九江学院日本語教師池田公榮さんの生活記録
虹の架け橋  2006・1〜

                                                           
   虹の架け橋@(平成17年3月〜 5月30日)
   虹の架け橋A(平成17年6月〜 7月30日)

   虹の架け橋B(平成17年8月〜 8月31日)
   虹の架け橋D(平成17年9月〜10月31日)
    虹の架け橋E(平成17年11月〜12月31日)
 
虹の架け橋F(平成18年1月〜2月30日)
                     虹の架け橋G(平成18年3月〜4月11日)特集・(九江学院鹿児島訪問)
      虹の架け橋H(平成18年4月00日〜5月31日)
 
     虹の架け橋I(平成18年6月07日〜06月29日)
      
虹の架け橋J(平成18年8月25日〜10月29日)
 
     虹の架け橋K(平成18年11月2日〜12月31日)
      虹の架け橋L(平成19年01月1日〜03月31日)
 

      
 
前ページTOPページ次ページHOMEページ

* 劉 健鵬 君 種子島へ……2012/06/25…
九江学院大学日本語科の生徒だった劉健鵬君が、このたび、種子島訪問を実現した。わずか一泊の交流だっが、旧知を暖め、幸いな時間をすごすことができた。劉君はいま東京農大の4回生でがんばっている。彼は農業専門の勉学を進めながら中国栽培の菊花の日本輸出の仕事にもかかわっている。

写真説明(右から)
@日本は6月は梅雨の月。庭に咲いた紫陽花(アジサ イ)のはなと劉君と池田
A種子島にある明朗幼稚園の前で劉君と池田
B種子島はロケット射場のあるところ。劉君と池田は 同施設を訪れ、記念写真に納まる(向かって右が劉 君)

池田の連絡先
住所891-3116 西之表市鴨女町154
e-mail: nkk10@hotmail.co.jp

* ひな祭り……2011/03/01…
3月3日はひな祭り
日本の習慣で女子の健康と幸せを願って家ごとに雛人形を飾り、
女の子を祝福し励ます行事。

九江のこと、何かたずねたいことがあればご遠慮なく。
私の住所と携帯・PC
姓名 池田公栄(いけだただよし)
住所 891ー3116
鹿児島県西之表市鴨女町154
 携帯 090-9497-5996
PC thike33@yahoo.co.jp

* ヨットレース……2010/05/01…
2010年5月1日
 鹿児島県山川港を起点に31艇が種子島めがけてヨットレースを行った。このイヴェントは5回目で、種子島住民の楽しみの一つとなっている。
 雲ひとつない快晴に恵まれ、程よい追い風が吹いて、各艇日ごろの腕を競った。午前6時に山川港を出発し、午前11時ごろには早くも西之表港に到着。
 海の男(女性もいたが)たちは潮風に肌を焼かれた姿で入港した。

 海の向こうでは上海万博が開幕し、大勢のひとが入場する映像を盛んにながしていた。

写真:西之表港に到着したヨット

* 端午の節句……2010/05/01…
日本のこどもの日は5月5日、国民の祝日となりゴールデンウィーク一部。
参考までに、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

 陰暦では午の月は5月にあたり(十二支を参照のこと)、この午の月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、のちに5が重なるこの月の5日が端午の節句の日になったという。「端」は物のはし、つまり「始り」という意味で、元々「端午」は月の始めの午の日のことだった。後に、「午」は「五」に通じることから毎月5日となり、その中でも数字が重なる5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになったともいう。

風習とその由来 [編集]
 こいのぼりは鯉が急流をも泳ぎ昇ると言うことから元気な子供であるようにと願い、家紋をあしらったり、水の勢いを表現する吹流しを添えて空たかく舞うさまを表現している。

 この日を端午とする風習は、3世紀の中国、楚で始まったとされる。楚の国王の側近であった屈原は人望を集めた政治家であったが失脚し失意のうちに川に身を投げることとなる、それを知った楚の国民たちはちまきを川に投げ込み魚達が屈原の遺体を食べるのを制したのが始まりと言われている。しかし後漢末の応邵による『風俗通義』では端午と夏至にちまき(古代には角黍と称した)を食べる習慣が記録されているが屈原との関係には一切言及されておらず。また南朝梁の宗懔による『荊楚歳時記』には荊楚地方では夏至にちまきを食べるという記録が残されるのみであり、ちまきと屈原の故事は端午とは元来無関係であったと考えられる。

写真は鹿児島県西之表市鴨女川に張られたこいのぼり、撮影池田公榮

* 長沙市友好訪問団歓送会……2010/03/17…
2010年3月15日
来鹿した長沙市友好訪問団のみなさんを迎え、歓送会が開催された。
雷楚珠長沙市友好協会副会長をはじめ9名の訪問団を迎えた。
鹿児島市からは国際交流課、日中友好協会メンバーなど約50名が参加した。

写真は交流会のひとこま

* 食の分かち合い……2010/03/08…
世界の食糧事情
世界の人口68億人。穀物の生産量19億トン。
以上の数字で、世界中の人が十分に食べれる。ところが、実際は地球上の約80%は食が十分でない。20%の人が前穀物の半分を独占しているいかだ。
その結果、1分間に17人の人が栄養失調状態で命をおとしている。うち12人は幼児である。1年間には1000万人ちかい人が命を落としていることになる。
このような食料分配のアンバランスは何としても正さなければならない。

 池田公榮は食の分配について幼稚園・保育園・学校・老人会などで出前の授業をさせてもらっている。

 自分たちだけが食えればよいという考えではなく。困っている人がいることを思い、募金に応じるなどの実践行動が起こるよう運動している。

キーワードシェアリング Foods Sharing
写真左:食(茶碗に盛られたごはん)
写真右:出前授業での筆者

* 流木のその後……2010/03/07…
2009年10月〜11月、台湾・福建省あたりから台風被害で山から流出した流木は鹿児島県南部、種子島・屋久島で相当数となる。海上保安庁・海上自衛隊・地域の漁船などが協力して、危険浮遊物となった流木をいったんは陸揚げし、希望者には無料贈与となった。中には台湾檜で百万円を超える材もあったようであるが、大部分は見向きもされない中で、そこは色々な人のアイデアで、2月14日は流木をつかった流木スポ−ツ大会の開催や、動物に見立ててのオブゼクションになり、地域の人々が喜ばれた。「災い転じて福となる」。

写真左:オブゼクション(入場案内)
写真中:流木から造ったスポーツ大会のメダル
写真右:オブゼクション(ペンギン)

写真はクリックすると拡大されます

* 呉越の日本旅行記8……2010/02/25…
旅先7.東京、栃木県・・・2010年(平成22年)1月22日〜26日
『富士山を見るために、新幹線の左側の席に座って東京へ』
せっかくの機会なので、中国でソニー勤務時代に、かつて大変お世話になった大好きな「オヤジ上司」と再会するため東京を訪れました。
様々な魅力を持っている東京は私が一番行きたい大都会です。ここの旅はとても楽しみでした。
まず、広く都民に親しまれている皇居前広場、桜名所−上野公園から、中国人もよく知る電気街−秋葉原、日本一とも言える洗練されたショッピング街「銀座」、それから昔ながらの風情が残っている町並みが魅力で、老舗も多く点在する浅草などまで。。。いたるところに国際都市の特色が溢れています。宮川さんのおかげで、東京で二日間の旅は足がちょっと疲れたけど、非常に楽しかったです。
『東京の旅を打ち切って、一時間ぐらいの電車に乗って栃木県へ』
豊かな植生を育み、豊かな自然のもとに古都やリゾート地などの観光資源を多数持っている栃木県は私の上司の故郷です。
最後、ここでホームステイをさせて頂き、大変楽しいひと時を過ごせました。宮川お父さんお母さんは私のことを自分の子供のように親しく扱ってくれて本当に感動しました。みんなとたくさん話が出来て、会えて本当に良かったと思います。できれば、後数日滞在してもっとゆっくり話が出来ればいいなって思いました。坂田おばあちゃんもそうです。あまり話ができなかったのはちょっと残念でしたが、このおばあちゃんと会えて心の底から良かったと思います。おばあちゃんの笑顔、親切さ、礼儀正しさはしっかり私の頭の中に刻まれています。本当に旅の最後の最後まで幸せでした。その幸せは中国へ帰った今でもいつも脳裏に浮かんできます。
印象的な出会い:坂田おばあちゃんとの出会い
観光スポット:皇居広場、秋葉原、上野公園、銀座、お台場、フジテレビ局
       浅草、有楽町、アメ横、東京駅周辺
       日光市、鹿沼市、宇都宮
宮川オヤジとお母さん 

旅先8.東京ディズニーランド・・・2010年(平成22年)1月26日
『新幹線で宮川お母さんの手作り幸せな朝ごはんを食べながら東京ディズニーランドへ』
私は情厚く涙もろい人で、宮川お父さん、お母さんと駅で別れた時、一人で新幹線の中でこっそり泣いてしまいました。みんなにいろいろとお世話になり、言葉が出ないほど感謝しており、ついに涙が止まらなかったのです。
東京ディズニーランドは、この一ヶ月の旅で最後の場所です。最後の最後まで良い天気に恵まれ、お姫様の気分で楽しい一日を過ごしました。
みんなのおかげで、私の旅は順調で無事に終わりを向かえ、27日にたくさんの方々えの感謝の気持ちを持って成田より無事に中国へ帰りました。

皆様、色々とお世話になり本当に有難うございました!!

写真左:東京デズニーランドで
写真中:日光東照宮 徳川家康
写真右:浅草雷門の前で

* 呉越の日本旅行記7……2010/02/25…
旅先6.名古屋、豊田市・・・2010年(平成22年)1月16日〜21日
『初めて日本の新幹線を体験して名古屋へ』
まず新幹線の費用に驚きました。京都から名古屋までの距離は上海から蘇州までと同じだけど、その10倍以上の差は本当に中国人の私にとってはびっくりです。
名古屋市は、400年の歴史と伝統の上に築かれた中部圏の中心都市です。金シャチが輝く名古屋城、徳川園などの歴史文化や産業技術記念館が多数あり、また、最近話題になっている「名古屋グルメ」は、きしめん、手羽先、味噌煮込みうどん等バラエティー豊富で様々な名古屋味も満喫しました。観光、工業都市として多彩な魅力を持っている名古屋で仕事がしたいなと再び思っていました。
名古屋で一番感動したことは糸賀さんの家を訪問したことです。糸賀おばさんは中国の旧満州で生まれて、戦争後日本へ戻ってから一度も中国へ行く機会がないということでしたが、家族みんなが中国のことに非常に興味を持っています。私が行く前に、みんなは中国語で「ニーハウ」を練習したことを聞いた時、私は感動しました。突然の訪問にもかかわらず、快くお相手していただき、また美味しい料理をご馳走になり、プレゼントまでたくさん頂いてしまい、言葉も出ないほど本当に感謝しております。糸賀おばさんとおじさんはこれからどんどん年をとっていきますが、この恩に対して、いつかみんなを中国へ招待できたらいいなと常にいつも思っています。
名古屋を観光して、買い物等をしてから、電車に乗って豊田市へ向かいました。
豊田市といえば、トヨタ自動車が本社を置く企業下町として知られています。今回のトヨタ記念館と本社の訪問を通じて、トヨタ自動車の発展の一旦を垣間見れたことは私にとって大変貴重な異文化体験でした。私は、以前、中国のソニーで勤めたときに生産革新の担当をしていました。生産革新というのはトヨタ生産方式を習っていて、社内でいろいろ改善をする部門です。より良い会社を作るために、現在ではトヨタ生産管理方式を勉強する会社が多くなってるそうです。トヨタ記念館へ行って、壁に貼ってある生産革新の言葉が再び脳裏に浮かんできました。私も改善リーダーとしてここへ来て本当に良かったですね。
印象的な出会い:糸賀さんのご家族様
観光スポット :名古屋城、大須商店街、東山スカイタワー、東山動植物園、トヨタ産業技術館、栄中心街、オアシス21、中日ビル、名古屋テレビ塔、名古屋大学
料理:味噌煮込みうどん、手羽先、きしめん
  糸賀ご一家  
写真左:お世話になった糸賀さん家族と共に
写真右:豊田自動車展示場で

* 呉越の日本旅行記6……2010/02/25…
旅先5.奈良、京都・・・2010年(平成22年)1月15日〜16日
『電車に乗って生駒山を越えて奈良へ』
ちょうど今年は平城遷都1300年を迎えるにあたり、日本の心の故郷の伝統と思いを伝え続けてきた奈良の地は、歴史の時を刻みながら、明日へと長い時間の旅を続ける文化であることを実感させられました。
この日は京子さんと久しぶり再会できたことがとても楽しかったです。たくさんのところを案内してくれてみんなで楽しいひと時を過ごしました。井村先生は用事があるので来られなかったことがちょっと残念ですが、先生から大切なお土産をもらい、嬉しくて感動しました。
夜、生駒聖書学院の女子寮に泊まったことはいい体験になりました。特に、栄先生と出会って、先生にいろいろ教えていただき、大変勉強になりました。またいろいろお世話になり、本当に感謝しております。
翌日、池田先生が用事があるので、先に鹿児島へ帰られました。奈良で先生と別れ、胸がいっぱいで感謝の言葉が出ずに一人で京都の旅へいきます。
まず、電車に乗った時、大損してしまいました。日本の電車は特急券、乗車券、指定券があります。
特急電車に乗る場合に乗車券以外に特急券が必要です。もし、指定車両に座ったら指定券も必要です。私は特急電車の指定車両に座りました。だから、他に特急券と指定券を払いました。このような異文化体験は本当に勉強になりました。中国へ帰ってもたくさんの友達に話しました。
京都の旅は私は一人でしたが、日本語が出来るから、挑戦する勇気と自信を持っています。
でも、いろいろあって、繁華街と駅周辺しか見れません。もし時間が許せば、いろんな観光スポットを訪問して見聞を広めるのも良いことだと思います。
歴史と文化そして景色と3拍子そろった奈良と京都の旅に大満足でした。
印象的な出会い:生駒聖書学院、栄先生
観光スポット :唐招提寺、東大寺、奈良公園、奈良歩行街、
        京都
京子さんと再会

写真左:京子さんと。鑑真の唐招提寺前
写真右:京都駅

前ページTOPページ次ページHOMEページ

*KIWI*Skin Designed By くるの猫又
- Topics Board -