JIUZHAIGOU
2004・5・11
"華天假期”成都九寨溝峨眉山楽山精華遊行程安排
5月8日(第一天):長沙乗機CZ3461(12:10/13:40) 赴成都(不含餐) 武候祠・杜甫草堂 星宇大厦住
5月9日(第ニ天):早餐後乗車赴楽山・遊楽山大仏・凌雲寺・海師洞・九曲桟道・ 住:峨眉山
5月10日(第三天):万年寺・清音閣・白龍洞・一線天・野生猿区・回成都(不含晩餐) 星宇大厦住
5月11日(第四天):綿陽・江油・平武・九寨溝・蔵族風情 九寨溝口住
5月12日(第五天):全天遊九寨溝:樹正溝・日則溝・則査窪溝・等三大景区 (溝内中餐為路餐)九寨溝口住
5月13日(第六天):九寨溝乗車赴黄龍・ 茂懸住
5月14日(第七天):前往成都 返長沙 結束愉快旅程!
実際に九寨溝を訪れるまではテレビや写真集で紹介された風景を自分の頭の中で想像して、あたかも実際に行ったかのごとく擬似体験をしていた。位置関係も仮想のイメージなのだがまるでそれが現実だと思っていた。
しかし、実際に訪れてみてぼくの仮想は見事にひっくり返されることになったのである。
まず、高さである。お恥ずかしいことに地図上(平面)では成都から見て九寨溝の方が上方にあり、黄龍は途中にあるので九寨溝の方が高いと錯覚していた。
確かに黄龍は松藩経由だと九寨溝に行く途中から右に折れたところに位置しているが綿陽経由で行くと成都から460km、平武から白河の峠を越えて行く。
途中の峠が4000mなので九寨溝は峠から随分と下っていったところににあることになる。
つまりここがイメージする時大事なことなのだけど実際行って見るまでそこまでのイメージは働かなかった。
つまり、九寨溝旅遊の出発地点は文字通り溝(谷底)なのである。溝口(2008m地点)からスタートである。
それでは何処が一番高い山かといえば、この九寨溝を地図上で成都の方へ帰る途中にある川主寺から右へ、つまり黄龍への途中の峠(3840m)から見える雪宝頂(5588m)である。
ぼくは長年、自分の頭の中で固定化されていたイメージを修復するのに手間取った。11日のバスの中では5元で買った《九寨溝・黄龍旅遊マップ》を広げてバスの進行と現在地を地図上でチェックしながらの仕事に没頭していた。
翌12日の黄龍旅遊の時も同じ作業を進め、やっと今では新しい、コレが本当の九寨溝・黄龍旅遊マップが頭の中で完成した。
黄龍は入口付近で3100m、一番上(奥)にある五彩池で3858mである。
ちなみに九寨溝のほうは入口で2008mで一番奥の原始森林では3400m、 いわゆる山間の谷底から一番奥の原始森林まで32km、バスを利用して1時間30分かかるのである。
黄龍は1時間ほど歩いて上まで行き、九寨溝はバスを上手く利用して(何度乗っても無料)行きたい池(海と言う)を回る、といった観光といえる。
ジオラマでもあれば一目瞭然なのだろうが、多分、文字で表現するのは、表現方法も下手なので読んでいる人はサッパリ分からないと思う。
帰って来てから思ったのだが、実はぼくの辿った九寨溝ツアーは丸一日(13時間)が移動時間だった。バスの中から眺める山中の景色は確かに素晴らしいものではあったがそれにしてもとても長い、バスの旅ではある。
ところが、 今この九寨溝と黄龍の目と鼻の先に(2003年の秋)に九黄空港がオープンしたのだそうだ
。
成都から九寨溝まで、バスで行くと約460キロかかるが、空港からだと九寨溝まで、わずか80キロという至近距離なのである。
空港に降り立った瞬間、標高3500m地点なのだからタラップを降りた途端に高山病に罹ったりしないかと心配してしまうけど楽といえばこれほど楽なことはない。利用するに越したことはないのでは思う。
さてぼくの錯覚はまだあった。九寨溝といえばすぐ連想するあの蓮の形をしたトルコ石色の池の集団は九寨溝にもあるもとばかり思っていたら違ったのである。
頭にすぐ浮かぶあの景色は黄龍のそれも一番奥の五彩池まで行かなければ見れなかったのである。
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上の写真は黄龍・五彩池
それも黄龍寺を右に遊歩道を登り展望台まで行き眺め更にまた次の展望所へと、幾つか回らなければ息を飲むような光景を満喫することは出来ない。
途中にもあの段々畑のような小さな蓮池の重なりはないわけではないが五彩池を見ずして黄龍を語ることは出来ない。
今にして思えば、黄龍に行ってよかったと思う。実を言うと今回のツアーには二つの選択コースがあったのである。
ぼくの選んだ九寨溝・黄龍コースの他に九寨溝・牟尼溝コースというのがあって滝・瀑布の素晴らしい観光地で黄龍と人気を二分しているのだという説明であった。
そちらを選んでいたらあの段々畑のトルコ石色の池を見ることはなかったかと思うとゾッとするのである。
一方、九寨溝の幾つかのグリーンの湖は福島・磐梯の五色沼を想像していた。こちらの方はスケールの大きさを除けば湖の色は似ていた。
これも帰って来てから思うことだがやはり一日で九寨溝の二つのコースを回るのは無理があるようだ。
今回は季節が五月だったので水量が不十分のため真珠灘瀑布も諾日朗瀑布もほとんど見るべきスポットではなかったけど出来れば8月か9月に飛行機を利用して再度訪ねてみたいものである。
その時は5キロにわたって小さな湖が散らばるあの《樹正群海溝》もたっぷり時間をかけて散策してみたいと思っている。
・・・・・・サテ、随分長いプロローグが続いた。
ヤット《中国ぶらり旅》に戻っていくことにしょう。
CZ3461機で成都空港に到着してから4日目の朝を迎えたことになる。
楽山〜峨眉山と回り成都に戻り今日から九寨溝・黄龍ツアーの始まりである。
昨夜、二日振りの成都の街を小燕と楽しむつもりだったが峨眉山ツアーのバスが例によって大幅に到着が遅れて、夕食を食べるのさえやっとだったのである。
今日からのツアーの食料を調達する充分な時間さえ取れない始末だった。
8:00に星宇ホテルのフロントを出て外に待っている旅遊バスに乗ったが既に20分経過してもバスは動き出さない。
「誰か?」「何か?」を待っているのだろう。
見たところ、なかなかいい久しぶりの大型バスである。シートもまあまあである。同伴するツアー仲間たちも感じはいいようだ。
むろん、外国人はぼく一人のようである。皆はぼくが日本人とは今のところは気付いてはいない筈。
突然、大音量でディスコ風音楽が車内スピーカーから流れてきた。よくあるパターンだが中国人の耳は確かに異常である。こういうとき(朝の出発時は)日本では静かなピアノ曲か軽いポップスと相場が決まっているのだが。
隣に座っている小燕が言った。
「13時間は着クマデカカルそうデス。タイヘンダネ。」
しばらく走るとバスの中では何やらゲームが始まったようだ。小燕の通訳によると、牛という言葉が多いので牛にちなんだコトバのゲームらしい。
中国人はこんな時、子供のように純心で無邪気である。溶け込み方が自然でいつも羨ましいと思う。 車内はぐっと打ち解けてきた。
2:00に昼食を食べ平武の王宮(報恩時)に着いたのは午後3:45分だった。
報恩寺は明代1440年、故宮様式を真似て城として作られたが時の中央政府に寺と偽って今にあるという。クスノキで作った宮殿風建物が圧巻である。
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途中で1時間ほどバスが立ち往生した。山頂付近か、目的地にさほど遠くないところだと思うが、がけ崩れか交通事故かのどちらかだろう。結局目的地に到達したのは11:00が過ぎていた。
バスの中はアメリカ映画ターミネーター」を上映していた。中国の長いバスの旅では何かアクシデントがない方が珍しいのかもしれない。
慣れているのか、何時間待とうが、乗客は平気である。せかせかもしなければ、何故動かないのか?誰も尋ねない。
これが日本人だと、やれ情報不足などと騒ぎかねない。
そんなわけでこの日の夕食は11時半を回っていた。何を食べたのか記憶にないけど思ったのは我々を待っている食堂の服務員(店員や料理人)のことだった。
こんな遅い時間までよく待っているものだ。予定の時間がこんなに過ぎたらさっさとやめて帰るのが中国式のように思っていたが。
バスを降りると寒くて体がちじんでしまった。
これは真冬の寒さである。、明日の九寨溝観光がちょっと心配になってきた。
「アタ(あなた)サムクナイ?ワタシ イタ(言った)デショウ
ジュザイゴゥ(九寨溝)トテモサムイネ」
小燕は心配そうにぼくを気遣うが仕方がない。ぼくの用意したのは長袖Tシャツと薄いジャケットの他は半袖シャツだけである。
ひと月ぐらい前、張家界に行った時は、寒いだろうとダウンのフード付きジャケットを持っていったら邪魔になって困ったのと、もし、寒ければホテルで買うか?貸用のコート(黄山の時はホテルの部屋に備え付けがあった。)があるかも知れない。
それより、高い山に登るというわけでもないしと思って持ってこなかったのである。
うっかり標高3000m〜4000m付近全体が高地という認識が不足していたのだ。
黄山の三大主峰である蓮華峰・光明頂・天都峰の標高が1800m。張家界の天子山の高さが1300m?クラスだというから、いかに今いる所が高所であるということなのだが悲しい事にぼくは感覚人間(文系)なので数字で高低を理解しないタイプなのかもしれない。
28人のグループは何故か?多分ホテルの選び方(二つ星と三ツ星)の関係だろう二組に別れた。
立っている女性はガイドさん。名前は?。
ぼくらの組には車中からよく話をしていた東北地方・牡丹江から来た二人組みギャルと海南島から新婚旅行で来たという若い男女、広州からの若い男・李さんそれにこのツアーのあとは続けてチベットに行く、という3人組男性たちが一緒だった。
五日目(12日)の朝を迎えた。今日がハイライト第一幕
九寨溝観光の日である。外は快晴!
8:00に朝ごはん:塩無しでゆで卵とお粥を食べれた。円錐形のマントウも食べた。
寒い! この寒さは2月頃の感じである。二つに分かれた全員28人が揃った。
バスの中はニワトリ小屋の中のような騒ぎである。
一気に九寨溝口へ向かうのかと思いきや、「毛牛肉」の販売店に着く。
??族の共同経営か?地べたに5、60店ぐらいの1平方mほどの店が並ぶ。ヤギの角を15元(最初は60元と言った)で買う。削って白酒に入れたりして飲むと何にでも効くそうだ。観音像を40元(200元と最初言った)で買った。高かったかな。
・・・・九寨溝の観光についての感想はここでは書かない。
どんなコトバを使っても、ぼくの文章では表現しきれない。
行って見て、目で観る、それだけではなく、五感で感じなければ九寨溝のよさを表現することは出来ないと思った。
実はここに載せた数枚の写真を見ていても、ぼくはあの日の美しさを思い出すことが出来ない。
中国の言葉でW童話世界”とか“仙境”“幽玄”などと表現されているようだが、どれも違うように思うし、どれもあたっているようにも思う。
伝説によれば、女神が悪魔と戦った時、魔法の鏡を落とし、その破片が多彩な湖になったと伝えられているが2〜3億年前の海底隆起が元になっているのは中国の他の景観地区である黄山や張家界、華山と同じである。
九寨溝観光のフィナーレは《チベット民族舞踊》鑑賞だった。
バスの中でガイドの説明によると2つの劇団があるらしい。
小燕の通訳によると素人の地元の部落民がする素朴な舞踊と、ある有名な男性が訓練、練習して選ばれたスター達による演劇とがあるというのである。
ぼくは劇場と小屋掛けの違いと、すぐ認識した。
値段は劇場タイプが100元で小屋タイプは30元だと言う。
チャン族やチベット族の伝統的古楽器の演奏や歌や踊りが繰り広げられる、と言う。
雲南に行った時、麗江で見た民族歌舞踊を思い出していた。一番前で観たあの舞台は今でも雲南を語るときなつかしく瞼に浮かんでくる。
「アタ、ドチラ ヲ ミタイ デスカ?」
小燕はぼくに訊いた。「小燕は、どっちを観たい?」と返すと、アタ ミタイホウ デイイヨ。と言う、彼女はぼくの言う答えが大体分かっているようだ。だから、ぼくは本心とは逆の答えを言った。
「高いほうにしょう。折角だったら豪華なショーの方がいいものネ。」
小燕が嬉しそうにニッコリ笑った。
「アーヨカタ! アタシ マタ ヤスイホウ ヨシチャン エラブ オモテタ アタシ タカイホウ ミタカタネ。セカクミルダカラネ。」
ぼくの方にからだを寄せてぼくの目を覗き込んできた。
一緒に買い物をする時も、食事の時でも、お金をつかうもの中国語で東西(ドンシという)に対しては必ず安いを第一にしているのでぼくをケチと小燕は認識しているようだ。
ぼくに言わせるとこれは無駄使いと節約の違いにすぎないのだが。
「バスナカの ヒト ミナ タカイホウ ショー カッタ ミルネ」 皆も大劇場のショーを予約した。と小燕は嬉しそうに言う
劇場は九寨溝随一の五つ星ホテル《シェラトン》の中にあつた。
入口で白い布を肩に1人づつかけてくれる女性たちの可愛いいこと、劇場内の客席の広さといい、座ると場内がかりの小姐たちが一人一人に毛牛肉とお茶を、お皿で配るサービスといい、こちらを選んでよかった、と思うことだった。
華やかに繰り広げられる歌、踊り、コント、観客もステージで一緒に参加するいろいろな出し物など、1時間半の時間楽しさ一杯の観劇だった。
圧巻はフィナーレだった。客席の半分ぐらいが舞台に上って劇団のスターたちと一緒に踊る。小燕や李さん、東北からの若い女性も、みんなでステージに駆け上がって踊った。もちろん僕も。
次は黄龍です。
11日10:00バスの中でなにやらゲーム
がはじまった。打ち解ける車内。
11日12:00このバスで行く。なかなか快適なバス。
11日pm8:30
ホテル:12日朝9:00
連峰を行く。そして休憩
東北の小姐たち。
**族の服装
一気にバスで再奥まで、長海へ
五彩池
午後は右側の日則景区をシャトルバスで一気に再奥の
原始森林左は海南島からの男女右は広州の李さん。
写真で見る限りなかなかいいホテルに見えますが。
いよいよ九寨溝・樹正群海溝です。・
九寨溝鋼口は九寨溝への入口です。
左コースを終わっていったん戻る。
東北・牡丹江から来た二人の小姐と。
50元のショーがあった豪華ホテルシェラトン
広州の李さんと海南島のカップル
全写真拡大出来ます。