大石ケイジ的長沙日記
陽はまた昇る。
2004/03/22

カラオケで谷村新司の歌を2曲なんとか唄うことができる。一曲はだれでも中年なら唄う『昴』である。

 もう一曲は『陽はまた昇る』である。歌詞がいいのと曲調が自分の琴線に響いてくるからである。

 むかし大塚博堂が好きだった頃がある。『ピアノコンチェルトはもう聞こえない』という曲が好きだった。

 博堂は若くしてとつぜん亡くなったが、二人のライブは割りと見に行った。どういう訳か、この二人に関しては僕と家内は共有のファンだったので、何度か一緒に出かけたものだ。

 LPからCDにソフトが変わる頃、博堂は世を去った。なんとも声のきれいな、というよりやはり自分の琴線にふれる歌手だった。今日は博堂の話をするのではない。『陽はまた昇る』である。

 2年級の学生たちの宿題『私の夢』を読みながら僕はある一つのフレーズが付きまとっていたのだ。
 そう、あの谷村の唄う『陽はまた昇る』の最初の部分である。

《ゆめをけずりながら〜年老いて行くことに、気がついた時、はじめて気づく空の青さに〜》

 今日の5,6時間目は作文の時間、僕は早速、一番の歌詞とその訳を電子辞典で調べ、学生たちに公開した。
 一行一行書いていく、そして歌詞のイメージを下手な中国語で説明する。皆が熱心に僕の書く歌詞を書き写しはじめた。

《あの人に教えられた無言のやさしさに
    今さらながら涙こぼれて
           酔いつぶれたそんな夜》
《陽はまた昇る どんな人の心にも
  あぁ生きてるとは燃えながら暮らすこと 
    冬晴れの空 流れる煙  風は北風・・・》
僕がフレーズごとにハミングしたらすかさず

 「先生! 唄ってください」の合唱になった。「まあいいか、狂ってもみんな知らないんだから・・・」と唄い始めたら、何とカラオケで唄った時より乗りが良いのである。とうとう気分よく最後まで唄ってしまった。
 すると次にまた催促が来た 
   「教えてください!!!」

というわけで今日の授業は谷村新司歌謡教室で始まったのである。

 長沙の空は今日も冬空、そして、風は北風の吹き荒れる冷たい日でした。