八期会ワールド
八期の皆さん今日は。お元気ですか?
今年・2001もあとわずかばかりになりました。
今年は大変な年になりました。
偶然、あの時間、NHKを見てました。ビックリしました。
二機目がぶっかった時はなぜか冷静でした。信じがたいものを見ている。
そんな気持ちでした。
あの日、あの時から、世界が変わりました。私達も少し変化がありました。
翌日、娘からママに電話がありました。
「ママ、10月のトルコ行きはキャンセルしょう。・・危ないよ」
僕の方も、商店街の仲間と計画していた「ベトナム・ツアー」を取りやめました。
テレビは朝から晩まで、オサナ・ビンラディンとタリバアンのことばかり。
その後、クレージーカウが加わって、お肉騒動になりました。
先日、SJツアーでお世話になった小園氏が突然訪れました。
・・募る話の後、言われるには、ラスベガスのホテル代が三分の一に下がったそうです。
私も営業で帰ってきました。とのこと、この世はまさに(風が吹けば桶屋が儲かる)
そのものです。大変な2001年・新世紀の幕開けでした。
ところで、八期の話に戻りましょう。
今年の忘年会は昨年と同じ吹上荘にて、 12月7日(金曜日) 午後6時半からです。
ハガキは今年の幹事、永野君から、まもなく届くと思います。
皆さんの参加,お待ちしてます。
さて、八期通信の出来栄えは如何でしたか。 実は仲間から、恩師の今村先生から
ねぎらいのメールを頂戴しました。
1998年のXmas会の思い出シーンです。クリックすると大きくなります
今年も46名の八期仲間に3名の先生(と言うな、先輩と言え)との小迫先輩のお言葉(長い挨拶)
で始まり年幹事の益崎恵文君の万歳三唱で終わるまで賑やかに、楽しく開催しました。
今回も北は北海道から吉田 節さん東京から柴田君、満山さん、横浜から竹之内(初参加)君、静岡からは斯波さん、大阪・豊中から有馬弘文君、福岡から藤崎君、長崎から森永君、熊本より上田平さん宮崎から渡辺君ほか初参加数人、輪はまさに全国区でした。
二次会はまずカラオケ?でスタート、三次会は故ルミ子さんの二人の息子さんの経営する
on airで、四次会(夜中の二時ごろ)それでも8人はいました。内女性4人・・・最後は
ぶっちょう麺でラーメンでした。時まさに4時近く、四人でした。さて誰と誰誰誰でしようか?
2002年のSJツアーは悠久の都・北京・西安の旅です。十月上旬を予定してます。
メンバーは今、男女12名ほど決まりました。後、七から八名ほど欠員があります。希望の方は
大石までメールまたは電話、FAXで申し込んでください。
二千二年が皆様にとって幸多き年でありますようお祈りいたします。
2001・12・10 大石慶二
平澤さん気づかず、木村気付き過ぎ。
古市君と渡辺君
今年の幹事・4組の面々。1人よそ組
小迫先輩たっての希望で写した3組の皆さん
何故か、先輩 屈伸運動が続く。
これぞ、正真正銘の純血四組
皆で堀の●の墓参りをしないと
又、誰か??不安。
お待ちどうさま、
お待ちかねの、二次会そして三次会、四次会まとめて紹介します。
思い切り特大画像をお楽しみください。クリックしてくださいネ。
八期会の子供のような笑い声が聞こえて来ませんか?
満山一郎です。
12月16日KKBテレビ7:54
「弾丸ヒーロー」出演します。見てください。
有里卓雄・山下良廣・藤崎宏忠・福永千鶴子
竹之内望彦(横浜・1組)君の近況報告
小迫先輩?のナガーイ挨拶。
八期会の皆様お元気ですか。
今回、2001年の忘年会も盛況のうちに終了しました。
出席者は以下の通りでした。
1組 竹之内望彦
2組 有馬寛敏・柴田英紀・南郷善之助・橋口健一・藤崎宏忠
益山敏弘・満山一郎・森 繁・森永鉄美
3組 有村知宏・永野敦士・益崎恵文・吉田 節
4組 有馬博文・大石慶二・浜崎 隆・川口洋子・満留和子・上田平加津子
斯波紘子・横山磨子・岩切キヨ・平田瑞代・
5組 有里卓雄・古市庄八郎・渡辺義照・池田珠江・福永千鶴子・山下順子
鮫島恵美子・海江田康子・末吉美代子・山下良廣島・
6組 別府いずみ・西村絹子・松尾孝子・井上憲子・宮園征子
7組 平澤希代子・西野紀代子・兵働智恵子・木村美子・中島久子
恩師 小迫義雄 門内吉則・今村隆夫
出席予定で当日,急用の為出席出来なかった人。
1組 猪八重 忍・濱田 修
2組 安田智雄・徳永辰哉
4組 川口喜久子
5組 松元英雄
・・・・・・・・・・・・・以上でした。
今年返信ハガキでの欠席通信で気付いたことは、まだまだ、現役戦士が多く
サンデー毎日には程遠い人が結構折られると言う事です。それこそ、結構_な
ことだと思います。
それでも、来年は時間の余裕が出来そうで、是非、出席したいとの、メッセージ
を頂いております。初参加の仲間も、その中にはおられるので、又、会が賑やかに
なることと思います。
しばらくは、八期会も右肩上がりの成長期が続きそうで、私達、世話役も大変ながらも
楽しみでもあります。
そのうち、必ず、下り坂がやってきます。せいぜい皆さん。元気なうちに参加してください。それでは、当日の模様を、写真でお楽しみください。
浜崎 隆。
浜崎 隆
八期会の皆様。
昨夜12月13日の天文館の夜景でも、ご覧下さい。
話題の映画、「ハリーポッター・賢者の石」を見る
ついでに写してきました。
2002年が貴方にとって幸多からんことを祈りつつ・・
12月のある日、突然、4組の原田絹代さんが店に遊びに来ました。
皆で,「絹代さんは大病らしいよ」との噂でしたので、僕もビックリ仰天しました。
より太った感じで、前日みた「千と千尋の神隠し」の千のご両親がもりもりお食事してる
シーンが一瞬オーバーラップしました。まあ、健康でホッとしたしだいです。
それでなくても、4組は呪われたみたいに去っていく人が多いのですから・・・
住所も変わったそうです。
新住所:
特別サービスの二枚を紹介させて頂きます。
昨夜、6人で逢って夕食会をしました。 2002年2月26日
場所はタカプラの裏の「江戸っ子寿司」メンバーは
吉松(桐原)典子さん・
平田瑞代さん
横山磨子さん、
浜崎 隆くん
南郷善之助くん 僕、
大石の4組プラス1です。
浜崎君のほうから、八期の仲間の近況報告といっても例の口調で、誉めるかと思えば
返す刀でバッサリ切られたり・・・・・摩子さんのお嬢さんのオメデタ(結婚)の報告・・・
善チャンの娘との共同経営の話、娘の彼が結婚の話を匂わした途端、示現流の刃を
研ぎ始めた話・・・・・・・・みずよさんの「タイ・チェンマイの癒しの旅」の話・・・・・・・
帰ってきた典子さんの「花粉症に悩まされてる」話・・・・・・横に座ったドラさんに移ってし
まい二人でズーズー、典子バッグの中からやおら、取り出す「怪しげな小瓶」蓋を開けて
綿棒に湿らせるとその綿棒を、やおら、ドラさんの右鼻腔に挿入する。
瞬間、固まってしまうドラさん。 瓶のラベルに書いてる文字は??・?「はっか油」
幾ら、油は専門といえど、この油は初めてだったようだ。
お店の女店員にシャッターを押してもらった。悪い予感は的中した。
善の頭が切れてる。この夜は善の助イメチェンとかで華ひげとバンダナスタイル、そのバンダナが見えないのだ!!
摩子様はお眼目を閉じていらっしゃる。どうしてもバンダナを見せたいので、もう一枚写真をのせることにした。
焼酎が飲み放題とかで30回ぐらい「焼酎おねがいしまーす!!」
女店員の顔が段々こわばってきました。「ヨカタッガ、ヨカタッガ」
「ここは,ただ酒を冷えると熱燗2換えにクッタッド・・」浜崎説明中
2002年5月29日
木村美子さんが遊びに来ました。5月18日の「南日本新聞/夕刊」にアロハ・ハワイアンフラを指導
している様子がとりあげられました。
紙面の三分の一ぐらいのスペースをさいて顔写真3枚、結構、耐えていました。以下、スキャナー
でとりました。
玉龍高等学校 全校同窓会&八期総会
今年の夏の集いは参加者が例年程ではなく、特に県外(東京・大阪・福岡・宮崎)からの参加者が淋しかった。
浜崎会長によると「12月の忘年会が主体になったんじゃないだろうか? 皆、冬はかぇっくっでナ、ち 言うしが うえど(鹿児島弁のニュアンス分りますか?)」とのことでした。
そんな中で今回は珍しいお客様がいました。1組の西山和宏クンです。
彼のことについては僕は顔はよく覚えていましたが、彼が僕を知っているほど、は記憶にありませんでした。初めて浜崎くんに聞いたのですが、ベストセラー作家(ノンフィクション)なんだそうです。
八期の仲間に 本物の作家がいたなんて、すごいです。しかも、3冊も出しているそうで、今回も「ウオルマートの何やら・・」とかいうタイトルの新刊本を見せてくれました。 もの書きと言えば、山下順子さんぐらいと思っていましたのに、八期の「賞味期限延長グループ」も結構たくさんいるわい。と、とても嬉しい気持ちです。
今年の「八期通信」はひとつ「頑張ってる八期の老中派」という特集でも組もうかと思っています。
独断と偏見で選ばせて戴くと いまのところ候補は●中国教師・村上クン・ ● 大リーグの長谷川投手と対決!テレビ朝日で紹介されたホームランバッター・満山クン・ ● 話題のフラダンス教師・木村美子それに ●今日取り上げた西山クン・ もうひとつ、おまけとして、●老いてますますゴルフの腕上達、ハーフ30台をキープ、シングルを目指す2人の仲間・市来竜作クンと益崎恵文クン・・・ですかネ。 (あくまでも、特 集は予定ですけど)
西山和宏くんと新刊書
(木村・川口・平澤・横山・山下)さん
(南郷・森・市来・徳永)くん
(西山・益崎・浜崎)クン
(横山・山下・池田珠江)さん
後方左端は中村隆重くん
参加者で写ってない人は
僕/大石だけです。
後期・根占で福祉施設を開設し地域社会の発展に寄与している中村くんと話して、今年の忘年会か
集まりを中村君にお願いしてみたい。との要望をだしたところ、快諾してくれました。
プランを煮詰めて八期会設立10周年イベントとして是非実現化したいと思っています。
平成14年7月31日 おおいしけいじ
不好 (ブハオ!) 編集後記
2002年 おおいしけいじ
▼中国語を習っていて思うことは反語(否定)の使い方である。[好きですか?]という問に、日本では[嫌いです]と答えるけど、中国では[不好]つまり[好きじゃない]と応える。これは、同じようで、全くニュアンスが違う。つまり許容範囲の差の問題で、食べ物で喩えると、「食べられない訳じゃないけど、食べたくない」そんな感じだろうか。
習い始めの頃、文法が簡単なので、中国語は発展途上語なのかナと思ったけど。今はこころの大きさの違いだと思っている。 TVでドラマやバラエティ番組を見ていると、司会者や出演者がこの頃、気になる。好みがはっきりしてきて固有名詞を見ただけで、見たくない番組が増えてきた。
そのうち歴史ものか、スポーツ番組以外は見なくなるのではと心配になってくる。
そういえば最近、最小単位の間でも、会話が途切れがちである。思っている通り声に出すと喧嘩になりかねないので、ついつい、無声音で返事をしてしまう。「不好ブハオ、不好ブハオ」とつぶやきがもれると。「あなた何か言いました?」[いや、中国語の勉強中でして・・]と慌ててゴマカしてしまうことが度々である。年輪と、こころの大きさは比例しないのだろうか?研究テーマが又一つ増えた。
▼ は変わるが、今年はなぜか台風の多い年だった。そう言えば、僕等の肉体も、いつ暴風圏内に突入してもおかしくない年になってきた。「ある日突然」、におびえるのは大袈裟かもしれないが、先日、くちびるが心なしか痺れるような、乾きを感じた。理由を探したが心あたりがない。独り、思い悩んでいるうち、ある朝、舌に痺れがきた。「もうお終いだ!」と思った瞬間、目が覚めた。夢だった。
知り合いの医者に「こんな症状はなにかのサインじゃないんですかね」と尋ねてみた。医者の返事は単純だった。「リップスティックでもつけてみたら?」で終わった。「あるある大辞典」という番組で、60歳以上の人は殆どが歯肉症で、放っていたら大変なことになる。と聞き、早速始めた歯ぐき磨きのせいだと分り、止めたら治った。
▼[なった時はなった時サ]「開き直ったら何も怖いものは無いよ。」と言う人もいるけど、台風に見舞われたら、釣りにも行けない。収まるのを家でじっと待つばかり、だから、「僕は行ける時は 二週連続でも行くことにしてるのサ」
我が釣友の 言葉が耳に残る。
“目の輝き”を持ち続ける“老中”でありたい!
大石さんの活き活きした老中を見て、そして刺激され小生も“老中”を努力中です。
又定年後、「日本百名山」登山に挑戦している古市さん(柔道部)と意気投合、去年は鬼怒沼、今年は日光白根山に登り、運良く遠く南アルプス連峰を眺められました。 小生は中国からの引揚者なので、定年後は“中国との関わり”の中から「生きがい」を見つけたい・・・という思いを50才頃より思い続け、60才が「第二の人生のスタート」と定年に近づくのを楽しみにして来ました。
思いより1年遅れ平成12年3月末(満61才)で定年退職しました。早速日中友好協会の支部会員になり、中国友好都市からの研修員や在留中国人大学生などとの友好活動に参加するようになりました。
去年、6才まで過ごした河北省張家口市出身の宇都宮大学生と知合い、その人の世話で、運良く「日本語の先生」をしながら、4ケ月滞在のチャンスを得ることができ今年3月より6月まで河北省のシンタイ市「第三中学」に行って来ました。
市街地人口60万人(田舎町)のシンタイ市でさえも、「文明開化」の波は押し寄せていて、特に教育改革に全土が力を入れていることが日々のTVから感じ取れます。市内にはインターネットカフェが20ケ所も有るのに驚きました。 第三中学では、毎年半年(1月〜6月)米国人と英国人の先生を招へいして英語教育に力をいれています。中高合わせて30人の英語の先生(中国人)がいます。私も最低半年と頼まれたのですが、4ケ月ならOKという条件をだしたら、たまたま運良く話がまとまりました。
又パソコン教育にも熱心で、200台のPCを使い生徒は週一の授業を受けています。
日本語を独学で勉強している先生が15人前後いたのには驚きました。 私の授業は課外授業(18:00−20:30)で自由参加・・・昼間はひまなので、毎朝太極拳と足部反射区按摩で過ごし、足部按摩は北京で試験を受け修了書をもらいました。
中国は「共産党」一党支配の国なので、校長先生は共産党の支部幹部だそうです。大きな企業集団の社長も皆共産党員だそうです。もちろん、一党支配の長短はありますが、今は「一気果敢」に「文明開化」を推進し、文明世界の仲間入りをし、数年後の「オリンピック」を成功させたい!! 一党支配が良い方向に作用していると見受けられます。 又歴史教育にも熱心で特に「満州事変」と「第三次世界大戦」を忘れるな!と言って、中学生に教えています。歴史認識は日本と同じで人それぞれですが・・・・。
日本人の中には「中国人は信用出来ない」「約束を守らない」「不潔だ」・・・・・・だから「中国はキライ!」などなど批判する人を見受けますが・・・又日本人は「戦争好き」「侵略者」だなどという中国人を見ましたが・・・いずれにせよ、お互いごく一部しか知らずに「好き嫌いを」論ずるのはいかがかと思います。良い人もいれば悪い人もいるのが「世の中」・・・微力ながらお互いの誤解を説明して行きたい・・・平和維持のためにも・・・・という思いです。 村上久幸
日文教師・村上久幸くんから原稿が届きました。詳しくは「ニーハオ!我是・・・」を見てください。
福岡玉龍会と八期会の集い。
2002年9月15日〜16日
大石・南郷・入佐・上田平・西村・浜崎・横山・平澤・森永・下池・柴田・藤崎
(旧)福岡教育委員会館前にて
福岡玉龍会副会長・入佐くんの
すばらしい、ウィットにとんだ挨拶
会場は西鉄グランドホテルの
格式あるホールでありました。
33年卒が一番多かった。
ちなみに、会費は8000円でした。
たのしいアトラクションもありました。ジャンケンゲーム。
左の写真は会長の武田氏 昔、
西郷銅像の隣にあった「武田耳鼻
咽喉科」の息子さんだそうです。
右のスナップは森永くん(長崎)と
談笑する平澤さん。
朝、5時半に起きて、6時過ぎ、浜崎くんの近くの高速バスの始発ステーションに行く。
6時30分 バスは福岡・天神へ向けて発車! およそ3時間半の行程。西駅で平澤・西村さんと合流。
浜崎君の話によると、西村さんが朝弁当を作ってきてくれるとか?愉しみだ!!と思っていたが、話の行き違いで、作ってなくてガッカリ。
「今日は僕等に任せてください」との藤崎くんの言葉に甘えて{博多一泊二日の同窓会」の愉しみの一日はスタートした。
2時間程の本会が終わり、天神のとある居酒屋(ビル三階)に行く。又ビールで乾杯!をと皆で相談している所へ
突然!
「みなさーんはカゴッマですか??」
「ジャッド!」
「なつかしかナーあたいもカゴッマジャッド。商業ジャッド!
「ソーヤ、オイタチャ 玉龍ジャガ。イッショケ飲マンケ?」
「アタイガ、オゴッデ」
「ソーヤ、スマンネ、ビールを10ポンバッカイモロオカイ」
「ソヒコデ、ヨカナ〜」
これからの約2時間はこの闖入者横山氏の男コンパニオンの独壇場でした。
かなりの会話をムービーで記録してるので、我等の浜崎くんと入佐くんとのトリプル・バトルを 希望者には見せてあげます。
普段の感覚なら、今の時間は午後8〜9時、ところが今日は未だ5時前、外はまぶしい太陽がサンサンと降り注いでいました。
一行は天神から中州へと繁華街を行進しました。
明日は大雨・豪雨になるとは夢にも思わず。(本当は、天気予報では明日は天候がくずれて雨になる。と言ってたらしい、浜崎は、「オヤ傘をモッキタド。」とのこと、僕は、釣りの時以外は天気予報は見ない。聞かない。
日曜日でしかも6時ごろといった時間に、無理に開けて貰ってた中州のスナックで僕等の今日、三場所目の会は始まった。やがて、カラオケになり、外の明るさを感じながらの熱唱が繰り広げられた。 (暗い写真は又偶然にも、森永、平澤二人のデュェット曲、「ふたりの世界」裕次郎でした)
やがて博多に夜が来て、入佐くんが「ホテルまで、近いから、歩きましょう。」ということになり、足取りフラフラの皆は橋を渡って博多名物ラーメンを眺めながらウォーキング。
「チョット、寄って行いませんか?」と入佐くん。「ヨカネェ」と皆。かくて、今日の第四会場は屋台のラーメン屋でした。
・・・みんなのお腹、どうなってんの?
傘をさしてる写真は、翌16日です。
まあ、すごい雨になりました。
今日の目的は、浜崎のお勧めの{似顔絵で作るペンダント屋」と
ライオンキング観劇です。
鳴り止まないカーテンコールでのスタンディングオペレーション
久し振りのミュージカル観賞でした。
1976年、ニューヨークのブロードウェイで友人と二人で見た「ピピン」、帝国劇場で二人で観た「ミス・サイゴン」
「ライオンキング」も僕のよい思い出として、ご一緒した仲間や
大雨の中を、一つの小さな傘に三人、頭だけ入れて走ったタクシー乗り場の光景と共に
いつまでも消えない思い出になることでしょう。
2002年9月18日 おおいしけいじ。
吹上荘
今年は恩師3名はそれぞれの理由で出席されませんでしたが36名+1の八期仲間で会は
盛り上がりました。例年にならって2次会そして、3次会と、今年も午前様でした。
新しい仲間では、塚田君やあと2名程いたようですが名前は度忘れしました。
実は、12月早々に、このページは作り終える積りでしたが、私、12月早々、遂に、病毒つまり
ウイルスにパソコンをやられてしまい、その修復に2週間かかってしまいました。
11月23日から出かけた中国、黄山の旅行記もまだ、全然、手つかず状態ですし、あと、立ち
あげなくてはならないサイトもあるのですが、頭がいたくなります。
人生も同じです。パソコンでよかったのかも知れません。順調に行くのが当たり前と思っていま
すが、アクシデントは突然訪れます。
人は皆、自分に敷かれている「運命のストーリー」を辿っていると言われますが、若干の軌道
修正は「その人の思いの強さに」、神様が許可してくれるそうなので、いろいろな思いをつのらせ
ていきたいものです。
といっても、フリーズ(パソコン用語で、すべての動作が凍ってしまう状態)は出来るだけ避けたい
ものです。 避けられない本当のアクシデント以外の想いアクシデントだって結構あるものですから
今回のウイルス禍もそんな教訓を与えてくれました。
1次会・吹上荘でのスナップです。見たいシーンをお選びください。
続けて、次は2次会、3次会のスナップです。
見たい人だけどうぞ!!!
森君から届いた写真です。
二次会でのスナップ集
柴田くんからの写真です。