少林寺・中岳嵩山shaolinsi songshan
白馬寺・中岳廟
2004・5・18
東西南北と中央の聖山のそれぞれをつかさどる道教の神。道教での地位は高い。
東岳
大帝(泰山)、西岳大帝(華山)、南岳大帝(衡山)、北岳大帝(桓山)、中岳大帝(嵩山)の五帝で、東岳大帝が五岳の首となる。
東岳は人の命を、西岳は金属を、南岳は水棲生物を、北岳は大を、中岳は土地山川をそれぞれ司る。

                  五岳について。



               
7:30 司机の趙さんと一諸の朝飯を食べ僕は彼のでっかいマイクロ車に乗って少林寺のある嵩山へと向かった。

  華天の小燕が作ってくれた日程表によれば、今日の見学地は
       道教・中岳廟・・・中国最古の道教廟
       嵩陽書院・・・・・古代四大書院の1つ。
       少林寺・・・・演舞庁
       塔林・・・・少林寺の歴代和尚の墓地
       白馬寺
・・・・中国天下第一寺 
      ・・・・・洛陽        ・・・とある。
 今度の「中原ぶらり旅」は僕としては珍しく事前の旅プラン無しの行動をとることにした。具体的に言うと、今までの旅の場合、行く先々の観光地の詳細を「地球の歩き方」などで、よく調べ、所在地を含め穴場なども、そして、名物や土産品も事前リサーチするのが通常の僕のパターンであった。

 今回は何故か?何もしたくなかった。今日の場合も1つのキーワード《少林寺》だけ知ってて、見学し後は鄭州には戻らずにそのまま洛陽に行く。

・・・それだけだったので小燕のいろいろ考えて立ててくれたプランにはあまり関心が無かったのが本音である。・・・・というより、中国に来てから、あまりのお寺参りの多さに、いささか食傷していたというのが、本音かもしれない。

 ホテルに戻ってから土地の「旅行地図」
どこでも大体、5元。これだけは必ず買った。を眺めて足跡をたどった。これも、今までとは逆である。

 各スポツトの説明は勿論すべて中国語だし、おまけに今説明を受けているところがどんなところなのか?予備知識も無いわけだから、司机の趙さんも、一生懸命説明してても本当は張り合いがないのだが、そこのところは、僕の演技力でカバーした。

 言葉の最後の単語をオーバーにリフレインつまり繰り返すのだ。
 例えば、年代が分ったとすると、すかさず

    「オゥ!!3580年前ですか?」 
          「
オゥ! サンチェンウーバーニェン イーチェンマ?
 又は「オゥ!真的? オゥ ジェンダ マ?」

あとは、合間合間に「対 
 トイ、対了 トイラ」とか、返事を入れれば
よい。
 ときには「明白了馬?」と、くるのでこれは簡単である「明白了!」

司机のジャン(趙)さんは大いにご満足の様子なのである。

又、感心するほど彼はいろいろと詳しかった。ときには本当の正式ガイド(胸に写真入カードをぶら下げている)の説明を聞いてる中国人観光客さえが彼の説明の方に鞍替えしてくるぐらいだったから。

それにしても、《中岳廟》は中国最古の道教寺ということで、面積は37万平方メートルで殿堂や楼閣などを合わすとその数400を越えるというとても立派な廟でした。

 中には巨大な、今まで見たことも無い大木がいくつかあった。彼がひときわ熱の入った説明をしてくれたのだが分らなかった。 一応、大いに分った振りをして
「オーオー ミンバイラ!!」、慌ててデジカメを構えシャッターを切った次第。ツライデス

注:帰ってから本で調べてみたら、この古木は《中岳廟》二あるのではなくて、崇陽書院にあることがわかった。

 崇陽書院は宗(960〜1279)の時代に作られ、儒教の四大書院のひとつだった(以前は仏教と道教の寺院でもあった)その他の書院は湖南省・長沙市の岳麓書院と江西省にある。

 注目すべきは2本の古い柏の木だ。これらの木は紀元前110年に嵩山の登った漢の武帝によって、大将軍と二将軍の位を授けられたとされる。
中岳廟はそこから北東、嵩山で最も高い峻極峰に登る途中にあるらしいことがわかった。どうやら我が司机のジャオさんは先に《中岳廟》にのぼりまだ上に行こうとしたら階段の登り口で一人の老夫人に行く手を拒まれたんでした。

 「ここから上は工事中で上がれません。」と言われ。
いまここに嵩山・少林寺のマップが無いのでそのとき書き込んだであろう足跡がわからない。


故宮を真似て作られたという峻極殿はとても素晴らしく、変わっていたのは石造りの亀が石碑を背に乗せたのがあり、外国人観光客がパチパチ写真を撮っていたので真似をして写していたら、すかさず、わが司机のジャンさんが傍に来てながいながい呪文が始まった。

  
「3”$%&’((”~=)(’’&%$###&’)()($%%#??」

お恥ずかしい事に、疲れてくると、僕の聴能力も初心中国語学習者とかわらなく、呪文に聞こえてくる。


さて、少林寺での昼食は何処で食べたか、説明がしにくい。
  不思議な体験だった。

最初、割りと大きな食堂ホールに行ったけど、そこから別なところに案内された。西洋人が20名ほどチェックインしようとしているフロントのようなところの横の小さな入り口を入ったところにある小部屋と言った感じの場所だった。

まさか、ホテルの食堂でもあるまいし、
 それにしても、ここがホテルだとしたら2星クラスだろう。

司机のジャンさんは結構慣れた感じなので初めてではないのだろう。食事はセルフになっているが、客は4,5名、この付近の武術館で修行しているような外国人青年など、セルフといっても、おかずの種類は4種程度、・・・・どうみても、一般客相手の食堂とは思えない。

 ・・・そんなわけで、ここでの昼食シーンがとても鮮明に残っている。
司机のジャンさんに理由を訊けば分ったのでしょうが・・
この時の僕の脳神経は語学サイトが麻痺していたので訊く気にならなかった。
 もちろん、とてもまずく、ほとんど手をつけずじまいだった。

演舞場での工夫(コンフー)は圧巻だった。
 本当はあちこちにある武術館で少年たちの稽古シーンを見学したかったのだがショー化されたのもここでしか見ることが出来ないのでワクワクして約1時間余りを堪能した。

 VTRにしっかり写っていた。もちろん、カメラは膝の上に置いてステージは目でしっかり観ていた。

 上海雑技などでクルクル回ったり、身体の間接をはずしたりは観ていたが彼らの工夫は違った迫力のあるものだった。

 司机のジャンさんが塔林を出た時に僕に言った。
  「白馬寺は明日の予定になっていますけど、もしよかったら
 洛陽(ローヤン)に行く途中なので今日イクドウデスカ?」

 うかつにも僕はその名前を今初めて聞いたのである。
 「バイ マー スー?ゼンモヤン?」白馬寺って何ですか?

 彼は小燕から、届いていた「旅程表」を指差しながら
 「ココニ、(写)カイテアリマス・・・白
バイマースーです。」

・「当然(ダンラン可以(カーイー)!」いいすよ!


・・・・白馬寺については、そのような訳で実はよく知らない。案内役のジャンさんも、ここの入場口で案内入場を拒否された。30元かの入場券が必要とのことで、僕もあまり興味がなかったのと、もう呪文の案内に辟易していたのでジャン氏には「スグ見てきますから、30分ぐらい、ゆっくりしていてください。」と言って中に入った。

 しきりにジャンさんが「第一次ディイーツー」と言うので、何かが一番なのだろうぐらいの感じだったけど、本当は中国で最初に建てられた寺院だそうだ。
 インターネットで捜して、どなたかの説明を拝借した。


・・・・・・・・
洛陽郊外15`の所にあるこの白馬寺は中国で最初に建立された仏教寺院であると言われています。白馬寺は後漢明帝の永平11年(68年)天竺から仏典を白馬に積んで来た2人の僧侶を開祖すると言う。山門の両側には、2頭の白馬の石彫があり、境内の東西に、高僧(竺法蘭と攝摩騰)の2人の墓があります。2人の高僧は沢山の経典を持ってやって来ました。

注:実は別な旅行本の説明ではこんなことが書いてありました。
 参考に転記してみます。

・・・・・・中国最初の仏教寺院とされる白馬寺(バイマースー)は、洛陽の東10km地点に立つ。この寺の起源についたは興味深い逸話が残っている。

 後漢の時代の紀元64年、明帝が宮殿の前の空を神が舞っている夢を見た。占い師に夢の解釈を尋ねたところ、それは仏陀に違いないという答えが返ってきた。

 そこで帝は二人の僧侶をインドに送り、仏教の経典を持ち帰るよう命じた。数年後、二人は二頭の白い馬に乗り,経を抱えて戻ってきた。
これが中国に初めてもたらされた仏教経典であるとされる。
 経典を保管する為に寺院が建てられ、2頭の馬にちなんで白馬寺と名づけられたというのである。
 
 現在残っているのは後世に建てられたものだが、寺院には1世紀まで遡る事の出来る歴史の記録が残っている。内部には二つの墓があり二人のアフガン僧が永遠の眠りについている。・・・・・



白馬寺と言う寺名については諸説あり、正確には解らないようである。地名説。白馬が佛典を乗せて来たので、それにちなんだ命名とかいろいろあるようだ。
 洛陽に白馬寺が建立された後、各地にも同名の寺が造られたと言うことである。長安にも建康(南京)にも白馬寺と称する寺があったそうだ。

現在の白馬寺は明の嘉靖年間(1522−1566)に大修復され、清代にも1度、解放後の(1961年)にもあったようである。 

本堂には(経幢)円形の石柱に佛号・経文を刻んだものと、元代の碑刻は共に芸術性が高いと言われている。境内には天王殿・大仏殿・大雄殿と言った伝統的な四合院形式による建物が歴史を感じさせてくれる。

 大雄殿の東西に元代に彫られた18羅漢像があり、白馬寺観光の中心的なスポットと感じた。

東側に金代の大定15年(1175)建立の斎雲塔と言う石塔が建つている。四角13層、高さ24bでこの寺院のシンボル。馬寺鐘声・『洛陽八景』の一つ。明朝・嘉靖34年(1555)の鋳造で重さ2,5d。

 面白いことに、この鐘の音にこたえて洛陽東門にある鐘も共鳴すると言う。二つの鐘の周波数が同じなので、こういう現象が起きるそうでである。ここでは「馬寺の鐘音、西にこだます」と言われている。

         

          丁寧な説明に感謝!!
 白馬寺の見学は久々に説明役に気を遣わなくて(はっきり言うと演技をしなくていいのと)寺院が古い割には綺麗に維持されているのと、これは、何と言ってもいいのは、階段があまりない、全体が平地で公園のような感じがしたりで、とても快適な?お寺だった。

  さて、メモに書かれていた今日の経費(入場料)は・・・
     
     少林寺入園料                150元
               
とても高いと思いました。  
    食事(昼)                    40元  
           とても高いと思いました。 
    土産に買ったTシャツ(5枚)        160元 
     骨筋肉痛用薬                100元
     達磨和尚の写し絵(松間さんに)      20元




 洛陽までの道路はほとんど高速を通ったような気がする。高速の出口で30分ほどのハプニングが発生。高速の料金支払い所で一台の小型トラックが出れずにいる。

 小柄な男が何やら紙切れを振りかざしながらわめいている。中からは、それを否定するような返事。

とうとうトラックを降りて詰め寄る男。

 助手席から彼の奥さんらしい人も降りてきて、二人で抗議。
 相手にしない事務所側。


20分ぐらい、クラクションを鳴らし続ける我が司机のジャオさん。
だんだんエスカレートして行く喧嘩。

 司机のジャオさんがとうとう車から降りて行き怒鳴り始めました。
  「なにやってるのか知らんがあんたら、ここでやりあわんで
  横のほうでやったらどうや!車がよけいならんどるのがわからんか!!このアホども!」
 
 今度は、トラック男と司机のジャオさんの言い合い。が始まる。

  とまあ、喧嘩の場合は中国語も、カタカナ日本語も合わない。
 何故か?関西弁・・・・・・・・・・。
 30分ぐらいしてやっとハプニングは終わった。

まだ日の高い4時過ぎには洛陽の街に入ってきた

洛陽のことについては次の洛陽(ローヤン)編で書くとして
ここらで少し小休止
《休息休息!一点点》

*旅も何日か続けているとホテルでの少々のトラブル(不都合な点は余り、気にならなくなってくる。たとえば、TVが点かなかったりすると諦めて観ない(観たくて点けるのではないので)。お湯のポットが故障していたらミネラルウォーターの「アハハ「」で間に合わしてしまう。

お風呂のお湯にしても出さえすれば少々ぬるかろうと、湯量が少なかろうと、おかまいなし。

 暖かい季節のせいもあると思うけど、不思議なもので、浴槽のないシャワーだけのホテルを続けて経験してしまうと、たまに浴槽があっても、何だか湯を貯めて入るのが気持ちが悪くなってくるから不思議なものだ。
 
 上海や長沙市の三星ホテル(四星に近い)だと連泊すると、ベッドシーツなどを新しく変えてくれるけど、地方都市の三ツ星クラスになるときれいに掃除はしてくれてもシーツや洗面用具もそのままというところが結構多い。

 たいていのホテルはベッドサイドに電灯のスイッチがセットされているがそのすべてのスイッチが100%機能しているところはなかった。もっとも、全部のスイッチをわざわざチェックするような客も珍しいと思うけど。

 どこかのホテルで浴室のなかにインターネット接続端子(電話線)が説明つきで付いていたのにはビックリした。

 一人で三ツ星ホテルに泊っているとたいてい按摩・足マッサージの誘いの電話が入る。いや、二人でも同性同志だとかかってくるのかもしれないが。慣れないと注意が必要だ。言葉が通じないのでアンモアという言葉だけで、「ハイ、ハイ」と言ってしまうと、数分後、ドアfがノックされ、開けると、そこに立っている怪しげな小姐の怪しげな微笑に一瞬!「あれーっ!!」・・・と、いうことになる。

 それはそうと、昨夜頼んだ按摩(正真正銘の)小姐はうるさかった。
年は18歳,名前は李とか言ってた。ホテル内の美容室からの出張とか、とにかくよく喋りまくる。次から次へとローヤン弁ではなしかけてくるので按摩の気持ちよさに浸っておれない。

 おまけに力が弱い。お前、本当に、「アンモア小姐??」と言いたくなる。1時間60元が勿体ない。
 市井の中国人と話す機会の少なかった頃は《生きた中国語会話編》とばかりに、いろいろ話をし、ときには、按摩中にメモをとりだし、漢字で筆談をしあった頃がなつかしい。

 明日は朝、7時に司机のジャオさんが迎えに来る。

 明日は
龍門石窟と洛陽博物館それに関羽の首塚のある関林堂を観光することになっている。

中国の五岳
道教のシンボル瓢箪とマーク
鄭州市中心に立つ二七記念塔
この写真は昨日の分の忘れ物。
歩行街入口
洛陽の歩行街はとても暗く、さびしいところでした。
歩行街入口にあるマックのアイスクリームボックス
おしゃべり按摩小姐
晩御飯のラーメン
歩いていった先に空海の像を見つけました。
次の日の龍門石窟西岸でも日本人の書道を
見ました。
白馬寺へ行く途中の高速でのハプニング。
これは塔林です。少林寺の和尚の墓。
今、持っている武器は30キロぐらいあります。
ホント。
ソンシァン
嵩陽書院にある2本の古い柏の木紀元前
110年に漢の武帝から授けられたとされる。
シャオリンスー
全写真拡大出来ます。