2001年のWTOへの加盟により益々、世界経済のトップへの道をひた走る中国。
自動車国内販売台数439万台はアメリカ、日本に次いで現在世界第三位である。来年には600万台に達し日本に並ぶといわれている。
4年後の北京オリンピック、そしてその2年後には上海世界万国博が開かれる。いま全世界の脚光を一身に集める中国。
その一方では市場経済の歪とも言うべき都市と農村部との貧富の差の拡大。そして共産党一党支配による政治不信。麻薬の密売、SARS等の社会問題。
サッカーの国際大会に於ける日本パッシングのようなグローバル感覚の欠如など、現代中国の抱える光と影を自分の目で確かめてみたく現地へ飛んだ。
行く前は「そげん、中国のどこがよかけ?」、帰ってからは「中国はいけんやったか?」と、いかにも広大な中国大陸にふさわしい、漠然とした質問が友人達から飛ぶ。
その度に僕はリハビリ中の麻痺患者のように一瞬コトバに詰まるのだった。
・・初めて体験した日本語学校での授業風景がやはり鮮明に頭をよぎる。僕の教室はいつも賑やかだった。
真っ赤なりんご顔の陳姐チャンの大きな声「センセーイ、声ガ ヨク 聞こえマセーンョ!」。
四川省の呉琳さんは「センセーイ!浄土ってどういう意味ですか?ゼンゼンワカリマセーン」。
岳陽から来た王紅軒クン(テレサテンの≪月亮代表我的心≫をアカペラで唄うのが得意。)の口
癖は「キョノ授業、雑談 イイデスカ?」。その度に教室中がどっと沸く。
王紅軒 真っ赤なリンゴの陳さん。 朱さん。 呉魏林さん。
日本語で冗談を言うのが楽しいらしい。だから僕の授業は日中入り混じりの漫才状態だ。
《日本人が日本語で話をする》それが僕の役目らしく、出来るだけ僕の口からは中国語が出ない方が望ましいんだという。「それじゃ中国に会話の勉強しに来た意味がないじゃんか?」思わずもれる僕のぼやき。
授業の話がも少し続く。もとより僕はにわか教師だから日本語の文法については?である。
でも生徒がヘンな日本語をしゃべるとすぐに分かる。
しかし、ここで教えている日本語教材をみると、日本人ならごく普通に使っている日本語を2つあげて、「どちらの遣い方が正しいですか?」と問う。
教師用虎の巻には文法上の違いが理路整然と書いてあり、それを学生達はしっかり勉強している。
尤も、それを覚えなければ日本語検定試験に合格しなのだから皆必死なのだ。今日も1人の生徒が質問してきた。「先生!《学校に行か(ないで、なくて)映画見に行くつもりです。》どっち正しいですか?教えて下さい。」
僕は数回、口の中で反芻しているうちに分からなくなってしまい 「こんな場合、日本では“学校に行かずに映画にいくつもりです”と言います。」と答えてしまった。
するとすかさず「《行かず》という言葉は書き言葉じゃないんですか?」ときた。
そんな区別なんか僕が知るかい、と開き直りたくなったけど、グッとこらえて 「でも僕らは普通に使いますよ」とひきつった笑顔で逃げた。
口の中で模擬会話をしてるうちにだんだん自信がなくなってきた。「書き言葉、話し言葉なんて区別、普通しないもんネ」コレ、つぶやき。
いつかもこんな質問があった。
「この時と、あの時とその時の使い分けがよく分かりません」という。
「この」は現在で「あの」は両者が共有した過去というのはわかるけど《その時》は説明出来なかった。
僕の好きな番組、NHKTV「そのとき歴史が動いた」司会の松平アナの顔が浮かんだり消えたりするのだった。
「中国は方言がウェ(多い)たちご(のじゃないの)?」も多い質問だった。
方言とは別な答えになるが湖南人はラ行とナ行の区別が出来ない人が多い。
「いろいろ」を「いのいの」と言い「いろいろ」と書く「犬」を「いる」と発音する。ペットショップの前で趙麗さんが叫んだ!「アイヤ!センセー、アソコ イノイノナ イル イヌ ナ」(わぁー!先生、いろいろな犬がいますね)
本人はマジに(・・)の中を発音してるのです。
ここからは
いろいろな場面が頭をよぎる
。青海湖の大草原に群れる羊や毛牛を眺めている自分。
水平線に沈む真っ赤な太陽を車中からぼんやり眺めている自分。
そして、何度も見た出日(朝日)の何ともいえない厳粛なひと時。
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左:西寧のホテルから日の出を拝む 中原を走る夜行列車から眺める日出と日入り。
うんざりするほどのお寺をたずね。日々の記憶から殆んど消滅している。
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河川、湖、滝をめぐる。
「ところで、食事はいけんやった?中華ばっかいけ?」
やっと出た具体的な質問にぼくのセル(頭の中にある思い出の引出しのこと)が開く。
質問者の好奇心を埋めるべく回答を探す。
準備しているキーワードの中から《辛い・・とりわけ湖南料理の辛さは中国一》が抽出される。
「昼は近くにある食堂に行って炒飯かラーメンを食べます。値段は5元〔70円〕ぐらいかな。」「時には近所の銀行や商社の社員食堂で辛い定食を食べます」
日本で食べない食材に蛙、亀、ヘビなどがある。特に蛙(右端)はポピュラーな食材でスーパーの海鮮売り場のガラスケースの中の人気者だ
。亀(ウグィ)も水槽に中でごそごそしている。
買い物に付いて来た子供が亀の頭を突いて遊ぶ。ところで蛙(チンワ)は政府の保護動物とかで本当は食べてはいけないらしいが飲酒運転や交通違反と同じで、決まりや規則は守る方が本当に珍しい国なのである。
なのに街中にはパトカーがうじゃうじゃといる。「何してるんだろう?」公安は?。
日本の魚屋には採れたて、切り身、冷凍、どれも活魚じゃないけど、中国の海鮮売場では魚は水槽で泳いでいる。
もちろん海鮮といっても日本でいう海で獲れる魚と同じではない。
川魚だろうと池のタニシだろうと魚介類は全て海鮮なのだ。中華料理には刺身も無ければ焼き魚もない。食事の時、自分の前に取り皿や薬味を入れる小皿がないのは淋しいかぎりである。
また、中国人は食事中にはあまり水分を取らない。
僕は茶水代わりにいつもビールを飲んでいた。飲まないと料理が辛すぎて食べられないからだ。
ぬるいビールが4元ぐらいだから水と思えばよい。冷えたビールを飲みたい時は給仕にビンダ!(氷的)と付け加えなければならない。
でも、返って来る答えはいつもメイヨ〔ありません〕である。冷たいものだ。この「没有」と言う中国語は会話の常用語なのだ。いろいろなシチュエーションでメイヨー(ないよ!)は多用される。
日本だとこういう場合、たとえ無くても断定的に「無い」とは言わない。かならず親切の尾びれがつく。
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ある日、機嫌がよかったのか「没有」のあと「冷やしたビールはないけど、氷ならあるヨ。」と食堂の小姐が言った。「オウ!謝謝!! オンザロック ビジョーイイネ 」と大きな氷をいっぱい入れてもらい飲んだのはよかったけど、その夜は五分置きのトイレ通いで散々な目にあった。水道水で作った氷だったのだ。
中国人は遊び好きが多い。娯楽の世界でも発展はめざましく長沙市にも酒バーやカラオケなどに加えこの頃は超大型温泉センターが増えてきた。習慣なのか彼らは浴場を歩く時全くすっぽんぽんである。「イッバン(一番)心に残った風景は・・?」鳳凰(ホンファン)という古い(300年前の)街で見た風景だった。僕のHPの永遠の鳳凰(ほんふぁん)、より。
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・画帳をひらくと一条の河流が古い城をたずさえて真正面から顔に当たってくる。横からみると一幅の絵に見える。縦から観ると詩一首に見える。
まだまだあるセルの中、一番「怖かったこと」「惜しかったこと」「恥ずかしかったこと」「パニックになったこと」そして「誰にも言えない秘密のこと」など目白押しだが紙面がない。
ところで皆さんも自分だけのセル作りに励んでいますか?僕は、とりあえずの賞味期限をあと五年に設定しました。
五年は微妙な数字だと思いませんか?未だ、少しは先のようでもあり、いやいや,すぐそこのような気もします。五年前を振り返れば昨日のよう!!が実感だったりして。
(PS)勝手ながら僕の五年は毎年更新されます。
本当の最後に一言。
こちらに来ていつも胸が痛むのが物乞いの子供たちの多いことだ
。街の中、地下鉄の車内、公園と、どの都市に行ってもやたら目に付く光景である。
歩く事の出来ない奇形児らを正視する勇気は僕にはない。
食事中に、そっと擦り寄ってくる乞食の子供なら、せめて一角の小銭でもあげるけど、地べたに身を投げ出している不具な子供を見かけると横を向いたまま足早に過ぎるしか術がない。
繁栄への道をひた走る大中国のまず一番にしなければならないこと、それはこんなことからからではないだろうか?
僕の『中国ぶらり旅』はいつもひとの羨むひとり? 旅だった。
(追伸)
本当のことを言うと、僕はこの旅の間、もっといろいろなことを感じたり発見したりもした。
●中国人はなぜこんなに咳ばかりするのか?
●中国人の本音とたてまえ。
●中国人は何故車の窓を開けたがるのか?
●中国人と公徳心について
●性に対する考え方の違い。
・・・・・などなど、ことあるごとにノートにびっしり書き溜めていた。
そして、紀行記の合間に『休息休息一下』のコラムで書いてみようと思っていた。
実際、何編かは書いてみたが、後の殆んどは文にまとめるのを止めてしまったり,書いてから削除した。
やはり、よく考えてみると、自分が見たり、体験したりした時の中国人だけを対象に、大上段に『中国人は・・・・・・』なんて、中国の国民をひとくくりにしたように書くことは、とても恐ろしい偏見だということに気付いたからである。
しかし、これはお互いさまの感もある。中国人も特定の日本人の言動から「日本人は・・・!」と非難をあびせることも多い。
言い合うと喧嘩になるのがおちだから、たいていの人々は国籍を超えてお互いを人間として接するのが望ましい。
気の会わない時は 血液型のせいにしたり、干支や生まれ星座のせいにしたり、方向、地方のような大は地球規模で論じ合ったり、「アンタは寒いところで育ったから、・・・なんだ。」なんて言い合いも結構でしょう。
「・・・国人」だけはコミニュケーションのときは余り出さないほうがいいと思うことだった。
確かに、歴史や風土や時代の教育などから後天的に植えつけられた違いはそれぞれの国や地区によって確かにあると思うが、それを・・・・人と国というカテゴリーでひとくくりに論じることはおかしい。
僕は兎年生まれのせいか、争いごとを好まない。
兎は干支の動物の中で唯一、噛み付いたり、喧嘩したり、人に嫌われたりしない動物だからである。
最後は自分を良い子にして、まあ、自己満足でこの旅の終わりにしたい。
ここまでお付き合いくださった我朋友に
非常感謝!!謝謝! 再見。
(追伸2)
中国ではとても仲の良い友人のことを好朋友という。
今度の滞在で、僕は多くの好朋友を得た。
中でも僕の滞在の目的だった進修学院日語学院院長・範例先生(4?歳)はどちらかと言うと、好より日本語の親友に近い関係かもしれない。
市役所の観光課の鄭旗さんと3人冗談交じりに義兄弟と言ってたが、もし、この交流が絶えなかったら、そんな付き合いになれるのかも知れない。
二人の愛人(奥様のこと)とも親しくなった。いつの日か我が愛妻もその仲間入りを果たさせてあげたいと思っている。
再見。