2004・5・23〜26
大雁塔北門・音楽噴泉
6:10発の西安行きHU207機は、何と15分も早く西寧空港を飛び立った。
乗客名簿を確かめての離陸なのだろうが遅れて飛び立つた経験はあったけど定刻より早くの出発(チューハー)は初めての体験だったので驚いた。
機内から見る外の景色は山また山の連続、まるで恐竜の背中が連なったようである。
背中と背中との間に溝があり、その溝の幅の広いところに、良く見ると土で盛ったような民家が見える。色が同じなので幾何学的な人造物を見逃すとわからない程である。いかにも原始的な建物に見えるが、これで案外、住んでいる人にとっては夏、涼しく、冬は暖かい快適住居なのかもしれない。
もう離陸して30分も経とうとしているのに、延々と連なる恐竜の背中は続く。機内の窓が二重になっているので、その美しい背中を撮ることが出来ないのが残念である。
昨日の、あの広大な湖畔の大草原が見えないのが残念だがこれはこれでヘンピャオリァンである。
シャオチーが配られた。機内は一列3人掛けの小型機である。
ぼくの好物である大根の漬物が入っていた。この前は、いとも簡単に開けられた袋が今日はどうやっても切り口が見えない。メガネを取り出して探すがダメだった。勿体ないのでそっとバッグに入れた。
昨日、ツアーで出た青海湖の黄魚にはまいった。小骨の多さと肉の柔らかさは海魚を食べるぼくらには苦手である。そんなとき、こんな漬物があると助かるのである。
一時間少しで西安咸陽空港に着いた。
久し振りの西安である。西安といえば、友人の松間和尚の顔がすぐ浮かんでくる。始めて中国に来たとき北京の次に訪れた西安、そして、敦煌、ウルムチへの行き帰りに立寄った西安、いつも松間氏と一緒だった。
鹿児島に来ている陳兄弟のご両親にもお世話になったのはもう4年も前になる。そんな思いが空港に着いたら浮かんで来た。
もうひとり旅も大分慣れてきた。空港バスへの乗り方も手馴れたものである。ホテルはの位置は大体分っていたので服務員に東門の近いところか、鐘楼近辺で降ろしてもらうよう告げる。
● ホテルに着いたら久し振りの西安の街で夕食に出かけること。
陳夫妻に到着を知らせること。●そのとき、明日の都合を聞くこと。
●華山一日遊の方法をホテルか陳夫妻に聞くこと。●帰りの長沙行の航空券の予約はどうするか?など、いろいろと済まさなければならない事がいっぱいある。ぼくはバスの中でノートにメモをとるのが忙しかった。
ぼくのことを心配している華天の小燕にも無事西安に着いたことをメールで知らさなければならない。彼女は、自分の建てたプログラムの上をぼくがなぞっているのを観察しているのかも知れない。
我が子のひとり旅を見守る母親の気持ちに似た感情が芽生えたのかも知れない。この前のメールはそんな感じに読めた。
月末の鳳凰行きは、ちょうど週末で勤務(工作)ゴンゾーがないのだと言う。
「ヨシチャン、一緒ニイコカ(一起去?)ワタシ ホンファンは イタコトナイノ イキタイナ」と言っていた。
結局、シァトルバスは鐘楼の西側の角の?ホテル前で降りた。
「空港行のバスの始発もここです。行かれる先の予約をされませんか?」
と添乗の服務員が親切そうに言うので、ここで済ませた方がいいかな、早く、ひとつでも解決しておこうと、まあ、いわば渡りに船と言った感じで手続きを済ますことにした。
頼みついでに、携帯電話のチップの売場を聞いたところ、明日朝に連れて行ってくれる。と言う。えらく優しい小姐だった。まぁ、営業からみの親切だとは思うけど。
手机(携帯のこと)の調子が昨日から変なのだ。突然、不通になる。電波が届かない筈がない市街地なのに、といって電池は今朝充電したばかりだし、あとは銭切れかナ・・・・と思う。
ホテルはここから東大路を東に向かい、解放路の一つ手前の尚徳路を左折して・・・とその辺まではタクシーに告げられるけど、あとは運転手がホテルを知ってるかどうか?である。案の定、尚徳路に入ってからホテルが見つからない。
目指すホテルはなんと細い筋を入ったところにあった。ホテルの前はバスが5,6台、、タクシーなら二桁は駐車出来るスペースがあるのだけど、そこへ行く道路が信じられないほどの細道なのである。こんなホテルも又、初めてだった。ホテルに着いた時はもうかなりの時間だった。晩御飯はどうしょう?
感じのいい服務員(ホテル小姐たち)だったので安心した。いつもフロントでの彼女たちのぶっきらぼうというか無表情の応対に頭にくることが多い。案内された部屋は思いのほか綺麗で広かった。
早速、陳さんに電話を掛けるが、なかなか通じない。フロントに電話すると番号の回し方が西安は違うらしい。
電話でなかなか意思が通じ合わない。仕方が無いので諦めて電話を切った。すると、しばらくするとドアがノックされた。
開けると服務員がニコニコ笑顔で立っている。
「我教ニ打電話的方法・・・(かけ方を教えに来ました。)」と言う。
「アナタ ニホンジン ワタシ ニホンニ イツカ イキタイ
ニホンノ ハナシ キキタイ デス。」彼女は電話のかけ方を教えてくれた後でぼくに告げた。〈この間は中国語でのやりとりです)
「いいですよ、何でも訊いてください。」
1時間後、二人で西安の街に食事に出かけた。仕事(フロント)の方は大丈夫なのだろうか?
鐘楼近くの餐館で軽い夕食をとりながら彼女との思いがけない愉しいひと時を持てた。小燕に怒られそうなので名前は書かない。でも、西安の街は何故か、たのしいアクシデントに見舞われる街である。
24日朝:
陳ご夫妻と4年ぶりの再会である。
あの時は電話をする時も一方的に三つぐらいの文章を紙に書いた喋るだけだった。それでも、胸がどきどきして中国語にならなかったのを思い出す。それから較べたら今は少しはましかナ、と思う。
10時ごろ、あの頃と変わらないお二人の姿が現れた。場所も同じホテルのロビーである。あまけに手に何かビニール袋をぶら下げているのも4年前と同じだった。
「お久し振りです。4年ぶりですね!お変わりありませんネ。今回はまたお世話になります。」
ぼくは、準備していた中国語を今度は、きっとうまく通じているだろう、と 確信をもって話した。
そして、長沙市長に差上げるつもりで買ってきていたモンブランの万年筆を陳さんに手渡した。
その日、一日の行程は
●携帯電話の店にお金を200元入れる。
●中国銀行に行って1000元引き出す。
●昨日予約した航空券を購入にいく。
●明日の華山行の一日遊の申込みをする。
・・・・・以上陳氏にお手伝いしてもらうことでした。午前中に用件を済ませた後、陳夫妻はぼくを餐館に案内してくれた。
・・・・美味しい!久しぶりに美味しい料理を食べた。
満洲料理店だった。
メニュー(菜単)は
○ 糖酢鯉魚(松鼠魚)
○ 玉彩拉皮
○ 玉米餅
○ 豆腐花
○ 菊花里背
○ 大学芋
西安二日目の夜〈24日)
夜は大雁塔(ダーエンター)の北側の門,慈恩寺の前の公園に巨大?とまではいかないけど、とてもすばらしい公園が出来上がった。
陳氏の話によると昨年の10月に完成したばかり、と言う。
慈恩寺は、いうまでもなく有名な高僧、玄奘(602〜664)がインドから戻った後で寺の管理にあたった。そして、彼が持ち帰った大量の経典や仏像を納めるために大雁塔(ダーエンターを建設したものである。
現在、反対側の南門の方の大拡張工事が始まっている。
この門の前にある玄奘和尚の銅像の前では多くの観光客の記念撮影が絶えない。
夜、8時
ほとんど暗くなった公園の水辺には数百人の市民や観光客が噴泉の上がるのを待っている。
突然、水中が七色に変わったかと思うと音楽が鳴り始めた。
交響曲(クラシック)だったのにはびっくりした。てっきり中国の音楽と思っていたから。ラスベガスのベラージォホテルの前の踊る大噴水を思い出した。
一緒に観ている陳氏にそのときの感動を語ろうと思ったがとても中国語への翻訳が難しそうだったので断念した。
いつの日か、身振り手振りを混ぜて、自由に中国語を操れる日がくればいいなぁ、と思うことだった。
ここの噴泉公園は正式名称は曲江というのらしい。
幅が80mぐらいで長さは300mぐらいはありそうである。周囲はそこここに中国の歴史上の有名人(杜甫、李白といった詩人から他の文化人の銅像を中心にミニ庭園を囲ってある。)場所が10ヶ所ぐらいある。
若者たちがその中の入って写真を撮っていたが、係りの人に注意されていた。
噴泉のプールは下に向かって30度ほどの勾配になっていて下からは噴泉が上がっていくように見える。上からは下がっていくように見えるのだろう。だから、どの位置に立って見るのがいいのか?
陳氏が掛かりの服務員に尋ねた。すると、そばにいた人たちも話しに加わってきて「そりゃ、下から観るのが最高よ!」すると、別な子連れの親子が「私達は真ん中付近で観ることにしてるの、だって左右にめが配られるから・・・・。」
誰だったかが言った。
「一番いいのは、まず、一番上にいて、それからゆっくり下に歩いてきたらどうだろう?」
「そうそう、それが最高かも。」ということになった。
ぼくたち3人はかくして、最上段に向かって、すこし小雨が降り出した石段を急いだ。
噴泉池は5段になっていて平面池の隣同士は数段の階段になっていた。
背景の大雁塔は幻想的にライトアップされ左右から二本のレーザーが走るさまは噴泉開始の数分前から、もうワクワクとした気分にさせてくれる。
北公園(曲江)の夜の大スペクタルショーは現在の中国の世界を視野に入れた観光事業のスケールの大きさを、まざまざと感じさせてくれるものだった。
西安4日目(26日)
今夜6時半の海南航空機で長沙に戻る。
なんだか惜しい気がしないでもない。でも明後日から小燕と鳳凰に行かねばならない。
あと,出来れば一週間ぐらいカシュガルから,カラクリ湖を回ってクチャとか新疆ウイグル自治区を旅したかったのだけど小馬の時間がとれなかったことと、ちょっと経済的なことも頭によぎり断念した。
昨夜、小燕から久しぶりにプライベートな電話が掛かってきた。旅行中、ほとんどは何かアクシデントがあった時しか直接電話では話しをしなかったのでベッドの中から話しをするのは久し振りだった。
話しの内容は要約すると「鳳凰は二日ツアーデス。ガイドが現地人で、アナタはコトバが多分通じないと思う。アタシが通訳しないとゼンゼン オモシロク アリマセーン。」とまあこんな話しだった。
さて、今日は独り行動である。西安市内で是非行ってみたいところがあった。いわゆる、西門と西大路にあるイスラム人居住地そして清真大寺である。
朝八時,少し身体がきつかったけど東大街の中ほどから西門まで歩いてみることにした。結局、一時間ほどかかって鐘楼まで来た。かなりばててきたのでタクシーを拾おうと思ったけど、此処から先こそ歩いた事がないところだった。好奇心が疲労に勝った。
西へ100mから200m歩いた頃から頭に白い帽子を被った人たちが多くなった。イスラム系の人たちである。
道路も急にでこぼこが多くなってきた。開発、工事中なのか、右の一角は100mぐらいの間口でビルの新築工事の最中であった。
やっと、西門に着いた。門の壁にでっかい赤の横断幕が貼ってあった。「もしや?」と悪い予感がした。
近づいてみると西門上の楼閣は木枠が組まれており、下にある切符販売所にも人影はない。折角、此処まで来たのに。
翌日、見送りに来てくださった陳氏に「昨日は西門を観に行きました。」と言ったら「今、工事中で登れませんでしたね。」と言われた。
そんなことなら、前の日に西門に登ってみたい。といえば早く分かっていたのに、と悔やまれた。
仕方ないのでタクシーを拾って清真大寺へ行くことにした。
タクシーの運ちゃんも余り場所がわからないらしくイスラム人街へ入ってしまった。運転手が場所が分からない事が幸いしてぼくはこのイスラム街の細いいくつもの筋を行ったりきたりぐるぐる廻り見学させてもらうことが出来た。
もうほとんど中国人、正式には漢民族は見ない、イスラム系中国人というのだろうか?女性は例の覆面?男性は白い帽子である。
朝の屋台がいっぱい軒を連ねる。朝は家では作らないのかもしれない。
とうとう運転手は
「ここで降りて観光客の後を付いていけば入口がみつかるよ」
と無責任な事を言ってクルマを止めた。
運転手の言ったとおり確かに欧亜人のツアー客がそこここにいっぱいいた。肩からDVムービーを提げ、半ズボンスタイルが彼らのトレードマークのようだ。ほとんどが中年、どこの国もコレは変わらない。
清真大寺は本当に分かりにくいところにあった。
幅2mぐらいのみやげ物屋が並ぶその一軒分の左に入口があった。そこだけ、ひときわ人だかりがしているので分かったぐらいで、もし誰もいなかったら通りすごしかねない。
入口で2元を払って団体客の間をぬって先に入った。
西寧の清真寺とはちがって、こちらの方がずっと歴史を感じさせる建物だった。
面積は狭かったけど庭園風のイスラム寺院と道教風の院とを融合させたような感じがした。
あちこち写真をとって30分ほどで清真大寺をでた。
出口から左右にみやげ物屋が100軒くらいずらりと並んでいる。
歩いてみると、もう全く同じものばかりをどの店も並べている。
今までと違うのは客引きや呼び込みがほとんど無い。
手にとっても控えめにしか反応しないのがよい。
ある店で陶器の箸を手にとって「多少?」と訊いてみたところ、
「15元!」と女主人が言うので、そのまま歩きかけると突然
「いくらなら買うか?」
とこれまたなかなかのアクセントの日本語で声がかかった。
ひとりで歩いているぼくに日本語でといかけるとは、???。
「5クァイ、イーガ。」(五元でどうか?)と言うと「くあぃー」(いいよ)
と言う。
ところで、何で日本人てわかったの?と聞くとニヤニヤして答えがない。ぼくが日本語で訊いたからだろう。
「モットいいものが奥にある。観るだけでいいからどうか?」
と太った女主人は言う。
奥のせまい室には棚いっぱいに清朝のころのものばかりだというめずらしい骨董品の山がおかれていた。
むろんそのひとつひとつが売り物で、売る気なのだろうから彼女の説明は熱がこもっていてよく分かる。
博物館の陳列品の説明をするガイド嬢よりはるかに興味をそそる説明だった。
「先生!これは清の**皇帝の本物の落款(印章)です。」ともったいぶって刻印をとりだした。確かに4センチ四方のかなり立派な印款だ。400元でいいと言う。
骨董趣味がないので値引きもしないで他の品に目を移したが交渉したら半値以下にはなるのだろう。
清朝の頃のアンティークな布製の人形の数々にはなぜだか触手が伸びた。
いかにも古い感じで、なんともいいようもなく、いいのである。1つ、300元だと言う。話しているうちに150元まで割り引くという。
ぼくの関心がわかるのだろう。
「一個、50元でどうか?」と言うと「100元ならいい。」と言う。
一瞬、店のお客さんの児玉基子さんのご主人の顔が浮かんだ。
「好きそうだなぁ」と思ったが、不思議なもので、長く交渉しているとその品に対する欲望が段々としぼんでくる。
「二個100元では?」というところで、とうとう交渉は成立しなかった
ちょうどその時店先にアメリカ人の団体が入って来た。
「ちょっと待ってて。」と言って彼女はアメリカ人相手に今度はカタコトの英語で商売を始めた。
長引くようだったのでぼくは店を出ることにした。
あわてたかの女主人は
「また来てネ。」と紙切れに自分の店の番号を書いて渡した。 《 213房》と書いてあった。
・・・。チョッと悔いの残るアンティーク人形だった。
次は華山に挑戦します。
機内から見た恐竜の連なり。
西安の宿
近くの革命公園の朝
鐘楼 |
満洲料理の数々。
朝の体操
陳さんご夫妻と。
曲江のミニ庭園の写真撮り
段々暗くなって来た噴泉池
清真大寺
南門前の玄奘和尚像、日没前。
清真大寺前の露店下は屋台
工事中で行けなかった南門
女主人の店(213房)
奥の陳列棚
分かりにくい清青大寺入口
清青大寺大礼拝堂
シーアン xi an
全写真拡大出来ます。