世界遺産 黄山へ
杭州が嘗て南宋の帝都であって、「臨安」と改められ150年間、南宋の都であった
。周囲をかこむ城壁の長さが160キロもあったという。
マルコポーロが『東方見聞録』のなかで「壮麗無比な大都会」と紹介した、当時世界
一の都市だった。・・・・・その程度の知識も、僕は持ち合わしていなかった。
大体、宗という時代が中国の歴史の中で弱い(知識不足)のである。
紀元前の春秋(孔子)秦(始皇帝)の時代から始まって、1世紀から2世紀のころの
前・後漢(項羽)、三国(志)時代、少しとんで隋・唐(都・西安)時代、それから北・南宗
をとばして、元、明、清と、何となく、分るのだが、宗は弱かった。この際少し勉強してみ
るか・・・とA型好奇心の塊である僕のDNAがそぞろ眼を醒ましたようである。
地図と年表(日本史との比較)と当時の様子、この三つへの異常なまでの執着心。
ここ数日の間に僕の頭の中は12世紀から14世紀の中国にタイムスリップしてしまった。
西安からシルクロードを旅したときは唐の時代に思いを馳せ、三峡を下った時は
三国志の豪傑たちと共にAC1〜2世紀の大地を駈けめぐった。
司馬遼太郎のおかげで中国の歴史も地理も結構、勉強させられたと、思っていたが、
近年、こうして現実に大陸を旅してみると、まだまだ無知が多すぎる。
今回も、行く街の歴史について可能な限りネットサーフィンを試みてみた。
司馬遼太郎の「江南のみち」を始め、寺田隆信の「物語中国の歴史」は史実を知る
上でとても分り易い資料だった。
帰ってきてからのプロローグ
駆け足というよりスポットを記憶してきたという程度の旅だったので、彼の地で、想いに耽るなど、とてもありえないことではあったけど、わが足跡を残してきたことだけは紛れも無い事実なので、いはば、絵描きさんが自分で写してきた写真をみながら画を起こすのと同じ気持ちといえる。
そんな中で 今回の旅のキーワードはなんだろう、と考えてみた。
勿論、山歩きは、当日の山頂付近がまさに雲海の真っ只中だったので、出来なかったけど、それでも、翌朝の日の出を拝めた黄山はまず第一として、次は南宋の英雄
岳飛の廟を訪ねたことである。
最後は黄山への上り下りの道中にバスの中から眺めた変わった民家の造りである。
中国を旅していて楽しいことの一つが、バスの中から見る風景である。
その点たとえ少々デコボコ道でも高速道路より一般道のほうが楽しい。
特に頭に焼き付いてるシーンは、老いも若きも、中国人は何故か、表(道路の方へ向かって、しゃがんで、どんぶりに入った食物を食べてる。
今回も、沌渓から杭州まではバスの旅でったけど、これが結構飽きなかった。
小さな町が次々と現れ、人々の営みを間近に見ることが出来るのはたのしい。
筆者メモ
今日は12月28日です。黄山には11月23日から
27日までの旅程でしたので今日までひと月かかったことになります。
実は僕のパソコンが病毒に罹ってしまい。修復に今まで、かかったことになります。
もっとも、1週間程は年賀状作成に時間をとられましたけど
ウルムチの小姐:馬 麗 春さんからメールで次のような催促文も届きました。
(原文通りに掲載)
・・・・しばらくごぶさたいたします。
今まで、長い手紙を出さないでいますが、ごめんなさい。
黄山にも行きましたね。
きれいな夕日ですよ。ほんとうに楽しい旅になさそうです。
頂上に登ったでしょう。黄山の奇松快石、雲海、温泉という「四絶」のことを体験しましたか?
ホームページ早く見たいね。・・
沌渓・老街の奥の方に連なる商店の壁は黄山の行き帰りに見た民家の壁と同じ「うだつ」が付いていた。
雲谷寺駅(890m)で一本3元の杖を買った。
ロープウェー(日本製)は50人乗りとか、結構、でかいロープウェーと思ったが、ガイドの話によると、もう一箇所の新しいのは100人乗りだとか、
どんなのだろう?か。
きっと、また、日立か三菱なんだろう。
上までの高さは770mで、約8分で着く。勿論、登山道はついている。
徒歩で登ると、4時間(7.5キロ)はゆうにかかるそうだ。
1979年にケ小平が登山した時、登山道はきれいになったとのことだった。いずれの国も同じなんだ。
10年ほど前、屋久島の宮之浦岳に登った時、踏み木がえらく新しいので
ガイド(友人)に訊いてみたところ、去年、皇太子ご夫妻が登られることになっていたが、陛下のご容態がおもわしくない、ということで、中止になったそうで道だけきれいに出来上がったんだそだ。
理由はともかく、登山者にとってはいいことである。
黄山の登山道はすべて石畳の階段になっている。
幅は大体2m前後で、けあげは15センチ、踏み面は30センチ、日本の石段からすると、こころもち、踏み面が長いかナといった感じである。
左、写真は2日目の快晴の写真だが、下の写真は初日の、見えないことをことを承知で出かけた飛来石への途中の階段登りのシーンである。
あとで、写真を見ると、結構いけている。雲海の中を行く。といったタイトルを付けたくなる。
山の中のホテルに泊まるということで、結構リュックが重くなっていたので
強力(と呼ばれる土地の運搬屋)にホテルまで運んでもらった。
1個の運び賃は50元(日本円で800円ぐらい)である。
人間も軽々と運ぶ、江戸時代の駕籠やと思えばよい。
駕籠は竹で出来ていて、ぶら下げるというよりか、神輿風な感じである。
結構、乗ってる人は、怖いのではと思った。
ロープウエーの駅から泊まるホテル・西海飯店は歩いて40〜50分かかる。途中、北海飯店までは、登り階段で、それからは、下りになる。
当然、帰りは逆になるわけだ。
結構、厳しいものがある。左写真は途中であったヨーロッパ系の登山者
の一群だが、年のころ、70〜80才、このあとに5人ほど続いた。
結構、異様な光景に感じた。
この図はどなたかのホームページから拝借しました。
泊まったホテル
一日目
二日目
日の出をみる
1日目のホテル前
すっかり晴れた2日目
出かける前のホテルフロント左端小姉・服務員(美人)はドアガール、外は極冷
雲海の中の黄山の光景をご披露します。温度は零下15℃
木々は氷(樹氷)でキラキラと光っていました。
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明日は日の出を・・