を咲かせました。


 

100日振りに帰ってきました。
2004/06/12

2月28日、日本を離れ三ヶ月の短期中国滞在をしてきました。
 このサイトの責任者でありながら、友好都市「長沙市」を訪れたことが無いとは、なんとも肩身が狭いことでした。
 いっそ、行くなら、一気に、住み込んで「角から角まで」、「湖南のことなら大石に聞いてみたら?」ぐらいまでなってやろう。「行った事がある。」より「しばらく住んでいました。」の方が格好いい・・・・・それが今回の中国行きの第一の理由でした。

 第二は、どの程度、一人きりであの巨大な中国を蟻の目になって彷徨えるか?という、自分自身への問いかけでした。
 今の、偽らぬ心境は「このまま、ずっと蟻でいたい。」です。
 現実はそうもいきませんが、第二期、第三期の「蟻の旅」を続けたいと思っています。蟻地獄に落ちるまで・・・
 長沙市での体験は「大石ケイジ的長沙日記」に。また、「きままな蟻サンの中国ぶらり旅」はニーハオ!中国に、登場人物に、架空の可愛い中国小姐を何名か登場させながら、綴ってみたいと、書く本人が、楽しみにしています。リアルすぎて、「もしかして、本当なんじゃないの?」と言われれば、嬉しいですね。

 写真を三枚つけます。
 一枚は、一人旅のベストスリーです。
 携帯(中国では手机ショウジ)・・現地で新品1000元(15000円)ぐらいで買って、番号と使用料をプリペイドで払います。
 スニッカーはちょっとした食料にもってこいです。あと、キシルトールと汚いお札(特に角や1元札)をさわったあとの食事の前。
 
 次の一枚は安ホテル(2星)にある自動湯沸かし器。最後の一枚は、僕の教えた生徒たちから貰った僕へのお別れの色紙・寄せ書きです。

●1月10日藤崎たけし君よりの新年のあいさつです。
2004/01/10

鹿児島県議会議員の藤崎たけしです。
 新年あけましておめでとうございます。              
                                       

 日頃からご支援いただいている皆様、新年明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。年明けのバタバタ状態がようやく落ち着きまして、メールを書ける状態になりました。

 何が忙しかったかというと「人に会うのに忙しかった」のです。28日に県庁は
仕事納めになり、29・30日は自宅や事務所で事務処理をしながら休養。31日
は「1年間ありがとうございました」街宣活動に駆け回りました。

 新年に変わった瞬間は、例年通り伊敷の梅ヶ渕観音におりました。これで5年連続です。ノボリを立てて、参拝客に「新年明けましておめでとうございます」と声をかけ回った。「君は去年もいたね〜」とたくさんの方から声をかけていただいた。
この梅ヶ渕観音は昨年の3が日で4500枚の名刺を配ったところだ。その効果が
まだ残っていた。ありがたいことだ。

 挨拶を午前3時まで続けて一旦帰宅。午前5時半から早起き会の新年式に参加した。
再び帰宅して、午前10時に再び観音様に向かい挨拶を再開した。疲労がたまって
きたので夕方4時には切り上げて、休養した。2日の日も午前10時から夕方まで
観音様にたち、夕方から新年街宣に走り回った。
 3、4の日中は、自宅でゆっくりして、夕方からは新年会をハシゴした。昨年約束
していて飲み会ができなかったメンバーで飲み会を開催した。
 5日からは平日だ。会社も仕事始めだ。今回の新年の大きな違いは、各種団体など
から昼食時間帯に顔見せの新年会の案内が来ていることだ。財界のトップの方々が
集まっていて、「まとめて挨拶ができる」という便利な仕組みだと感じた。

 ある社長さんとは3日連続で会うこともあった。そんなとき「また一緒でしたね」とお互いに苦笑した。
 6日は鹿児島市からの招待を受けて、鹿児島市消防局の出初め式を見学した。
私は鹿児島市選出の県議会議員であるが、地元自治体から公式に行事参加の招待を受けたのは初めてだ。
 赤崎市長が挨拶をした。氏は今年11月に改選を迎えるにあたってまだ去就を
明らかにしていない。現在5選目で77歳。しかし、挨拶をする顔は血色は良く、
力強さを感じさせる。まだまだ意欲は衰えていないことを感じさせた。
 新年会や様々な行事に参加しながら「藤崎たけし」の存在を世間にPRしながら
以前の職場や支援者宅をまわりながら、新年を楽しんだ。 今週いっぱいは、正月モードであるが、来週からはいざ戦闘態勢=通常の議員
活動になる。2月には第1回定例会(2月県議会)が開かれ、平成16年度予算を審議する。
 今回の議会から予算特別委員会が設置され、私も委員に選任された。一問一答式でまさに国会中継の予算みたいな感じでの委員会が予想されるので、相当な準備が必要と思われる。 恥をかかぬようしっかり勉強して、県民生活の向上につながる議論をしたい。平成16年もがんばります。

●12月17日加治佐レポートU
2003/12/29

どこまでも続く荒涼とした風景が広がっています。

小春日和が続いたかと思うと冷たい雨や北風が吹き、確実にきせつは変わりつつあります。

この大陸の冬は厳しいと聞きます。覚悟の上とはいえ、未経験の者には想像することすら難しく、ただ成り行きに身を任せる他ありません。学院当局に外国人教師こぞって要望を出し、目下「秋季闘争中」であります。なんとか自室に電話がつきました。日本へも通じます。知り合いの方からの手紙が何よりの楽しみです。極端に情報量の少ない僻遠の地にいますと、孤独感にさいなまれることもありますが、お手紙を拝見し勇気が湧いて参ります。日本語を教えていますが、まともな会話は出来ませんので、いらいらがつのることもあります。ほんの少しばかりの中国語で説明しながら授業は進めますが、ほんの少しばかりの英語のほうが分かりやすいかもしれません。よって私の授業は3カ国による滅茶苦茶なものであります。バイリンガルどころかトライリンガル(こんな言葉があるかどうか不確かですが)で、私の頭の中のアナログコンピュータはフル回転するのです。

・・・・・・・この続きはMenuの中国ホット情報をご覧下さい。

●ニーハオ!中国「上海水郷古鎮紀行」UP!
2003/12/14

10月25日から11月1日まで、一週間の旅の記録がようやく終わりに近づきました。2003年の中国は新型肺炎(sars)に見舞われ大変な年でありました。
春の計画、秋の計画とことごとく駄目になり、諦めかけていましたがやはり、どこやらの虫が騒ぎ出し、10月25日から1週間。上海にいずっぱりのまま、毎日,近郊の水郷巡りの1日バス旅行を楽しんで来ました。今回の中国旅行は、開発の進む上海近郊で昔が手付かずに生きている近郊の水郷地区を訪ねて見たい。と言う気持ちと、今までの旅で、いつも欲求不満であった幾つかをクリアしたいというもうひとつの目的がありました。
 その第一は、自分で計画を立てて行動すること、従って、その行動は臨機応変に変更が可能なことです。
 @  明日の予定を今日の予定と、変更またはキャンセルが出来ること。
 A  つとめて、街中の市民が使う交通機関を利用すること。
 B  日本の旅行会社やインターネットに掲載されていないホテルに泊ること。
 C  行き帰りを除いて飛行機は利用しないこと。  ・・・・・・でした。
 「上海は一日いたら十分よ。青島に遊びにいらっしゃい」  と中国語教室の知合いで現在、青島に住んでおられる方にお誘いを受けたけど、火車で行くにはちょっと遠すぎて、行ってはみたかったけど・・・・今回は諦めました。とても綺麗な写真がいっぱい撮れました。勿体ないので、旅行紀も添えました。ストーリーっぽい感じに仕上げましたが全てノンフィクションです。まあ、公開日記といった感じでしょうか?
左の目次より、「ニーハオ!中国」をクリゥtクして、江南紀行のお好きなところからご覧下さい。
読むのが嫌なら画像だけクリックして見てください。


●11月29日インターナショナルナイト開催
2003/12/11

去る11月29日に鴨池公民館に於いて鹿児島大学留学生を中心にインターナショナルナイトが開催された。それぞれのお国自慢の料理なども提供され、舞台では、アジアを中心に南米などからの留学生によるお国自慢の歌や演芸、民族舞踊なども披露され、椅子に座れないほどの参加者であふれました。
 「鹿児島市日中友好協会」関係では、李さんがメインホステスを勤め、鹿児島大学水産学部修士課程の白銀平さんが日本舞踊「さくらさくら」を見事に披露して万来の拍手を受けました。

●平成15年度・国際交流探訪1日バスツアー
2003/11/24

11月23日(日)雲一つない絶好の秋晴れに恵まれれ、「鹿児島市国際交流市民の会」の事業の一つである外国人との親善・交流促進事業の中の●国際交流探訪一日バスツアーが行われました。 今回は県立霧島自然ふれあいセンター(牧園町)で市民70余名・在鹿外国人45名・ボランティアスタッフ40名/KICS事務局6名 計161名(若干の変動あり)がそれぞれの自然体験コースを楽しんだ。 主なコースは@塗り箸製作コースA洋凧づくりBウォークラリー。又、当地の有名な「霧島九面太鼓“和奏(わかな)”による太鼓演奏また参加者の太鼓叩き体験などがあり、大空高く作った凧を揚げて楽しんだり、中でも、外国人に受けたのは体験太鼓叩きだった。担当ボランティアの一員として参加した体験から特に印象に残ったことは?・・・と考えてみると地元の皆さんが自慢の手料理を持ち込んでくださったお昼ごはんだった。炊き込みご飯を筆頭におにぎり、煮しめ、豆、もち菓子、つきあげ、・・今までこんな美味しい昼食は食べた事がない。「食事時間が短かったわ・・」何人かの参加者の声が聞こえたところをみると、皆同感だったのかも知れない。 横の広がり(インターナショナルという意味で)立ての広がり(子供から高年齢まで)いっぱいの楽しい一日遠足は、「それぞれの秋」の思い出を創ってくれたに違いない。 一日ツアーの詳しい内容・画像は別サイト(ここをクリック)でご案内します。乞う!ご期待。

●11月6日秘境とはいいませんが・・・
2003/11/07

まるで国立公園の中に学校が立ちつつあります。 国家級とは秘境ということ。国際電話がかけられないとは日本人の常識が通用せぬところです。 合肥以外、未だ何処にも行けない始末。ワープロが動き出したのが十月中ごろ。フロッピーディスクがなくて起動できなかったし、電圧喪合わない。 トテツモナイイナカです。アーア!!安徽省の外国語職業技術学院に1年間、日本語教師で9月15日に行かれた加治佐 晃氏から第一報が届きました。詳しくは左目次の「中国ホット情報」かここをクリックをひらいてください。

●11月3日張 晶絵画展(シルクロード、チベット紀行)
2003/11/06

上海出身の油彩画家張晶(チョウ・ショウ)の作品展を開催。雄大なシルクロード・チベットに魅せられ苛酷な取材の旅を経てされる作品は、日本はもとより、中国・ヨーロッパでも高い評価を得ています。詩情豊かな色彩は、幻想的で崇高な印象を与えます。100号の大作から小品まで、40余点を一堂に展示します。
<略歴>
1958年 中国上海生まれ 1994年 日本国環境大臣長官記念賞
1988年 中国上海大学美術学院卒業 1995年 福岡教育大学大学院油画専攻日本第7回全国水彩画公募展入選
1991年 日本国九州産業大学芸術学部留学
九州地区留学生芸術祭最優秀賞 1997年 福岡教育大学大学院卒業
1992年 〃 ・日本第4回全国水彩画公募展入選 1998年 福岡市美術館個展・福岡市積文館個展
九州日中民間文化交流協会会長・西日本新聞TNC宗像文化サークル講師・在日中国美術家協会会員
 3日夜、美華園にて氏を囲んで海江田会長・大石企画部長・李さん・陳氏と芸術談義をしました。

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