Pu Tuo Shan
海天佛国
中国仏教四大聖(名)山のひとつ。
   他は五台山・峨眉山・九華山。
●全ての中心に大慈大悲の女神、観音菩薩が鎮座する。
●普陀(プトゥオ)は「観音菩薩の住む山」を意味するサンスクリット語のポタラに最も近い中国語である。
チベットのラサのポタラ宮殿にある観音菩薩とはよく似ている。

観音について     日経・ガイドブック 
             the national geographic travelerより。
  観音は衆生を救うことを本願とし、中国では普陀山に鎮座している。キリスト教にとっての聖母マリアと変わらぬ,深い慈悲の情けを備えている。
 
 観音は菩薩、あるいは未来仏で、中国全土で長い間信仰されてきた。
 女性の振興が特に強く、とりわけ子宝を願う人の信望を集めている。
 しかし、人々の求めに応じて様々に姿を変えるとされている。

 千本の腕を持つ千手観音もよく見かけるし.蓮の花や飲み物が入った杯をもっている肖像もある。

 観音の性別についてはハッキリしない。観音菩薩には性別はないとする意見もある。
 もともと男性だった観音に女性の資質が授けられたようにも思える。初期の頃の観音があきらかに男らしく見える特徴を備えていることは間違いない。
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さて,いよいよ今度の旅の一番、楽しみにしていた普陀山行の日が来た。
 不安もいっぱいである。
 その第一は、このゴールデンウイークの時期に果たして、日帰りが出来るのだろうか?ということである。
 もし、帰れなかったら島に泊まらなければならない。
 ホテルは寧波の四つ星を予約してるし、万一の場合宿泊費300元が無駄になるのだから。

 朝、ホテルのフロントで行く方法を聞いて来たけど、ホテルのフロントは必ずしも当てにならないことは、昨日のタクシーチャーターでも立証済み。

 普陀山行の舟はすぐそばにある寧波港から乗れると言う。


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 日経・ガイドブック 
         the national geographic travelerより。


普済寺(ブージースー) 1:30〜2:00頃
  フェリーが港に到着したら、左方向に木立をぬけて北にむかって普済寺(ブージースー)へ。この辺りが島の中心にあたるので、小さなホテルやお店、レストランが集まっている。
 
 北宋時代に創建された寺院の正面には蓮の池があって、本堂の(大雄宝殿)の釈迦像の周囲には、いたるところに観音菩薩の姿が見える。

 寺院の南西に多宝塔(ドゥオバオダー)が建っている。ここは元朝時代の建造物で仏象で飾られているので有名。


 
仏頂山(ホーディンシャン) 2:30〜3:30
普陀山の東側、千歩砂海岸の北に、仏頂山の斜面にしがみつくように法雨寺(フォーユイスー)が建っている。

 
35元出して索道(スダオ)つまりロープウェーに乗る。
島で二番目に大きい慧済寺(ホイジースー)がある。

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 港まで歩いて10分もかからない。船のチケットを買う。出航は10:00だそうだ。今、8:50分、なんと、この港で70分も待つことになる。A型日本人である大石はこういう時間の過ごし方が大嫌いである。

 待たされるのが嫌いと言うわけではない。例えば飛行機の到着が、出発が1時間遅れる、といっても別に気にならない。避けられたのに、といった失敗が気に入らないのである。

 それならそれでホテルでゆっくりしてから出てきたのに、
フロントで船の出港時刻表ぐらい準備しておけば良いのに、と思う。
 いや、そういえば聞くことは聞いたんだった。
 「到普陀山的船的時刻表、有没有?」
 答えがチンプンカンプンだったのだ。
発音の問題?だったのか、相手の耳に欠陥があったのかさだかでない。

でなければ、港に電話して、何時出航か問い合わせてもらえないのか、とか。此処は日本じゃないんだ。

 何とか切符は買ったけど先行き不安、やはり、李黎に残ってもらえばよかったのか。李黎も、今、前の仕事を辞めて、目下仕事探しの最中なので忙しいらしい。
 買った切符にはこう印刷されていた。
  
         寧波 →普陀山
       2004・5・4  10:00 開車
                 11:20 開船
          票銭       58.00元


 
バスの出発が10:00、1時間20分バスに乗って、港に到着
もう、かなりのおんぼろバスだった。道が悪いのかと思って眺めると、アスファルトのハイウェーじゃないか。

 タイヤに空気が入ってないのかもしれない。ときどき激しい衝撃が走る。バスが飛び跳ねているのだ。横をハイヤーが滑るように駆け抜ける。

 時計をみて驚いた!何とこのぼろバス、時間だけは正確!
11:15分に大木射港に着いた。
海馬1号が待っていた。

 およその航行時間は40分という。船代は120元である。
 他の船の4倍速いというから、値段もそこそこかかるのか?

船の中もこの時期、満員だった。
 普陀山の港も案の定、人の波、杭州の西湖といい、GWはすごい。
 写真をみるとかなりあちこち回っている。そうそう、入山料は30とも40元ともかいてあるが、僕が実際に払った金額は門票代、130元とメモされてある。GW特別大貴了料金だったのかな。

 独りでのぶらり周遊というのは自由は自由なのだが、なかなか踏ん切りがつかないものである。例えば、休憩、食事、乗物
本来ならそうしょうと思ったときに自由に出来るはずなのについ過ごしてしまう。

 性格もあるのだろうが僕は連れがあるときの方が決断が早い。「腹減ったね、今、食べませんか?」「チョッと、休まない?」
 何かにつけてメリハリがある。

これが独りだと、夢遊病状態になってしまう。「腹もへってないようだし」「何処で乗ろうかな・・」
 優柔不断そのものである。

 そういえば30年以上も前になるが、あの大阪万博の時は独り周遊だった。歩き回って、食べ損なって浮遊状態に近かったのを思い出す。

別に今日がそうだとは言わないけど、ずらりと並んでいる露天の食堂の店先に美味しそうな海鮮(日本的魚類、エビ類が)泳いでいる。値段も安そうだ。

時刻も昼時期である。まず食べてから周遊もいいのでは、と思うけど踏ん切りのつかないまま周遊バスに乗る。

 地図を片手に行く先の書いたバスをさがす。
 結局、左の写真のような順番で1時半から5時頃まで、足の向くまま気の向くまま、回った。食料は何を食べたのか覚えていない。と言うのは嘘で何処かのお寺の道沿いにある大きそうな且つ、ごく平凡なレストランに入って食べた。麺類でビール込で30元ぐらいだった。
 又今夜、寧波の日本料理店で寿司でもと思った。
 もう、身体がくたくただった。
 百歩だったか、千歩だったか忘れてしまったけど、平凡な海岸で砂の上に寝転がって5時の時報を知った。

 これから帰ったら6時半にはホテルに着くかな?そんなことを考えていた。この海の向こうは吹上浜と対面してるのかな、とそんなことを考えていた。これから起きるとんでもない事件のことなど知る由もなかったのである。

 プロローグは帰りの船切符売場から始まった。
 着いたとき帰りの分を買っておけばこんなことにはならなかったのに、なんと!
 「帰りの切符は一枚もありません!」だと、
 「なに!帰れない!どうしよう。ここに泊る?冗談じゃない、
 寧波ノホテルはどうする?キャンセル?まさか?」
 
 ふと海港の方を見ると何艘か連絡船が係留されている。かって屋久島から船に乗れずに貨物船の乗せてもらったことが頭をよぎった。
 「ヨシ!当たってみるか。」

 1艘の白い古そうな船に観光客らしい人たちが足早に歩いていくのが見えた。
 「ヨシ、あれに、乗せてもらおう」
 乗組員らしい人たちに聞いてみた。

 「この船、ニンボー、イキマアスカ??」と、すると是!是!
 速く乗れ!と言う。「まあいいや、観光客が一杯乗っていると言うことは、帰りの高速船「海馬」に乗り損ねた人が乗ってるんだから大丈夫だろう。と船内に入った。

 窓は頭の位置にある。ぼろのシートが並んだ、北の工作船よりちょっとましな船だった。

 幾らかと聞くと15元だという。どれぐらいかかるか?と聞くと
1時間ぐらい。と答えた。
 「なんだ、結構、早く着くじゃない。性能(馬力)が良いのかもしれない」
 テレビも一応着いているところをみれば、貨物船じゃなく、ちゃんとした連絡船なんだ。とホット胸をなでおろした。

 今、5時45分、ボロ船に乗ってのお帰りである。
 僕の横に巨大な男が割り込んできた。僕は窓側、といっても窓ははるか頭の上にある、の方へ押し付けられた感じになった。えらいことになったものだ。船は満席になっていた。

 来たときの快速船がうらめしい。6時になってもまだ出航しない。いや、もう走っているようだ。何も分からない。

横の大男は眠ってしまい両足を思い切り広げてきた。最悪!

6時半、突然、船が止まった。
 人々の動きが慌しい。
 
「なに!もう着いた????????」
  「30分も経ってないじゃないか?」

船が着いた港は普陀山の隣にある朱家尖島という島の港だったのだ。それからバスで舟山島に渡りそこの港から寧波の港に又船で渡るのだという。
   
「帰り着くのは一体、何時???????」

すぐバス乗り場を探したが見つからない。辺りはもうかなり暗い。それらしい場所にいた男の人に事情を話すと、
 「もうバスはいない。早く行かないと舟山〜寧波の船も終わるカモシレナイ」と言う。不安は募る。ものごとが悪い方へ悪い方へと流れているようだ。

 「タクシーはないのか?」
 「アルヨ」「幾らぐらい掛りますか?」「200元でボクが交渉シテアゲマショウカ?」と、男が言う。「100元で頼んで欲しい」
 「ソレムヅカシイトテモトオイ」男は携帯電話でタクシー運転手の知り合いと交渉してるらしい。

 「150元可以(イイトイッテイル)」
 多分、実際は6:4ぐらいでこの男と分け合うに違いないと思ったけど、仮に50元負けさせたところで日本円で700円ぐらいのものだ。親切に対するチップと思えば安いものだ。
 そう考えて「明白了!オネガイシマス」

30分間のタクシーの中は無言でいろいろなことが頭に浮かんでは消えた。見知らぬ島の、見知らぬ町の、見たことのある看板やファーストフード店が走馬灯のように現れては消える。
 結構、タクシーはスピードを出してくれているようだ。

 早く、港へ着いてあげようと、タクシーの運転手もボクのために努力してくれているような気がする。
 やがて目の前に大きな駐車場が現れ、その先にでっかい、大型フェリーが目に入った。

 やれやれ、とふっと力が抜けた感じだった。大ジョブネ
 フネマニアッタ ヨカタネ(このコトバは中国語の翻訳)
 運転手のぐっと前に出した左手親指のOKサインがうれしかった。まるで、二人でラリーに出て優勝したような気持ちだった。

 8:00頃に無事、寧波の港(こちらではなぜか馬頭マァトゥという)についた。

 タクシーで市内まで130元だという。
 「バスで行く」と言ったら「幾らなら出せるか?」と言う。「70元なら」と半額を言うと「バスでも60元だぜ。」と交渉人のことば。
 すぐ横に面包車(ワゴン)のようなボロバスがいた。車掌らしき女にネイハまで幾らか?と訊くと、〈15元よ」と答えた。

 「普陀山の帰りは、なんで乗物の交渉が多いんだろう。」
 そういえば、観音菩薩への拝礼をほとんどしないままあちこちの寺院をぶらついた罰が当たったのかも知れない。

 おんぼろバスは15人のすしずめ状態で朝来た道と同じ市内へのハイウエーをがたがたと音を立てながら走る。

 約1時間、9:20分頃に市内に到着。タクシーを拾って(8元)やっとホテルに着いたのは9時40分だった。

 もうすっかり疲れてしまった。
 美味しそうなあの普陀山のわたりがにも伊勢海老も食べたかったけど、結局、今夜の晩餐はケンタッキーのチキンセットだった。
この後上海経由で長沙に戻り、ひと月間、新たに「ぶらり旅」に出ました。 
そして、今度の旅の終わり行った
朱家角を紹介したいとおもいます。
 日本に帰る6月始めの旅でした。多分、スグ書かないと思います。写真だけ載せておきます。
 
多宝塔(ドゥオバオダー)
普済寺(ブージースー)
北宋時代に創建された寺院の正面には蓮の池があって、
此処を通るとき入山料40元を払う。
普陀山
横の大男は眠ってしまい両足を思い切り
広げてきた。最悪!
何故か満月
船が着いた港は普陀山の隣にある朱家尖島という島の港
2晩泊った金港大酒店
百歩だったか、千歩だったか忘れてしまったけど、
2004・5・4