シャオシン shao xing
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2004・5・2
紹興がこんなに魅力的な町だとは来て見るまで分らなかった。
紹興は一口で言うと老街と魯迅と三輪車の街と言える。
魯迅の故郷ということだけは知っていたが、それ以外の事は紹興酒の発祥の地ぐらいしか知らなかった。
だから、着いたら魯迅記念館に直行した。壁面いっぱいに魯迅の顔の書いた記念館の前はおそらくゴールデンウイークのせいだろう。人、人、人でいっぱいである。
祖父母の部屋、父母の家、学んだ学校、子供の頃に遊んだ築山、それに、最近出来たばかりという魯迅記念館には民族魂・魯迅の字がでっかく書かれてある。
内容、特に執筆された本の一冊一冊の紹介なら、上海の魯迅公園近くに日本人に寄贈で作られた「魯迅記念館」には遠く及ばない。
また、時代時代の足跡、特に、日本留学時代の資料や内山書店(上海)の資料など、上海の記念館の方が充実していると思った。
マップを見ると、ここのすぐ近くに「太平天国壁画館」という観光スポットが載っていたの。
三輪車を捕まえ「ここに行ってくれ。」と言った。紹興の街、いたるところ、三輪車の洪水である。
三輪車用の道路か?と間違うほど、車に負けないほど三輪車が威張っている。という感じである。乗って、びっくりしたのは、「エエッ!こんな路地を通るの??」という感じなのだ。
紹興の街は昔、おそらく明の時代から清朝ごろの街がそのまま残っている地区が沢山あるようだ。
三輪車のおっさん達が写真を入れたビニールファイルを見せながらホテルの前や、魯迅記念館の前などで客引きをしている意味が乗ってみてよく分った。
市内の老街の名所に案内する写真を見せてるのだった。乗らなければ、分らないままホテルに帰るつもりだった。
肝心の「太平天国」は見つからず同じ場所に、観光名所「沈園」があった。仕方がないので降りて観光をすることにした。未だ、時間はたっぷりある。
沈園は中国の何処にでもある公園と言う感じだ。
上海の豫園の公園みいたな例の花石で囲まれた池がメインである。
相変わらず入口付近には三輪車が並んでいる。人のよさそうな年配運転手をさがす。
料金は5元から10元というところである
。魯迅路をホテルへ向かって左へ向かう所から《越王殿》へかけての老街もお勧めだと彼・運転手のおじさんが勧めるので20元でチャーターすることにした。
予想をはるかに超えた魅力いっぱいの光景が一時間ほど続いた。紹興の老街は誰にでも勧めたくなる観光スポットだ。
黄山の沌渓の老街とも、烏鎮や西糖や周庄の古鎮水郷とも違った、本当に古老街が見せ掛けでなく生活の街として生きている。
生活している人だけが2004年の人間で、器は200年前のまま、といったらいいのか、器が延々と続く。
そして、あの周庄と同じ運河には小船が浮かび、太鼓の橋もある。
越王殿を見て一度ホテルへ帰ることにした。そして、今度は夜、歩いて夕食をこの辺で食べようと思う。
途中、老街の中で紹興酒の工場というか瓶に絵を描いている所をおじさんが教えたので入ってみた。(写真上)
結局、老街のほとんどを三輪車に乗ったままで回ったことになったけど、この次に紹興に来る時はあと幾つかあるらしい老街も含めて終日「老街ぶらりぶらり」をして見たいと思う。
ところで話は余談になるが、中国一の経済都市が上海であることはご承知の通りであるが、上海で最も活躍している経済人はこの杭州から紹興を経て寧波,から舟山諸島出身の人たちだといわれている。
また故事で有名な「呉越同舟」や「臥薪嘗胆」というコトバもこの地呉の国と越の国の間の争いに素になっているのだそうだ。詳しい事は詳しい人に任せる事にしたい。
余談ついでにもうひとつ余談だが、老街の中で買った豆壷のような紹興酒(何年ものか分からなかったが)を二個買った。
紹興酒好きの中振連の事務局長の菊池さんにお土産にと思って求めたのだが
寧波から上海へもどり長沙へ飛行機で帰る際にバッグを機内持ち込みで上の二個を入れたまま検査を通ろうとしたら検査官が中を開けろと言う。
「お前はこの中には何の液体が入っているか分からない。機内持ち込みは許さない。手荷物預かりで送るか、それを置いて行け。」と言う。
「見ただけで貴方はこれが酒と分からないのか?紹興酒と書いてるじゃないか。」と抗議したが、係官は横を向いたまま返事をしない。
後もつかえているので仕方なしに又逆戻りして預けに戻った。
空港内の免税品店で酒を買った時はどうしたっけ?と考えながら再度、手ぶらで検問をくぐったのだった。
明日は寧波へ。
この写真は杭州の高速バス乗り場。
この写真は高速バスチケット売場の前
バスの中
魯迅記念館の切符売場の横。
記念館の中
魯迅が子供の頃遊んだところ。
以下:紹興の老街