鹿児島市日中友好協会の最新情報

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中秋節を留学生と祝いました。
2011/09/17

中秋節を中国人留学生と祝う宴。
今年の中秋節(十五夜の宴)は旧(陰)暦の9月12日でした。

昨年は宴の始まる7時ちょうどに雨が降り出し、折角デパートの屋上ビヤガーデンを貸切で開いた宴でしたけど大慌てでバイキング料理を部屋に運ぶ騒ぎでした。

 今年はそんな心配のないように舞台付の大広間を借りました。8人掛けの大テーブルに中華料理を盛り付けて7テーブル56名〜60名の賑やかな中秋宴が催されました。

おおよそ40名の中国人と20名ほどの中国好きの日本人という構成です。

 難しい挨拶も、来賓挨拶もカットしての乾杯!で宴は始まりました。
ゲームをしたり、カラオケを唄ったり、またたく間に2時間が過ぎてしまいました。
外は、今夜はきれいな満月が見えています。皮肉なものですね。
やはり、室内では何か物足りない月見の宴でした。

来年は県庁からもほど近い真砂公園で、地区の子供たちの相撲大会や綱引き大会のある場所で地区民と交流しながら
バーベキュー大会をしようと言う計画が既に上がっています。

八月の夏の夜に計画して雨で流れた「湧水町キャンプファイヤーの集い」の例もありますので戸外は心配もありますけど日中のお月さまに願いをこめることにしましょう。

それにしても2011年は日本列島災難の年でしたね。辛亥革命から100年、年の始めは何やら期待を込めた記念の年になるような胸騒ぐ思いでしたけど。

 ところで11月5日には待望の辛亥革命をテーマの映画『1911』が世界同時公開されます。
ジャッキーチェンにとって出演100作目の記念映画でもあり、息子ジェシーチェンとの共演も話題になっています。

とりわけ私たちにとって嬉しいのは、長い歴史の中で孫文の陰になり、ともすると忘れられかけられていた革命の志士、湖南が生んだ辛亥革命の真の英雄、黄興がこの映画の主役であることです。

その黄興をジャッキーチェンが演じるわけですから黄興の名も全国区ならぬ世界区になることでしょう。

 埋もれていた清朝末から辛亥革命後数年間の中国近代史に新しい光が差す予感さえします。

 革命軍に参加して、1911年春、辛亥革命の5か月前に革命軍と清朝軍の間で起きた『黄花崗蜂起』の際、黄興を献身的に看病した徐宗漢を中国の国民的女優リービンビンが演じます。この映画のハイライトシーンになるのも嬉しいことですね。

 余談ですが、その後、黄興と結ばれ第二夫人となった徐宗漢と黄興との間に1人の子供が生まれました黄一美と言います。そして、その孫娘が今、サンフランシスコに住んでおられます。

彼女と海江田会長は一昨年、長沙市で会見をされました。祖父・黄興のことをいろいろ話されたかどうかは分かりませんが。

・・・ことしの中秋節が、どこで脱線したのか変な結末になってしまいましたけど是非11月には話題作『1911』をご覧になって黄興のフアンになって下さい。

 1909年1月に黄興は西郷公園墓地を盟友・宮崎滔天と訪れ、黄興が慕う西郷のお墓参りをしました。その地に、鹿児島市日中友好協会は2007年、『黄興先生西郷墓地を参るの碑』を建てました。
 

以下は「黄興の碑」のHPサイトです。
http://www.nihao-kagoshima.jp/jiyomaku.htm

長沙歩歩高SC内「日本商店街」誘致説明会開催
2011/09/17

夏の盛りのような猛暑日の続いた8月23,24,25日の3日間、湖南省湘譚市に本社をもつ歩歩高株有限会社(家電、流通、百貨、飲食)の百貨店部門の張露丹社長以下、有力幹部数名が鹿児島市を訪れました。

 歩歩高グループは湘譚市(湖南省の省都・長沙市とは隣合わせの街)にあり、スーパーマーケットを含め、店舗数は100を超える巨大流通企業です。

 今年の9月末に開業する長沙SCは10万uを超える巨大ショッピングセンターだが、12月には少し北にある岳陽市にほぼ同じ規模のSCを開業、翌年から3年間に湖南省と
江西省(省都は南昌市)にかけて12店舗のSCを開業する計画だそうです。

歩歩高幹部の話では、「現在、湘譚市にある歩歩高広場(12万u、12階建)を含め、
今回オープンする長沙市SCの1階部分か、地下1階に『日本商店街』を創りたいとの構想があり、来鹿しました。」と語りました。

何故鹿児島か?となると話せば長くなりますので割愛しますが、鹿児島市日中友好協会も大きな期待感を持ち、今回の『歩歩高SC長沙店日本商店街誘致説明会』の臨んだ次第です。
 今、中国は内陸部、とりわけインフラ整備による高速鉄道網の急速な発展によりその幹線都市になる武漢や長沙市が大発展しようとしています。

 現在、長沙市の人口が700万人そのうち都市部が300万と言われています。そして両隣の都市、湘譚市と株州市がそれぞれ100万づつ計500万の大都市を形成しています。その内、10%が富裕層と言われていますから50万人のお金持ちがいることになります。まさにこの地は巨大マーケットといえます。

現在、より具体的な話を歩歩高側と詰めていますが、鹿児島の商店主の本気度がどの程度あるか、にこの構想の鍵はかかっていると言えます。

 幸い、参加した各店舗のオーナー達は前向きな姿勢を示されましたので斡旋側としては、相手側のより具体的な話を聞いた上でみなさんと現地の長沙市SCを見学に行きたいと考えています。

来年は鹿児島市・長沙市友好都市を結んでちょうど30年目を迎える記念の年になります。
さかんに行われてきた両市間の文化交流に加え、経済を通した市民レベルの交流が実を結ぶかも知れない、そんな予感を抱いているところです。

一昨年から長沙市と日本(鹿児島市や滋賀県が中心に)の間では『ジャパンウイーク in
長沙』という学術文化、芸能の大きなイベントを開催しています。今回の『日本街(中国式には日本園と言います)構想』も大きな経済イベントと捉え実現を目指したいものです。

県日中友好協会の総会が開かれました。
2011/08/20

さる8月12日(金)の午後、12時から鹿児島市の城山観光ホテルに於いて、開催されました。

挨拶:
  昨年は、日中友好協会が創立60周年を迎えました。
 10月15日には、北京の人民大会堂で記念行事を盛大に行い、一つ一つの石を積み上げてきた先達のご尽力に深々と頭を下げると同時に、(原点に立ち返り、新たな60年をここから始めよう」という思いを確認した一年でした。

 (原点に立ち返り」と申し上げるのも、昨年秋、「尖閣問題」で日中関係がむづかしい局面を迎えたからです。
 しかし、私たち日中友好協会は、日本と中国がまだ国交のない時代から活動をしているのです。

 その時々の政治状況や国際状況で、波風があるのは何度も経験済みです。

 これからの60年を踏み出すに当たり、協会設立時の先人の志を、あらためてかみしめて参りたいと存じます。

             海江田順三郎

 1時からの講演は城山観光ホテル社長 伊牟田 均様が 「私のキャリア、米国、中国〜そして、思う事」というタイトルで氏の履歴を辿りながら人生論としても聞く価値のあるお話を1時間半にわたり語られ、観光ホテルに今年入社された新社員多数も傍聴され、熱心に聞き入っていました。



辛亥革命100年記念映画 『1911』は黄興さんの物語
2011/06/23

これは、夢と勇気と信念を抱いた人々が世界を動かしていく物語です。

時は100年前の1911年、衰退の一途を辿り、情勢の緊迫した清王朝を憂う男たちが、新たな中国を創造するために危険や困難を顧みずに立ち上がりました。

民衆の強い思いが集まり、大きなうねりとなり凝集し、中国4億人の未来を切り開いていきます。

たくさんの人々の夢と決してあきらめない信念が世界を変える歴史の変革をもたらしたのです。

ある人は自分の家族を愛するため、ある人は友人を愛するため、ある人は妻を愛するため、ある人は自分の国を愛するため、全ての人は「愛」のために大きな犠牲を払ったのです。

この映画は実話であり、私自身の出演100本目となる作品です。いま私が皆さんに見てもらいたいもの、話したいことを映画の中で全て表現しています。

【ストーリー】
ラストエンペラーの時代、衰退の一途を辿る清王朝を憂い、新しい国を作るために、民衆が立ち上がった。

その民衆を指揮する孫文の参謀である革命軍の黄興(ジャッキー・チェン)は、総督府に攻めこむが、事前に情報を入手していた朝廷側に厳戒態勢を敷かれ、反乱は失敗に終わる。

この戦いで多くの命を失った黄興らは戦意を喪失していく。
果たして、崩壊直前の祖国と愛する人々を救うことが出来るのか…。


中華民国建国のきっかけとなった《辛亥革命》が1911年に起きてから、今年でちょうど100年。

それを記念し製作された同作は、ジャッキー・チェンの映画出演作100本目でもある。ジャッキー・チェン自ら総監督も務め、構想10年、製作費30億円をかけた歴史超大作だ。

ジャッキー演じる黄興の妻役に大抜擢されたのは、中国の人気女優リー・ビンビン(Li Bingbing)。

『ドラゴン・キングダム』に続く共演となる。ほかの主要キャストとして、孫文役はウインストン・チャオ(Winston Chao)、袁世凱役にはスン・チュン(Chun Sun)、NHKの「蒼穹の昴」でおなじみの若手俳優ユィ・シャオチュン(Yuji Shaoqun)、歌手兼人気俳優であるフー・ゴー(Hu Ge)、そして、ジャッキー・チェンの実の息子であるジェイシー・チェン(Jaycee Chan)も出演している。監督は大ヒットとなった『レッドクリフ』で撮影監督を務めたチャン・リー(Zhang Li)。


http://www.timewarp.jp/movie/2011/05/30/35752/

入来院貞子さんを想う・・・ 矢吹先生よりの追悼文を紹介します。
2011/05/11

以下のサイトは昨年開催された「入来薪能」の際の入来院さんの挨拶がちょっと入っています。
http://www.youtube.com/kjoishi#p/u/13/n-Z7NxUVnHU


矢吹 晋先生から届きました入来院 貞子様への追悼文をご紹介します。

 先生と入来院様と入来文書のこと、そして、昨年書かれた「貞子の入来文書」(火の鳥第二十号掲載)について窺い知ることが出来ます。


 読まれた皆さんが鹿児島の誇る古文書の財産を関心を持って頂きたいと思い、氏の了解を得ましたので掲載します。



大石慶二様

貞子さんの告別式に参列できず、残念でした。9月に佐賀大学で集中講義をやりますので、その帰途、墓参を考えております。

貞子さんと重朝さんの母校・早大で朝河貫一研究会を続けていますが、そのニュースレターの次号のために書いた追悼文をご参考までにコピーします。


追悼・入来院貞子


貞子さんの急逝を海江田順三郎氏(鹿児島県日中友好協会会長)からの電話で知らされ、悲しみを禁じ得ない。

「入来文書の邦訳には、原書にしたがって地図3葉を入れたいと考えています。

朝河が苦労して作成した地図をそのまま用いて、ローマ字と漢字地名の対照表を掲げるつもりです。

大部分の地名は見当がついたのですが、一部はいくら探しても現在の地図から見出すことができません。

現地の「地の利」に詳しい方のご教示を得るのがよいと考えてお手紙を差し上げます。この対照表の不備を補い、もし誤りがあればご訂正をお願いする次第です」。

これは私が貞子さんに宛てた2005年2月13日付書簡の一部だ。8月に邦訳が出ると、早速講演を依頼してきた。私は顕彰協会の仲間と入来へ出かけ、薪能火入れ式の大役も与えられた。

彼女は翌06年もう一度朝河講演会を組織してくれ、2007年秋のイェール大学朝河ガーデン開園式への旅にはご主人の重朝氏ともども参加された。

病を癒した彼女は2010年晩夏、入来薪能に取り組み、私は顕彰協会の仲間とともに入来を訪れた。海江田順三郎氏に連絡し私の中国講演会まで企画する気配りには恐縮の至りであった。

帰京すると、追いかけるかのようにメールが届いたので、こう返信した。「入来の旅から帰り、お世話になったお礼も申しあげないうちに、メールを頂戴して恐縮の至りです。

ご指示のホームページで「入来薪能・巴」の写真と解説を拝見し、物語の流れを改めて深く理解したところです。

木曾義仲と巴御前の話は、義経と静御前の悲劇と似たところがあり、ここで頼朝はカゲの悪役ですが、両者共に政治権力が京都から鎌倉に移る移行過程を時代的背景としており、渋谷氏下向の時代背景を知るには、恰好の素材ですね。

この時代の空気がわからないと、入来院ファミリー・ヒストリーの起点が理解できない。

ところで入来訪問団は、8月28日午前、出水武家屋敷の篤姫撮影に場所を提供された竹添氏宅で、「藩政時代の薩摩」のボランティア解説を聞いたのですが、仲間の一人が「朝河貫一」や「入来文書」のことを質したところ、解説員が何も知らないことにがっくり。

そこでは、薩摩示現流の説明もありましたが、アイマイな話に終始し、最も正統的な薩摩示現流が入来院一族の東郷家に始まることも知らない様子でした。というわけで、私としては一日も早く、『貞子の語る入来院物語』が完成することを祈念するばかりです。

もう一つ。8月29日午前は鹿児島市内の尚古集成館を参観したのですが、そこに島津家系図が掲げてあり、忠久が頼朝の子であるかのごとく、「実線」で結んでありました。

この図では、朝河貫一が苦労して書き上げ、検閲を受けて伏せ字だらけの論文として発表された「島津忠久の生い立ち」がまるで無視されています。

06年夏、貞子さんと二人で県立図書館を訪れ、「生い立ち」を借り出したものの、コピー時間を待てずに、そのまま返却したことが想起されます。

後日、私は都立中央図書館で『史苑』(1939年7月号)を借り出し、『朝河貫一比較封建制論集』に収めました。

その後イェール大学図書館で朝河貫一文書から朝河自身が伏せ字を起こしたテキストを発見して、伏字復元の経過を説明した次第(『朝河貫一とその時代』第5章「島津忠久の生い立ち----伏字復元のこと」)。

尚古集成館の展示は、概して幕末明治初年に焦点を当て、島津家の貢献を声高に語るのみで、初代忠久のことには、ほとんど触れない。

これでは蛇頭龍尾(?)ですね。「島津家は17家あり、入来院などは、数えない」、といった無知丸出しの解説者たちにはあきれるのみ。

以上は薩摩のお膝元でも、入来文書とそれを再発掘した朝河貫一がまだ正当な評価を受けるに至っていないことを示すもので、甚だ遺憾であります(笑)。

この状況を打破するために、『貞子の語る入来院物語』が必須なのです(とプレッシャーをかけたつもり)」。これは私の10年9月12日付返信だ。私の提案を快諾され、彼女は「貞子の語る入来文書」を『火の鳥』20号(10年12月号)に発表し、これが「元文学少女」貞子さんの遺作となった。


「とても評判が良いのよ」と童女のように語る声が今も耳朶に響く。さる4月30日23時51分、彼女はツイッターを書いた。

「福島は大変ですね。原発震災の現状に黙っていられなくなりました。薩摩の大提灯とも言われていますが、大勢に従うこの辺の空気に反発してしまう困った貞子さんです」。

私は翌5月1日日曜の朝、ツイッター(ダイレクト)に返信した。「まさか貞子さんのようなおばあさんがツイッターをなさるとは・・・」、これを読まれたかどうか。

その日、自宅で転倒し、脳内出血で死去された。せっかくガン病棟から生還したばかりなのに何たる非情か。

貞子さんの自己紹介に曰く、「夫の定年後、祖霊の地鹿児島に戻って15年、郷土史の勉強と地域おこし[薪能等を指す]に頑張って来ました。

福島の偉大な学者朝河貫一の『入来文書』の紹介をしています」。

遺作となった「貞子の語る」を慫慂した私としては、「評判がとても良いのよ」という貞子さんのご報告がせめてもの慰めである。


5月2日当協会常任理事・女性部会長入来院貞子様が急逝されました。
2011/05/11

当協会常任理事入来院貞子様は1日、不慮の事故にあい、2日午前治療の甲斐もなく亡くなられました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
 故入来院様の生前のご活躍の様子をご自身のHP「スーパーひいオバアチャン入来院貞子の定年後の世界」サイトよりご覧戴ければ幸いです。

http://www.teiko-irikiin.com/profile.html

尚、活躍された文筆集の中から、今年1月21日発行の氏の編集による『世界平和同願会』の機関紙「同願」に書かれたエッセイ「電波と霊波」を以下より。

http://www.teiko-irikiin.com/uploads/denpatoreiha.pdf

「随筆鹿児島」23年より「年寄りの冷水」をご覧戴き入来院貞子様を偲んで戴ければ幸いです。


http://www.teiko-irikiin.com/uploads/tosiyorinohiyamizu.pdf

入来院様は本年、当協会の女性部会長を引き受けられ協会としては今までの女性部にさらに枠を広げた活動を期待していました。

鹿児島市日中友好協会平成23年度総会&懇親会開催
2011/05/03

去る4月29日(祭日)鹿児島市のジェイドガーデンパレスに於いて当協会の23年度定時総会と懇親会が開催されました。

 当日の懇親会の模様を下記のYouTubeサイトよりご覧ください。
     http://www.youtube.com/kjoishi#play/uploads

 又、スナツプ写真については以下をクリックして下さい。
 http://www.nihao-kagoshima.jp/sokai2011.html

この日は東北地方太平洋沿岸を襲った大災害(M9の巨大地震・高さ30mの巨大津波・福島第1原子力発電所の爆発事故)から50日目を迎えた日でした。

 3月の新春宴会に続き犠牲になられた方々への黙祷から会は始まり、懇親会の乾杯も、犠牲者への哀悼の意を奉げる「献杯」で始まり、恒例の3本締めも1本ならぬチョン締めで懇親会はお開きになりました。

 型は型で良いし、気持ちは罹災者がもと通り復興するまで支援し続けなければなりません。
 しかし、今こそ日本は、みんなで頑張らなければならない時でしょう。
 今、自分が出来ることは何か、それぞれが、それを地道に実行する時です。今、批評家は要りませんね。
「・・なになにが、何をすべき」ではなくてあなたが何をすべきか、でしょう。弁解と責任のなすり合いは世界が見ていることを忘れないことです。

 中国に近い立場にいる協会の皆さんは、現状の日本を近しい中国の朋友に知らせてあげることも良いかも知れません。
 私の日本通の友人も「鹿児島ではそろそろお刺身が食べられるようになりましたか?」のメールに驚かされましたけど、いつも付合っている留学生が「今までは日本製品は安心、安全だったけれど・・・・」と、ちょっと気になる表現をするのが気になりました。

 今、世界の関心は放射能です。風評被害の解消に務められる民間の最前線に私たちはいることを知るべきかもしれません。私の見解ですけどね。

中国人留学生による東日本大震災の被災者を助ける街頭募金を行いました
2011/03/25

「四川大地震の時の感謝の気持ちを被災者に少しでも届けられたら」と、鹿児島の大学に留学している中国人留学生が14日、金生町・山形屋前に於いて募金活動を行いました。

当日の募金の様子を以下のYouTube画像でご覧ください。
  http://www.youtube.com/kjoishi#p/a/u/1/iDCzG6hExnw

鹿児島日中友好協会 新春宴会開催
2011/03/25

3月13日(日)鹿児島市のジェイドガーデンパレスにて鹿児島県・市合同の新春宴会が開催されました。

,一昨日、3月11日に東日本(東北の太平洋岸)を突然に襲ったマグニチュード9の大地震と続けて襲った未曾有の大津波により大被害を受けた被災地の皆様のことを考え開催をどうしたものかと躊躇しましたけど内輪の宴会ということで実施しました。

 今年の一番の特徴は鹿児島に在住している中国人の参加が多かったことです。80名の出席者のうち中国人(主には留学生)が半分近く参加したことです。

 盛り沢山のプログラムと日中の交流も盛んに行われ、2時間の時間もあっと言う間に過ぎてしまいました。

当日の思い出写真と動画をまとめてくれた祁立標さんの作品を以下からご覧ください。

 http://www.nihao-kagoshima.jp/2011nihaosinnenkai.html

祁さんは今年の『二科展』に写真部門で入選されました。

上の動画が遅い時は以下をクリック
 http://www.youtube.com/kjoishi#play/uploads

迎春会(中国の新年「春節」の前夜祭)開催さる。
2011/02/03



2011年2月2日は中国のお正月・春節の前夜、日本で言う大晦日になります。
 毎年、鹿児島の中国人留学生はこの日の夜、餃子を作って盛り上がります。これまで鹿児島大学の構内食堂で開いていましたが、今年は奮発したのか与次郎にまもなく開店する本格中華料理の店『唐朝』にての豪華な開催になりました。

 総経理はなんと留学生のmonくんと聞いて2度びっくりしています。すっかり顔なじみの留学生朋友たちに会えるのは楽しみです。カップルも随分増えましたね。それも、日中混合です。また嬉しからずやですか。

 カラオケ大会やゲーム(カップルの子供も多いようです。}の後は、部屋に別れ本場中華に舌鼓を打ったようです。翌日、今年、学友会の会長になった陳 琳くんの電話ではすべてが終了したのは今朝の5時だったそうです。

 当日の模様をYouTubeに撮って来ましたのでご披露しましょう。
最初のYRLサイトは祁立標さんの制作動画です。

http://www.youtube.com/kjoishi#p/u/1/OseLm0yFwj8

http://www.youtube.com/kjoishi#play/uploads

写真もどうぞ。
来月13日は私たちの協会と県日中の共同で『新春会』を開きます。在鹿の中国人との交わりの宴会で希望者は当協会にメールでお問い合わせください。
 k-oishi@abelia.ocn.ne.jp

留学生は会長の陳琳 080-3990-7160 まで。

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