張家界・武陵源
2004/4/9〜11
張家界は日本では武陵源と言った方が分りやすい方もあるかも知れません。でも、行ってみると武陵源という言葉は観光区域としては認知されていないようです。

 日本の旅行案内書では、時に総括して武陵源と言う言葉が使われたりします。僕も以前から武陵源の中の張家界と思っていました。

教室で「明日は武陵源に行ってくるよ。」と言うと「エッ!先生はチョーカガイに行くのではナイノデスカ?」と言われてビックリした。

 僕が理解した説明をさせて頂くとこういうことになる。

 まず全体を《張家界》もしくは《張家界風景区》という。現地、湖南省の旅行案内によると、

 「張家界は湖南省の北西部にあり、張沙からは約00キロ、張家界国家森林公園、天子山,索渓谷の三つの名所からなっています。張家界は総面積369平方キロメートルです。

 有名な「黄石塞」は国家森林公園の中にあります。標高は1100mです。

 「索渓谷」と「宝峰湖」はホテルや観光施設が集まる軍事坪・武陵源区政府から歩いていけます。

 水八百峰八千といわれる「天子山」は張家界の北部にあり、総面積は100平方キロ,観光名所数は80余りあり、主峰は標高1262mです。第二の桂林をめざしています。

ここ、張家界は韓国人にはとても人気のあるところらしいです。実際、あらゆる食堂や土産店、観光説明に韓国語が書かれています。

 確かに、韓国の観光客はとても多かったです。日本人の団体、もちろん個人も、一度も会いませんでした。

あの三つのツーリストは黄山に行ってるのでしょうか?それとも成都の近くの山でしょうか?

 ここ張家界は先にも説明しましたが、大きく分けて4っの見所があります。黄石塞と「索渓谷」と「宝峰湖」と天子山それに黄竜洞の4っですが、僕は、何といっても天子山でした。

 まさに息を呑む絶景でした。

僕は幸福(シンフー)だな ぁ、と目の前に広がる自然のパノラマ(ありふれた表現で申し訳ない。)にしばしズイラ(酔了!)。次は僕らの行程を描写します。

前の最後に汽車のことを言いましたが、ついでに運賃のことなど書き足してみます。

ここ長沙から西の方に特急で6時間ですから鹿児島からだと前の寝台特急《桜島》で岡山位まででしょうか。料金が片道・140元(2200円)というところです。

 近距離・例えば長沙始発の長家界行きのような場合は17両編成の列車の構成で5両程の寝台硬座のほかは全部硬座です。

始発から買う場合のみ硬座でも座席指定が買えます。料金は寝台の半額の70元です。

 また、始発が広州とか遠方で終着駅ももっと遠い場合はこの編成のほかに1両の軟座寝台に食堂車両が加わります。何故か軟座は見当たりませんでした。

軟座の替わりに硬寝台なのでしょうか?

 途中駅で乗った場合、もし寝台が買えなかったら外国人は大変です。まず、繋ぎの場所か、洗面所付近に地に座ったまま目的地まで、ということになります。

もっとも、意識のうえで中国人的感覚になりかかった人は無事自由席の人になれるでしょう。

 大学一・二年の頃鹿児島駅から東京まで36時間を霧島の席無しで上京した記憶が蘇って来ました。あの頃はあの頃で楽しかったですが。

 何時間も前から、整然と並んでいましたが、それでも、汽車のタラップを上がる時は、流石に心臓が高鳴ったものです。


「どの席に座ろうか?」
車両に入ってからの席取は目が血走ったものです。

 なにしろ36時間の長旅ですから、同席者も気になります。若かったですから、やはり若い女の人と同席が好ましいし、それが今も未だひきずってますね。

狭い寝台の場合、じじい(自分じゃないか?)より、小姐です。それもピャオレンな・・・。

硬座の大待合室で改札を間近にした人の気持ちと、あの狭い改札口へ殺到する人の気持ち、分らないでもないです。昨日は一人、女の行商人でしょうか

、大きな天秤籠を背負って改札口を通ろうとしますが殺到するひとの波で通れません。改札口が棒が横になって通れないのです。両隣の改札は流れがスムーズです。

 可愛そうな天秤棒の女性、でも、一瞬の間だったようです。 あの、川の流れの石の間を抜けて流れる笹の葉みたいにスーッと狭い改札を抜けて行きました。

 車内の何箇所かで寝台キップを車掌は売っています。70元を右手に持った人の波が押しかけます。我が格さんもその中にいます。

「ごめんね!王志国くん!」

僕は心の中でつぶやきました。5月、僕は一人旅であの中の一人になれるだろうか?
昨夜、9時過ぎ長沙駅に着きました。


 正確には8時50分頃です。三人で駅前の「五一大通り」を出発前に食べた「松花江餃子店」に《張家界の旅の最後の乾杯》をするために歩く途中、駅のシンボルのオルゴールの九時を知らす音が聞こえていました。

 僕の充実?した長沙の旅もやがて終わりを告げようとする、そんな響きにも聞こえてきました。

 《思い出は自分で創るもの》今回の《武陵源・張家界》の旅は、まさにそんな僕の考えていた夢の旅そのものでした。

 行き、帰りの硬座寝台列車の中の見知らぬ中国人達との交わりをはじめ、中国人は目の前にいて、きっかけさえあればもう(日本で言う)友人もどき、と言うのを体験できたのも収穫でした。

 でも、自分に殻がある限りたとえ人なっっこいと言われる中国人も決して、そんな好奇心は示しません。

むしろ警戒心なら強いお国がらと言えるでしょう。去年、慎介と行った蘇洲への汽車の旅を思い出しました。

 今回の《武陵源・張家界》の旅は、日本式に言えば、助さん,格さんを連れた黄門さんのようでもあり、西遊記の和尚さんの気分のようでもありました。

 二泊三日はその10倍のツアー旅行に負けない程充実したものでした。お湯は勿論のこと顔を洗う水がやっとというホテルに泊まったのも初めてでした。

 ほとんど、一食が3元(45円)程度のご馳走(本当に美味しいんです。)で通した観光旅行も勿論、初めてでした。

一方、一人100元(1500円)を超えるロープウエーを二ヶ所、無料パス(格さんの顔で)で通り、山の入園料一人250元(3700円ほど)も格さんの顔で無料という、とても、考えられえない愉快な旅でした。


とりあえず「ケイジの長沙日記」から転載した
分のみ掲載します。

「ニーハオ!中国」用のぶらり旅は後日まとめます
中原紀行・鄭州編から「ぶらり旅」は始まります。
李湯竜くんと
王くんと