九江学院日本語教師池田公榮さんの生活記録
虹の架け橋  2006・1〜

                                                           
   虹の架け橋@(平成17年3月〜 5月30日)
   虹の架け橋A(平成17年6月〜 7月30日)

   虹の架け橋B(平成17年8月〜 8月31日)
   虹の架け橋D(平成17年9月〜10月31日)
    虹の架け橋E(平成17年11月〜12月31日)
 
虹の架け橋F(平成18年1月〜2月30日)
                     虹の架け橋G(平成18年3月〜4月11日)特集・(九江学院鹿児島訪問)
      虹の架け橋H(平成18年4月00日〜5月31日)
 
     虹の架け橋I(平成18年6月07日〜06月29日)
      
虹の架け橋J(平成18年8月25日〜10月29日)
 
     虹の架け橋K(平成18年11月2日〜12月31日)
      虹の架け橋L(平成19年01月1日〜03月31日)
 

      
 
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* 2007中国九江国際城市大会……2007/10/27…
2007中国九江国際城市大会

  九江市は、2007年10月22日から26日まで友好都市交流記念大会を開催し、関係国市を招聘した。古くは1988年から2004年の間に、8ケ国9市と友好盟約を結び、国際交流を続けている。国名を挙げれば、@アメリカ・ケンタッキー州ルイスビル市(2004年9月)、Aスロヴァキア国コペル市 (1995年4月)、Bアルゼンチン国ブエノスアイレス市(2007年6月)、C日本奈良県大和高田市(1988年8月)、Dオーストラリア国ビクトリア市(1993年12月)、E岡山県玉野市(1996年10月)、Fフィンランド国カジャニ市(2006年11月)、G北アフリカ国エクール市(2007年8月)、Hポーランド国レギノウヴァ市2007年10月といった顔ぶれ。

  九江市は発展を夢見て内に外に交流の手を差し伸べている。ここは早くから発達した交通の要衝であり、長江の良港、北京九江を貫く京九鉄道の終点、ここから発して広東へ延長している出発点。こんなことから、1900年代の初めから世界に目を向けた都市であり、その伝統が今日8各国と縁結びをしている由縁であろう。

 市を挙げて歓迎・祝賀の行事が執り行われた。

写真:九江城市会に参加した各国の人々は談笑しなから水上映像会場へ

* 日本料理の店……2007/10/27…
カレーライス専門店(日系)

  菅谷さんとおしゃる日本人が九江に寝ずいていろいろな事業をなさっている。建築現場の足場パイプのリースが当たり、1800万円ぐらい投資されて、毎月のリース料が30万円ぐらい入るという。九江で月30万円は大きい。

  この菅谷さん、最近、学園の前でカレーライス店を開業された。奥さんの副業としてだそうで、日本のスーパーで売っている、ハウスカレーのルーを仕入れ、一食分6元で販売しておられる。私としても応援のつもりで、学生たちにできるだけ宣伝してあげた。

  カレーが好きなのは主に学生で、一般の人はあまり好まないらしい。あの色とトロミ感があのトイレ時の「何とかに」似ている連想に駆られ、食べる気がしないそうである。

  1杯6元では儲けがほとんどないそうであるが、他の食事と抱き合わせで、経営が続いている。客はまあまあ途切れなく入っているようだから、定着すれば仕事になるはずだ。エールを送りたい。

* 公私混同……2007/10/27…
公私混同まかり通る

  九江には警察車がよく走っている。その中で、3分の1は公私混同利用のされ方である。家族を乗せて、買い物に行く。学校の登下校に使うといった具合である。

  先日も九江学院のある女教師を乗せているところを目撃した。彼女は、悪びれもせず、ごく当然のように、パトカーに乗り込み退勤していた。

  日本では厳しくとがめられる行為だが、中国では上記の状態。規則では、公私混同はいけないとしているのだろうが、そこは建前、実際には前述のことがまかり通っている。そのうち、住民の声が上がるだろう。

* 料理の実習……2007/10/27…
共同で卵サンドウィッチを作る・食べる

  授業の中に「卵サンドイッチを作る」という内容があった。レシピをそのまままねて作って食べようということになり、衆議一決。

  係りを決めて、食材の買出係、会計係、搬出係と分担して取り掛かった。材料は校外の店ですべて調達。スライスパン・卵・キュウリ・マヨネーズ・塩・胡椒類などをそろえたところで、妻の協力を得て50人分のサンドイッチつくり。

  こんな食べ物初めてという学生もいて、おいしい!おいしい!とみんな歓声。いい時間だった。材料費は各人2元内で納まった。

* 竜宮洞へ行く……2007/10/27…
竜宮洞へ行く

 連休期間中、九江市よりバスで2時間の場所に、竜宮洞という鍾乳洞がある。寮に残っていた学生と一緒にそこへいく。経費バス代入園料込みで、学生68元、一般98元(邦貨約150円)。

 とても規模が大きく、洞内は涼しい風が吹きに抜けてとても気持ちがよい。外ははあいにく暑さの戻りで、汗ばむ気温だったが、洞内は快適そのもの。自然が創造するさまざまな岩の形にいろいろな想像を重ねて龍だの熊だの名前がついている。

 洞の規模は日本の秋吉台や四国の龍河洞のそれよりはるかに大きく、洞内に船で渡るとところや、屈んですり抜ける細道や、バスケットボールのコートが敷設された広場、屋内体育館がすっぽり吸い込まれるほどの広さがあったりで、その規模がわかっていただけるだろう。

 ここで感動したひとつは、12歳ぐらいの男の子が、3歳、5歳ぐらいの幼児の世話をしながら(一子制度をはみ出ている)、露天で土産品を売っている風景だった。きっと弟たちだったのだろう。それにしても、この子達の両親はいるのだろうか、孤児だろうか、強制的に働かされているのだろうか、頭の中で思い巡らすが知る由もない。でも、12歳の男のこの振る舞いは、生きるたための、逞しさを感じて神々しくも思えた。きっと、この子は成人したらいっぱしの実業家になるんじゃないだろうか。そんな気がした。持っていた飴とサンドイッチを小さい子にあげて、あとでみんなで食べなさいと通訳してもらった。

* 国慶節……2007/10/27…
10月1日は国慶節
1949年10月1日。毛沢東主席が天安門で中国共産党政権の樹立を宣言した記念日。学校は1週間の休み。近隣の学生は一斉に故郷の自宅へ帰省する。合わせて、連休を利用して、家族旅行もある。したがって、交通機関や、ホテルは予約なしではだめ。おまけに、物価も便乗値上げで高くなる。

 小生はこんなときは動かないことにしている。普段まだ徒歩で行っていない九江市街を歩いて庶民の生活や珍しいもの探しをすることにした。

* 九江10月の花木……2007/10/27…
10月の花
10月の街路樹は酔芙蓉・金木犀・銀木犀など。鉢物は鶏頭花・石竹・マリーゴールド・菊の類。

 今年も時期を忘れず酔芙蓉が咲く。故郷種子島に多い花で、これを見るとホットする。写真を挿入できないのが残念。学生に貸してあげたのはよかったが、落として修理不能になってしまった。去年撮影したものを貼り付けることにする。

 金木犀・銀木犀は文字のとおり、花が金色・銀色で香りが強い。近くで嗅ぐより、遠方からそこはかとなく漂う香りがいい。ネパールから九江学院の医学部教授として赴任している教師は匂いの強さに咳き込んで大変だったと言っておられた。

写真が張れないのが残念。

* 教師の日……2007/09/10…

2007年9月9日日(曇り)在中国九江

教師の日 中国では9月10日は「教師節」と呼ばれる。教師をたたえる日だとか。九江学院でも外国人教師をホテルに招待し、晩餐会が開かれた。私と妻も参加した。総勢20名ほどのテーブル。学長じきじきの参加と謝辞があり、楽しく食事をする。新顔の教師も3名ほどあった。一同、顔見せと自己紹介のよい機会であった。学長からは、私にたいして、「君は学生に人気がある。すばらしい教師だ。謝謝!」といわれれば、お世辞としても悪い気はしない。

 料理について。二つのテーブルに格20種類ぐらいの料理が出る。中華料理は、盛りは多くないが、出される皿数が多い。

 日本のデパート食品売り場の試食よろしく、一口か二口食べるうちにおなかいっぱいになる。口に合うものと合わないものがあるが、これは食文化の違いと悟りきっている。栄養学的には20種の食材をいただくことになるので、栄養の偏りもなく、とてもよい食事のとり方とおもう。

 料理の基本は、前菜があり、中が本食事となり、後は果物やケーキのデザートといった組み合わせ。中国料理は「味で食う」といわれるが、中国での料理の基本は、味・美・感・多なんだそうだ。味へのこだわりは全国共通だが、美は見た目のおいしさ、感は食感、つまり歯ざわりのおいしさ、多は多種ということ。どの国の食文化も、楽しむことがおいしくいただくコツかなと思う。

* 私たちを出迎えた人・もの……2007/09/10…
 
 まず、目に飛び込んだものは2ケ月前に植えた花だった。風船かずらと野生の朝顔が渾然として、荒野の状態。風船かずらは、根元を少し残してばっさり剪定。新芽を新たに育てようと思う。

 ただヒマワリだけが、背高く伸びて、大きな花をつけていた。サンフラワーといわれるとおり、太陽に向かって堂々と咲いている。強いな!たくましいな!と思う。

 次、新築の校舎がほぼ完成。9階建ての堂々とした校舎まばゆく輝いていた。九江学園は4万人の学生を擁する大規模校である。

 次に迎えてくれたのは、学生たち。彼らもまたある人は故郷へ帰り、ある人は九江に残りアルバイトをしたという。学生は近くは江西省の近隣から、遠くは日本からより遠い、ハルピンや海南省、青海省、内蒙古あたりからもきている。

 この学生と向き合い、彼らに日本語の力量を積ませることが私の使命。

* 四度目の九江……2007/09/10…
2007年8月29日水(曇り)在鹿児島―空港―上海

  午前10時GRホテルCO.リムジンバスにて空港国際線へ。午後1時30分発中国東方航空762便に搭乗。上海は摂氏25度で小雨日和だった。九江行き長距離バスのチケットが入手できたので、直ちにバスに乗り込み、夜行走行ときた。

2007年8月30日木(晴れ)在九江
 早朝午前5時30分には長江大橋を渡り、見覚えのある町に差し掛かった。2ケ月振りの九江は曇天で、昼間は暑苦しかった。2ケ月間締め切っていたので、部屋はかび臭く、戸や窓を全開にして清掃する。午後は食料の買出しと散髪。九江学院正門前に日本料理店を構えた菅谷氏を尋ね、挨拶する。ちょうど夫婦ともおられたので、店の繁盛を祈念する。夜はエアコンなしでは寝付かれないので、夜半までクーラーをかける。

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