zhi jing dong
2004/6/3
今日のコースは目的地(織金洞)まで3時間ぐらいかかるらしく朝、6時に迎えが来るという連絡が張クンから携帯に連絡があった。念のために5時にホテルからMCをするように頼みました、と言う。
いつもミニツアーは朝早いので困る。最終出発は僕が乗ってからいつも1時間半は過ぎる。いつも最初の方の順番になっているようだ。
それにしても今朝はおどろいた。4時にモーニングコールが掛かった。一時間も早い呼び出しである。誰かが間違ったのだろうがえらい迷惑である。あと2時間、どうしてくれるのか?寝るわけにもいかず仕方がないので日記を書いていた。
こんな日に限って迎えが来たのは6時半だった。
すでに 4人の先客が乗っていた。一組の夫婦と一組の親子(といっても子の方は20歳過ぎた娘さんだけど)。
中年夫婦のうちの男性がにこにこと話しかけてきた。
「Cant you speak English?]
結構、流暢な英語だった。
大体、OKと答えておいた。おかしかったのは最初に出た言葉が中国語の大概(ターガィ)可以(クァイ)だったことである。
「Are you ready take Breakfast?]又
英語で質問が来た。
なかなか頭の中の言語切り替えが出来ないのか、
「己経イージン」とか「チー〈食べる)」とか言う単語が先に出てきてしまう。
バスの中は10名になった。これが今日のメンバーだろう。いつもツアーのメンバーが替わるので面白い。
本日はかなり騒がしそうである。
しばらくするとガイドの女性が車から降りてしまった。しゃべりまくる運転手がひとりである。あちこちからツアー客が運転手に声を掛けている。
どんなやりとりなのか僕には「ティンブドン」だが、おそらく「ガイドはどうしたんだ。」「今日はガイドなしなのか?」とでも聞いているんだろう。
しばらく行くと大きな橋があった。たぶんそこも観光コースなのだろう。
クルマが広場のようなターミナルとはお世辞にもいえないようなところに駐車して、皆、運転手の後からぞろぞろと橋に向かって歩き出した。
むろん、何も分からないぼくも後をついて行く。
橋から眺める景色、とりわけ下に見える渓谷が素晴らしかった。
フト、紙ヘリコプターを飛ばしたくなった。
いつか、屋久島の登山の帰りに安房の近くに新しく架かった大橋から飛ばしたヘリコプターを思い出した。
作って飛ばしたら気持ちがいいだろうナ、と思いながら紙がないのが残念だった。
相変わらず、かの中国人は僕のそばで英語を使いたがる、どちらからですか?と聞いたら、台湾から来た。という。奥さんの方は主婦というよりは仕事人のようでメンバーのなかでも飛びぬけて垢抜けている。
バス乗り場付近には、いつの間にかももを売るおばちゃんが2,3人並んでいた。みな試食をしている。何人かが買っていた。又、バスの中で皆に配るのだろう。ミニバスツアーでよくある光景である。こうして、皆が仲良くなっていく。そして、かならずツアーリーダーがいるものだ。
9:30 まぶしい太陽の光がバスにさしこむ。周りの景色はたてよこ20X30位に綺麗に仕切られた水田が延々と続いている。また台地には棚田が美しいカーブを描いている、なつかしい日本の風景に似ている。
時計は11:00を過ぎているのにバスは小さな町をいくつも過ぎやがて山道に入っていった。運転手もよく知らないのか?時々バスを止めては人に聞いている。
だんだん道は険しく1000mは上ったように思う。
巨大なダムの工事場を過ぎ、とんでもない?岸壁に小さな坑道(トンネルとはいえない)クルマが通れるのだろうか?そこをミニバスは入っていった。
もし、こんな中で離合でもすることになったら?万一、壁がくずれて生き埋め?いろいろなことがよぎり、ほんとうに怖かった。灯かり一つない坑道を何分かかったのだろう。向こうに小さな光が見えたときは心底、ホッとした。
トンネルを出てからも怖いシーンは続いた。
左は岩壁が張り付いていて右は断崖絶壁(もう窓から下を見るのが怖いほどの)おまけに、道路がときどきえぐられているところがある。
突然!目の前に、落ちてきたばかりと思われる岩石が、ドーンと現れる。クルマをとめて、皆で石を動かしてバスは進む。皆、はしゃぎながら大声で作業しているのが奇怪いである。
間違っても自分達のクルマには落ちないものと信じているようだ。
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ここで、お陀仏になったらぼくの消息はいつ、どうやって伝わるのだろうか?バッグに名刺が入っていたっけ、パスポートはホテルに置いて来たし。
《もしもの事があればここに連絡を。》と中国語で書いたカードを作ってポケットに入れて置く必要があるナ、と思った。
中国でも最大級の規模を誇るこの織金洞(ジージンドン)は別名を地下天宮と呼ばれている。洞の総面積は約307k平方、総延長距離は12.1kmで一番広い洞は幅173m、高さ150m、東京ドームと?変わらない広さである。
ここ安順の近辺は鍾乳洞の宝庫と言った感がする。
ぼくも中国で一体いくつの鍾乳洞に潜った事だろう。スケールの大きさではここ織金洞はどこにも引けをとらないものだった。
ただ、いつも中国の鍾乳洞に行って思うのは、洞の中の色電球のケバさである。幻想的という感覚が違うのか?あれが綺麗だと思うのか?よく理解できないが、ここと言う見所に限って七色のネオンに照らされている。その前で一枚5〜10元の記念撮影が繰り広げられる。
まあケチをつけるのはよそう、素直に見事な迫力さえ感じる洞だった。特に魅せられたのは床面にいっぱい広がる黄竜の湖面と同じ蓮模様の湖である。
黄龍のようなエメラルド色の水はなかったけど石灰石が何千年にもわたって出来た自然の美は見事だった。
ホテルに戻ったのは7時が過ぎていた。
3日も貴陽にいて、未だ繁華街に出ていなかった。今夜が最後のチャンスだった。
荷物はムービーを一個だけにしてホテルのロビーに下りた。フロントにいる可愛らしい服務員に貴陽的最繁華的地方在那里?と尋ねたらニッコリ笑顔で紙に書いて教えてくれた。
大十字・小十字・噴水池 是 ルァ市区
その後に「NI 是 那 里 的?」と書いてぼくの顔をのぞいた。 ぼくはすかさず「日本来的。」と書くと、一瞬、目を丸くしていた。
「我想去坐的士。」と言ったら両手の人差し指をクロスして打車十元と言った。
9時半ごろに大十字(大道路の交差点に屋根付きの天橋が架かっている。)に着いた。その歩道橋を五段ほど上りかけたところで見知ったような女性にあった。
一瞬、誰!!こんな見知らぬ街で?と思った瞬間、相手の女も下りかかった足を止めた。昨日、一日一緒だった瀑布ツアーの女性だった。
ニッコリ笑って反対側の公園の方を指差して何か言った。
・・聞き取れなかった。分かった振りをして、ぼくは今日はジジンドンに行ってきた。今、帰ってきて、街にぶらぶら遊びに来たのだ、と言った。
ぼくの話はよく?通じたらしく、
「そうですか?愉しかったですか?」と言った。
「とても愉しかったです。でも、途中が怖くて、とても疲れました。」と答えた。
彼女はまた、ちょっと早口の中国語で何か話しかけてきた。
ぼくは良く聞き取れなかったので「ティンブドン」と言うと彼女はもう一度ゆっくり話してくれた。
ぼくは二度目も分からなかったけれどもう「ティンブドン」とだけは言いたくなくて「ソウデス対了。」と返事して、
「我明天早上6点回去」
とだけ言うと、急いでる振りをして「再見!」と言って手を軽く挙げて別れた。
喋れたら、一緒にお茶でも、と言いたいところなのに残念だった。
ホテルに帰るとガイドの張クンからのメモが届いていた。5:40にモーニングコールをします。6:10には迎えに行きます。とのことである。毎晩、寝不足になる。
我がサポーター達からもひっきりなしに連絡が来る(メールで)小燕は、明日の長沙のホテルの予約が取れたこと、スケジュールについては上午は寮で洗濯、中午は新しいホテルへ4ッ星だけど500元でいいとのこと(高いなぁ)。
下午は華天旅行社に来てくださいと細かい指示である。
実は、三回目の小荷物を鹿児島に送りたいのだけどどうしょう。時間がない。
いつものホテルが 6月10日まで長沙で全国規模の会合があって20万人の人がホテルを予約してくるので部屋代も50%アップする、との通告でキャンセルしてしまったら、本当に取れなくなってしまい華天に頼んでいたのである。かねての二日分の宿泊費にはまいった。
上海の李黎からもメールが届いた。
「慶二先生7日下午凡点到上海我去接NI。要我為NI(あなた)予定大酒店馬(マ)?」
ぼくの長沙滞在もいよいよ終わりが近づいてきた。
明日、一日長沙にいて明後日は朝から最後の観光ツアー湘南にあるチェン州に一泊ツアーに出かける。
このあと実際の行程は6月5日からchen zhouへ行き、その後上海〈朱家角)を経て僕の旅は終わるのですが、記録的には
このあと成都〜峨眉山〜九寨溝・黄龍を書き込んでいくので、その順で行きたい。
従ってこの次は成都ということになる。
5月8日〜12日へと遡る事になります。
織金洞への道は険しかった。
この景色を見ながらバスは走る。
こわい坑道をバスは抜けていく。
目の前のジープが落岩でやられた。
突然岩がバスの前に、・・
織金洞
やっと織金洞の入口へ
無事に目的地へ着いたバスと
リーダー格の?さん。
全写真拡大出来ます。